なんか長くて足が生えてるやつ

とっ散らかった文章の場。夢 感想 メモ 脳内 日常

今年やったPCゲーまとめ

とりあえず1時間以上やったゲームを数行の説明・感想とともにまとめる

ストア貼り付けや個別感想は後で

Steam

Cell to singularity
 世界創造クリッカーゲー
 生命のスープからシンギュラリティまで
 無性にやっちゃうやつ
 無料ゲー

Typoman
 道中に落ちてるアルファベットを使って英単語を作って世界を変えつつ進むアクションゲー
 面白いですけど簡単な英語力いる感じ

 
Batman Arkham Knight
 バッドマンアーカムシリーズの最終作
 今作の追加点のバッドモービルが操作性といいクエストといいだるくて苦痛だったけどストーリーは面白かったな
 バッドマンかっけー
 

B100X
 ハクスラっぽいオート操作のRPG
 周回させてコツコツ自分好みの装備を育てる
 

ダンガンロンパ
スーパーダンガンロンパ2
ニューダンガンロンパV3

Detroit
In Other Waters
Loop Hero
One Step From Eden
The Swapper
Cookie clicker
Her story
ElecHead
Legal Dungeon
Noita
Omori

Xbox game pass

ドラクエビルダーズ2
ASTRONEER
CYBERSHADOW
Slay the Spire
HOLLOW KNIGHT
NieR:Automata
ドラゴンクエスト11
SABLE
OCTOPATH TRAVELER
Crown Trick
HADES
unpacking
DICEY DUNGEONS
VA-11 Hall-A
TOWN SCAPER
MINECRAFT

“アフターコロナ”を思考する

いわゆる”アフターコロナ“について思考する。

全世界的に多くの人々が対面しているであろうCOVID-19の感染またその拡大に関する脅威。

早期の収束を願うけれど、まあいつまでかかることだろうか。特になんの情報もなく適当なことをいうけれど、出来れば後5年くらいのうちに収まってくれないかなあなんて思っている。

また特に学習したわけではないけれど、
まあ”0コロナ“が訪れることはないだろうと思われる。インフルエンザなんかと同じような扱いができるようになれば万々歳だ。予防ができて対処が出来るようになればなあ。

とはいえ、こんな話はこの度の思考しようとしていることの本筋からは大きくずれているのでここらで置いておく。

今自分が思考しているのは、COVID-19の感染拡大またその影響が収束したとして、はたして人々の生活はCOVID-19の流行以前に戻るのだろうかということだ。

マスクの着用、手洗いうがいの徹底、三密の回避、外出自粛。今では耳馴れてしまったけれども、これらの言葉が指し示すものはなんだろうかと考えると“人は汚い”ということだろう。

強調の意味も込めてあえて強い言葉を使ったけれど、実際飛沫や空気など人が原因となってウイルス・病原体が感染する。そんなことは当たり前にみんな知っていたけれども、COVID-19の流行で目の当たりにしてそれこそ肌感覚で体験したわけだ。人は汚い/感染源だと。

そして今までの生活はなんて無神経だったのか、リスクと共にあったのかということにも気づく。実際インフルエンザの罹患率も減ったりしているわけで。

そんな体験をした後で、何もなかったみたいに元の生活に戻るのだろうか。

感染拡大を防ぐという名目で、マスク越し・透明なカーテン越しでの接客、混雑した電車の回避のための車通勤、トレーを介した金銭の受け渡し、こまめなエタノールでの消毒などなど、挙げて行ったらきりがないけれど小さな変化はたくさんあった。

そしてそれはさっぱり消えて無くなるのだろうか。

いわゆる“新しい生活様式”がそのまま残り続けることはないと思う。ただ知ってはいたけれど気づかないふりをしていた“他人”という感染源に対するうっすらとした忌避感と、感染源となりうる自分、それに対する対応は、“コロナ以前”と同じにはならないと思う。

それがいいとか悪いとかそういうことではないし、ただそう思う。

まあ確かに喉元過ぎれば暑さ忘れることもあるけどね。

何はともあれみんな楽しく過ごせるようになればいいなーと思います。

作品と作者

作品は作品として、その作った人とは分けて考える。

 

例えば幸せな風景を描いた物語が、作者がとても幸せとは言い難い時代を過ごした最中に作成していたとして、「これは作者の願望を描いたもので、それゆえにこれは悲しい物語なのだ」という読み方はしたくない。

