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2006-11-02
■[社会] 少子化対策への疑問と高齢者の雇用継続
私は少子化で労働力減少が叫ばれる昨今においては、おかしな少子化対策を続けるよりも、老人と言われる方々にもっと頑張って頂きたいと思っています。ただし、若者が非正規雇用とかフリーターでわんさかいて、彼らを正規雇用にするために、余裕のある老人には非正規雇用の形で会社や地域社会に協力して頂きたいと思います。
効果のない少子化対策や男女共同参画に莫大な税金を投じるくらいなら、若者の職業訓練と老人の再雇用にまわすべきです。
- 少子化でもかまわない
ちなみに私は少子化でいっこうにかまわないと考えるようになりました。まあ永遠に続いても困りますが、そんな事はないでしょう。
ただ、高齢化は少々気がかりではあります。それも、今、老人医療や介護・年金などに今後莫大なお金がかかると言われていますが、少子化ですから、子供には金がかからなくなるわけであり、それはトントンになるでしょう。
少子化で労働人口が不足するという話で言えば、上で書いたように、当分は老人に非正規雇用の形で頑張ってもらうのと、出稼ぎの外国人でなんとかなるでしょう(移民は認めないで)。最近は元気な老人がかなり多いですし。
さらに言うなら、少子化対策については、金をばらまこうとしているみたいですが、そんなのは絶対にやめるべきです。「子供を作ることが負担になる」と考える人々には無理に子供を作らせる必要はないのです。そういう親が子供を育てるとろくなことになりません。
政府が何もしなくても、家計が少々苦しくなろうが子供を持とうという人は、家族がいかに大切かをわかっている人たちです。そういう人たちだけが子供を残せば、未来は自然に家族を大切にする社会になると思います。皆が家族を大切にすれば少子化も止まり、社会も安定して暮らしやすいものになるでしょう。
ただし、教育に関しては政府が今から最大の配慮をしなければなりません。公立学校の建て直しは急務だと思います。産まれてきた子供を立派に育てる事にかんしては、政府も地域社会も、一丸となって協力すべきです。そこには税金の投入も惜しむべきではありません。
今や少子化だ子供を増やせなどと言っているのは、労働力が不足するからとか、年金制度が維持できないからといった功利的な面からでしょうが、日本列島にはそもそも人口が多すぎるのは間違いありません。
江戸時代は3000万人で、明治の近代化に成功して昭和になるとその3倍に膨れあがりました。江戸時代というのはほとんど国内で自給自足していたわけですから、日本列島の自然環境や資源で養える人口の数は3000万人くらいが限度だということです。
だから昭和に入って人口も爆発的に増えた日本は、外に出てゆかざるを得なかったわけです。そのために我々のじいさんたちの世代は、子孫を養うために必死で日本列島の外に活路を見いださざるを得なかったのです。そのために戦ったのです。それを侵略だとか無謀な戦争だったなどと言ってしまっては、我々は生きている価値なしということになります。
話がそれましたが、戦後にはさらに増えて江戸時代の4倍にもなり、現在に至るわけです。このまま増え続けてもいずれ破綻するわけです。さらに言うなら日本人が日本人らしさを失い劣化しつつあります。日本列島の上で劣等人化した日本人が増えれば逆にこの国の未来は破滅です。だから人口は少々減るくらいでちょうど良いのです。
もちろん現代においては技術革新とか他国との貿易によってもっと多くの人々が高い生活レベルで暮らすことが可能なのでしょうが、この先温暖化や環境破壊やらでそれもどうなるかわかりません。
これからは少数精鋭で良いと思います。江戸時代なんかはまさにそうだったわけですし。まあ当面は苦労することもあるかもしれませんが、そこは日本人の勤勉さを取り戻して頑張れば良いと思います。そのために教育が一番大切です。
- 子供を産むのは義務ではない
子供を作って育てるというのは、私的な喜びであると同時に公的にも大切なことです。ただし、これは公的に子供を作る義務があるという意味ではありません。最近そのような事を言う人が出てきましたが、私は、それはちょっと違うと思います。
当面は人口減で良いと考えれば、産む・産まないに関して、今や義務という側面はほとんど無いと考えて差し支えないと私は思います。
そもそも子供を産み育てる事を私的にを喜びと感じられない人たちに無理矢理子供を産ませてもろくなことにならないので、そういう少子化対策はやめるべきです。
さらに言うなら、夫婦共働きを続けて子供は一人くらいで良いと考える人たちを優遇するよりも、子供を二人三人育てたいと考える専業主婦の家庭をもっと優遇すべきです。
