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2006-12-28
■[雑感] のだめカンタービレ
さて、ほとんどアクセスがなくなった頃にひっそりと政治以外のことを書くブログとして再出発。
最初の話題としては、ひさしぶりに通して見たテレビドラマのお話を・・・。
以前まで月曜の夜9時には「ビートたけしのTVタックル」を見ていたのだが、なんだか飽きてきたのと、あれによく出ている若手議員(路上キス男G.H.とか、他に口先男たちI.Y、T.K、H.Sなどなど)が生理的にどうも受け付けないので見なくなっていた。西村眞悟も出なくなったし。
そこにたまたま「のだめカンタービレ」というドラマが放送されるようになったので、第一回を見て面白かったと言う妻につられて、私は放送第二回から見てきたが、なかなか面白かった。先日、最終回で終わったが。まあフランスへロケに行くのも難しかろうから、実写ではあそこまでが限界だろう。
来年早々からアニメが放送版されるようだが、アニメはどうしようか。迷うところだ。
このドラマはマンガが原作で、クラッシック音楽をテーマにしたドタバタ喜劇になっている。たしかに描写やストーリーもマンガ的なところが多かった。
もともとクラッシックが好きなトロンボーン吹きで(妻はバイオリン経験者)オケの経験もある私には、オケの話ということで、なかなか面白かった。
出ているタレントにジャニーズは一人もいない。最近ではめずらしい。そのぶん無名な役者ばかりが多いが、でも結構よくできている。だから良くできていると言ったほうが良いか。
まあたいして演技が上手いとか下手とか気になるようなドラマではないので、その点も気楽に見ることができるし、何よりジャニーズ系が出ていないのが良いのだ。
私はどうもジャニーズ・アレルギーが強い。ジャニーズ・タレントが幅を利かせすぎたいるために、ミュージシャンも役者も浸食されて、音楽もドラマも映画もみんなダメになっていると思う。
このドラマは当初TBSで放送予定で、上野樹里の主演はかわらないが、男優のほうはジャニタレになる予定だったとか、テーマ曲がJ-POPになるはずだったのが、原作者がそれにNOをつきつけて、放送はされなくなったようだ。(こちら参照)
それをフジテレビが放映権を買い取って、原作者の意向をきっちり汲んで、テーマ曲もベートーベンの交響曲7番とガーシュインのラプソディー・イン・ブルーといういちおうクラッシックにして、内容も原作に忠実に映像化されている。
それにしても、あれは原作がマンガということだが、音の出ないマンガでよく人気が出たものだと不思議に思う。
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演奏することを楽しむことが音楽だ、みたいな主張には違和感があるが、まあでもコメディだから気楽に見ることができるし、オケの経験もあるので、見ていて結構面白い。
しかし、自分のオケの体験から言って、単純に「演奏が楽しい」とかそういうレベルではやっていなかったなあ。
あと、オケでは結構「厳しい練習」をしていたが、これが一番辛いわけではなかったなあ。
練習はいくら厳しくてもそんなのはたいしたことない、というか自分のイメージ通りの音が出せなければ自分から厳しい練習をするのはあたりまえなので、方法論の問題だけだ。
私が一番厳しいと思ったのは「競争」だ。
私のいたオケはステージに乗れるメンバーを年功序列ではなく、完全な競争で決めていた。
弦楽器はたくさん人数がいたのでだいたいステージに立てたが(それでも下手だと首を切られエキストラと変えられたりもした)、トロンボーンは1曲にせいぜい3人しか枠がないので、主要メンバーは4−5人もいれば十分ということになり、かなり厳しい競争を強いられた。
トロンボーン経験者というのは結構多いから、だいたい毎年5−6人は入ってくる。その中で、すでにステージに乗っている上級生よりもうまければ、すぐにチャンスはあるのだが、逆に言えば、いつまでたってもステージに乗れないほうが多数になる。
また、留年するほうが一般的で、みな4年で卒業しない人間ばっかりなので、かなりの技量を身につけて君臨している5年生、6年生が主力として現役バリバリで活躍している。
私の場合はラッキーなことに2年の前半からステージに乗ることができたが、しかし自分もいつ後輩に追い越されるかわからないから、いつもヒヤヒヤしていた。
そういう気持ち、いつ自分の地位や立場が失われるかもしれないという焦りに比べたら、少々のシゴキや厳しい練習など、どうってことない。
普通はそうやって切磋琢磨しているうちにどんどん技量もあがって、後輩に追い抜かれるということは滅多にないのだが、私の場合は3年の時に父が亡くなったり、一つ下に才能ある後輩がいたりで、4年の後期にはついに後輩に追い抜かれて地位を失い、ステージに立てなくなってしまった。
まあおかげで4年の後半から必死で勉強したので、大学院の試験にも合格して、無事4年で卒業できたが(これは奇跡と言われた。昔はお願いしに行くとそれだけで単位をくれる先生がたくさんいた)。
だから人生にとってはあそこでオケの地位を失ったことはプラスになったのだが、しかしかなりのトラウマというか屈辱になっていつまでも心に傷として残っていたのは確かだ。
まあ結果として私個人にとっては屈辱の体験だったけれども、しかし、高いレベルの音楽を目指そうとすれば、個人の技量の高さというのはどうしても重要になってくるし、目先の楽しさだけ求めて仲良しクラブみたいにやっても意味がないという感じだったので、あれはあれで良かったと思っている。
音楽でもスポーツでも何でもそうだが、ああいう高いレベルを目指してそれを示すようなものは、どうしても弱肉強食・優勝劣敗の競争は避けられないものだと思うし、必要不可欠なものだろう。
しかし、最近は、普通の経済活動にまでその弱肉強食の世界にしようとする人が多いみたいだが、これは反対だ。経済というのは人々の生活の手段なのであって、多くの人間というのは特に才能もない平凡なものだ。
そういう多くの平凡な人々が幸せに暮らすためには、そこそこの競争にとどめておくべきだろうし、何が何でも競争して勝敗をきめなければならないというものではないはず。
音楽やスポーツは高いものを目指すということが目的だが、経済活動は生きてゆくための手段にすぎない。そこをごっちゃにしてはいけないだろう。
しかし、最近はむしろ、芸術やスポーツでガチンコに競い合って高いレベルの理想を目指すのではなく、それらを低レベルのショーとしてたんなる商業活動の一種に貶めている一方で、人々の生活手段でしかないはずの経済活動を弱肉強食の世界にしようとしているような気がする。
って、結局こういう話になっちゃうのね・・・。

