 

例えばとんでもなく非道な行いをした人が、とても美しい詩を歌ったとして「この人物は最低なのだから、この詩も最低である」とは言いたくない。

 

例えばある映画に監督がこの作品に平和への祈りを込めたと語っていたとして、「監督がそう語っていたのだから、そう読み取れないのはおかしい」とは思わない。

 

もちろん作品に作者の思想、バックグラウンド、その時代、環境などが影響を与える/与えてしまうことは理解している。

 

作者に価値がないと言いたいわけではない。

 

作品をどう受け止めるかは読んだ、聞いた、見た、感受した側に依存する。つまり感受する側と作者が同一ではない以上、どのような人物がどのような世界を生きてどのような思いでその作品を作り出したのかということは知りようもなく、全て受け取り手の想像に過ぎない。

 

清廉潔白に思われる人が、その内で何を思い過ごしているかは分からない。またその人の一面だけを知ったような気になってそのほか全てを断ずることは出来ない。面白くと思わずとも、悲しく感じていたとしても、怒りに満ちていても、美しい言葉で話して顔では笑うことも出来るのに他者が真に考えていることなんて分からない。

 

結局のところ、他者は他者であり、自分は自分である。

 

自分の感受したものを、作者ないし他者の感性に影響を受けて解釈、評価することを好まない。同時に自分の感性という枠組みで他者を定義することも高慢であると感じてしまう。

 

時には作者はこの作品を作る時にこんなことを思っていたのではないかと空想することはある。作者の思いに寄り添っていると夢想する。ただ、思う。それだけだ。

 

自分はこう感じたのだ。こう考えるのだ。それだけは正しく、否定されようもない。言い換えるなら、自分が感じた全て、考えた全て、それ以外はなにも分からない。

 

作者に対し、最大限の敬意を払い、作者と作品を切り分ける。

 

そうして、自分はいる/いきたいと考えている。

 

起床から職場まで

目を開ける。

はっとして頭の横あたりに手を伸ばして、iPhoneをとり、時間を確認する。

アラームが鳴ってないと慌てるが、もう一度画面を見直してアラームをセットした1時間前だと気づいて身体の力を抜く。

カーテンのない窓から薄ぼんやりとした光が入ってきている。

そのままぼんやりとアラームが鳴るまで、寝具として使用しているハンモックに横たわったままスマホを眺める。

湿度が高いなと思い、30分後のオフタイマーをセットし、エアコンを起動する。

1回目のアラームが鳴る。

鬱陶しいなと思いつつアラームを止め、少し伸びをした後またスマホの画面を眺める。

2回目のアラームが鳴る。

再度アラームを止め、起き上がりハンモックから降りる。

適当に衣服を取り出し、着替え、洗面所に向かい顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。

キッチンの換気扇のスイッチを押す。

一服する。

財布とiPhoneとモバイルwifi、その電源ケーブルを確認し、バックに入れ手に持つ。玄関を出る。

蒸すような暑さを感じ、すこし気が滅入る。

鍵をかける。

アパートの階段を降りる。

近所で飼われていると思われるニワトリが鳴いている。

階段の途中で、外に落ちそうだな。ここから落ちても死なないかななどととりとめもなく思う。階段を降り終え、砂利を数歩歩き、自分の車に乗る。今朝方の雨で、運転席の下に位置する地面がぬかるんでいる。

ハンドルを思い切り右に切り、駐車場を出て細い道に出る。近隣住民の路上駐車をゆっくりと避けつつ走る。よくは知らないが学校が近いのか小学生が多く歩く道だ。低速で進む。2、3分も進むと大通りに出る。

そこから1kmほど走り、コンビニの駐車場へ入る。車に置いてある箱からマスクを取り出してつけ、店内に入る。一直線に進み1Lの烏龍茶と、ベーコンとチーズの乗った菓子パン、おにぎりのはいった弁当を買う。朝は飲食について考えることが面倒に感じ、いつも同じものを買う。