子供を二人以上育てるには専業主婦でなければ無理です。現に子供が3人以上いる家庭はほとんどが専業主婦です。もちろんごくごく例外的に夫婦の職業形態によっては主婦ではなく主夫であっても良いとは思いますが(これとて性差を考えると奨励はできないので、たとえば芸能人だとか特殊な職業の人たちに限られる)、家の外に出て金を稼ぐものと内にいて家を守るものとの分業体制をしっかりしなければ、二人以上の子供を育てるのはかなり困難なことだろうと思います。
今やろうとしているのは逆のことばかりです。税制でも何でも専業主婦には不利な方向で改正されてきました。これをもとに戻して専業主婦の地位を回復すべきです。
- 子育てに伴う義務(1)
子供を産み育てるというのが私的な面だけでなく公的にも重要という事でさらに言うならば、いくら子供が欲しいからと言って社会の公序良俗に反するやりかたをしてまで子供を作ることを、おおっぴらに認めてはいけないということです。
その一つが婚外子というやつです。これは家族を破壊します。家族の破壊と家庭の崩壊は社会を乱して、ゆくゆくは国を滅ぼします。
- 子育てに伴う義務(2)
もう一つ付け加えるなら、他人に自分たちの子供を産ませる行為も大いに問題ありです。代理母出産というやつです。ここまで来ると生物としての営みから完全に逸脱しています。社会の秩序、親子の意味などあらゆるものを破壊してしまいます。そうまでして子供を持とうとするのは、完全に個人のエゴでしかありません。
子供が欲しいと思っている人たちにとって子供ができないという事は本当に不幸で辛いことではありますが、しかしだからと言ってそこまでして子供を持つ権利は誰にもないと思います。我が家もなかなか子供ができないのでその辛さはよくわかりますが、社会に迷惑をかけてまで、社会を混乱させてまで子供を持とうとするのはエゴです。
私は仕事柄、生物学とか遺伝子とかについて普通の人よりかなり詳しいほうです。その私からみて、この代理母というのはかなり滅茶苦茶です。自然に考えるならば、産んだのが母親です。
オスとメスが一切交配せず、他人から産まれた子供を「これは純粋に自分たちの子供であり、我々は他の親子と変わらぬ親子関係にある」などと言い張るのは無理があります。
受精卵はたしかに夫婦由来のものですが、受精行為はシャーレの上で行われ、それ以後の発生過程のすべてを別の女性の胎内で行い産まれてきた子供は一体だれの子供か。
自分の卵子由来でなくても、代理母は普通の妊娠とかわりなく胎内では胎児が生育してゆきます。代理母は自分の子供を妊娠した時とまったく同じように体が変化して、さまざまなホルモンが分泌され、胎児が成長してゆきます。
そして胎児も代理母の影響を強く受けます。その時の代理母の精神状態、食べ物、周囲の環境の影響などを大きく受けて胎児が育ってゆくのです。人間の発生過程の基本的部分は設計図であるDNAの遺伝情報によって決められるのはその通りですが、しかし同時に、人間は小さい頃ほど周囲の影響を受けて育ちます。特に胎児の頃の影響は大きいのです。
そして、産まれてきた子供の血や肉や骨や体液のすべては、代理母によって分け与えられたものです。代理母が生みの母であることには違いないのです。
しかし、代理母が男女の交わりによって妊娠したわけでもなく、遺伝情報も自分由来ではない、普通の母親とも当然違うわけです。しかし、上で書いたように、まったく母親と言えないかというとそうでもありません。
ようるすに、産まれてきた子供は親子関係が混乱したものになってしまう、このような親子関係を一般に認めてしまっては、他人と身内、血縁関係と親子関係といった区別を混乱させて家族の定義をあいまいにしてしまう、社会の秩序がもう滅茶苦茶になってしまうのです。
誰であれ、社会の秩序を乱してまで何でもできるという事が認められるはずはないのです。
- 子育てに伴う義務(3)
そしてさらに、「子供を(一人前の人間に)育てるのは公的な義務でもある」という発想で考えるなら、もし自分の子供がとんでもない人間に育ってしまい、成人をすぎてしまってどうにも矯正不可能であり、このまま生かしておいては間違いなく社会に重大な害悪をなすとわかったときには、親の責任として自分の子供を始末するくらいの覚悟が必要だと私は思います。
- 現在の少子化対策は見直すべき
いずれにしろ、子供を増やすことを手放しに礼賛すべきではありません。少子化対策のその多くは男女共同参画とかジェンダーフリーとか家族の破壊など、サヨクイデオロギーに利用されるだけであり、それらはむしろ子供を減らす、健全な家族を破壊して社会を混乱させるだけのものだと思います。
ところがこの男女共同参画には莫大な税金が投入され、左翼の利権となっています。こうした予算投入を即刻停止し、そのぶんを子供の教育にまわすべきだと思います。
それから少子高齢化による当面の労働力の不足は定年退職者の雇用継続と(ただし、あくまで非正規雇用として若者の職を奪わない形で)、出稼ぎ外国人労働者の受け入れ(移民はダメ)でなんとかしのぐべきです。今の60歳前後の人たちは、政治的にはサヨクが多いですが、しかし熱心にバリバリ働くものすごい元気な人が多いです。
老人医療費や介護・年金費用は、少子化ですから子供に金がかからなくなるぶんをまわせば済むことです。人口が減り、老人が増えて若者が減るわけですから、今後自分が治めた年金保険料よりの受け取る年金のほうが少なくなるのはあたりまえです。不足分は、保険料の増額または、子供を持たない家庭に増税して(というか、基本的にはすべての家庭にまず増税して、子供の多くいる世帯ほど減税をする)そのぶんをまわせば良いと思います。それでトントンです。
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■[社会] 老人の医学部入学は税金の無駄遣い
ところで、上のエントリーで老人の再雇用とか社会貢献の必要性について書きましたが、このニュースにある老人の場合についてはあまりに自分勝手すぎると思います。
筆記試験で合格者平均点を上回りながら、面接で高齢を理由に不合格にされたとして、群馬大医学部を受験した東京都目黒区、主婦佐藤薫さん(56)が同大を相手取り、入学許可を求めた行政訴訟の判決が27日、前橋地裁であった。
松丸伸一郎裁判長は「年齢により差別されたことが明白とは認められない」などと述べ、原告の請求を棄却した。
同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。
訴えによると、佐藤さんは同大医学部医学科の05年度の入試で不合格となったが、大学に得点を開示請求したところ、筆記試験のセンター試験と2次試験の合計点は合格者平均より10点以上高かった。
(読売新聞) - 10月27日13時4分更新
学校法人の多く、特に大学など間違いなく文部科学省とか国から多額の補助金を受けていて(医学部となると、さらに厚生労働省あたりからも補助金とか研究費とかを受けているんじゃなかったかな?)、とにかく教育というものにはかなりの税金が投入されているのです。
日本は資源がない国だから人間が資源であり、これは当然のことと思われます。話はずれますが、だから他の国よりも教育には金もエネルギーもそそぐべきなのです。今は逆のことをしているみたいですが。
医学部ということで言えば、私立大学の医学部は学費が高いですが、それでもやっぱり医学教育には金がかかるので、学生から集める学費だけでは全然足りないから、私立と言えども、かなりの税金が投入されている事にはかわりありません。群馬大は公立かな。
いずれにしろ、医学部の教育というのには莫大な税金が投入されているのであり、医者を育てるのに(具体的な数字は調べてないのでわかりませんが)かなりの税金を投じてようやく一人前の医者ができるということになるわけです。
それなのに、56歳の婆さんが医者になって、一体何年医者として働けると言うのでしょうか?働けるのはせいぜい数年でしょう。
数年しか医者として働けない老人を大学の医学部に入れてしまって、そのぶん若い学生を排除してしまったのでは、かなりの社会的損失になるということが、どうしてわからないのでしょうか?
それに、見た目はヨボヨボの老人なのに、実はなりたてホヤホヤで未熟な新米医師になんか、誰がみてもらいたいと思うでしょうか?少しは患者の立場になって考えてみて欲しい者です。
この婆さんは、どうやら大学医学部に入るのも医者になるのも、「自己の実現」のためだと認識してしまっているのではないでしょうか?
それじゃあダメでしょう。医者には公的な側面、「社会のために役立つ人材になる」という側面があるからこそ、医学教育には莫大な税金が投入されているのです。
そういう事をすこしは考えて、いい年こいて医者になろうなんて、社会の役に立つどころか、大迷惑でしかないわがままを言うのはやめて欲しいものです。
まあ、「税金の無駄遣い」については最近どうも過剰に言われすぎなように思いますし、これが錦の御旗になってしまって、歳出削減や規制緩和に「官から民へ」が暴走しているように思いますが(そのくせ財政健全化にはまるで効果がない)、でも、この件は明らかに未然に防げる税金の無駄遣いだと思っいましので、ちょっと書いてみました。
少なくともこのオバサンやオバサンの入学を認めろと言っている人たちに、行政による税金の無駄遣いを批判する資格はないでしょう。
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