車に戻り、アルコールティッシュで手を拭い、パンを齧り発進する。

広い道を直進し、しばらくすると制限速度30kmの集落に入る。

通学児童が多く、道も狭いので気を張りながら進む。

少しすると田畑に面した道に出る。

窓を開けて、風を入れつつ進む。

前を農業従事用の車が走っている。

そのまま進むと、山道にでる。

木や轢かれた鳥や蛙を避けつつ進む。

窓を閉めて、ライトをつける。

800mほどトンネルを進む。

カーナビの時間を確認する。

いつもこの辺りを通過する時は

始業15分前だなと思う。

トンネルから出て、ライトを消す。

緩やかなアップダウンのある坂を進む。

T字路で一時停車し、右折する。

大きく緩やかにカーブを描いた坂を登る。

車道を亀が歩いていたので避ける。

海が見える。今日は凪いでるなと思う。

左折し、門を進む。

高校の修学旅行の記憶

最近過去を忘れていくなと感じているので、

今覚えてるうちに書く。

 

高校の修学旅行は確か2年の時に

沖縄・那覇に行ったんだった。

自分の高校は2年から文系理系でクラスを分けて編成されるんだけれど、自分のとこは理系と文系のまぜこぜのクラスでまあ余った人の寄せ集めだったんじゃないかと思う。

 

同じクラスでも文系寄りの人と理系寄りの人は受ける授業がまるきり違う。

 

なんなら同じ理系でもこの授業は取るけどあの授業は取らないみたいな状況が発生していたから、全員共通なのはHRとLHRくらいだったんじゃないだろうか。後、体育?でも体育も取る競技によっちゃあ接しないな。

 

そんなわけで同じクラスでもあんまり関係性を築く場がなく、なんなら同じ授業受けてる違うクラスの人とのが接する機会も多い。

 

クラスの中にも仲はいい人はいるけど、全体としてはそんなに仲良くはないよねっていう状況だった。

 

んなもんで、修学旅行の班分けは難航していたように思う。

 

自分はまあ誰とでもそれなりに、

ただ親しいかと言われるとそれはまあという感じだったので、結局のところなんでもいいやーと思っていた。

 

そんな感じだった。

 

修学旅行初日、夕方に那覇につき、ビジネスホテルに泊まった。

 

部屋に飾られた絵画の後ろにお札が貼ってあった。

 

翌日は到着2日目の平和学習。

祈念館と防空壕に行ったんだったと思う。

 

防空壕にバスが着くと、何人かの生徒が入れないとか気分が悪いとか言い出していた。教員が無理そうな人はバスで待機しているようにと声をかけていた。

 

中は広く、薄暗く、じめっとしていたと記憶している。

 

その防空壕の中で、ご年配の方が戦時中の話をしてくれていたのを聞いていたのだが、肩に当たるものがあった。

 

クラスメイトのなんかの部の女子マネの顔だった。私もう無理とか心霊的なものが見えるとかボソボソ言いながら何故か自分の肩で泣いていた。

 

特段親しかった訳でもないし、暑苦しくて鬱陶しかったし、肩が濡れるのが不快だった。

 

外に出たらいいのではと声をかけたが

無理、無理と言いながら強く肩に顔を押し当ててきていた。

 

今ならまあ感受性の強い時期だし不安定になる人もいるかなとまあ受け流せるが、当時の自分はただただ面倒だしイラだっていたように思うがそのままにして置いた。

 

そんなこんなでホテルに戻ると、まあ小競り合いの起こること。男女問わず色んなところで揉め事が発生していた。

 

その時も、そして思い返した今でも下らないことが原因だったと思うし、高校生なんて一番性格の悪い時期なんで、初めて朝晩と一緒に入ればこういうこともあらあなと思う。

 

とはいえ関わるのも面倒で、すぐに寝た。

が、起こされて、何人かの人々がなんだかんだのアイツが悪いだコイツがどうだと言い立ててるのを聞かされて、嫌になって他のクラスの野球部の友人のところでトランプなどをしていた。

 

その翌日、班ごとにタクシーで観光する日だった。どこに行ったとか、あまり記憶がない。

ただ車内の空気は最悪だったのを覚えている。

 

まあ他のクラスの友人のところにいたので

知りようもなかったのだが、その晩同じクラスの人々は大いに喧嘩をし、そして何個かの派閥に別れたようで、班員も例外ではなかった。

 

正直面倒だなとしか思っていなかったし、

関与することもなかった。何かを言われても、そっかーとかへーとか言ってたと思う。

 

結局、同じ班の人たちは一日中喧嘩状態を継続していたし、自分がどっちつかずな態度を取ることに腹を立てている人もおり、最終目的地兼集合場所である水族館に着くとそれぞれの派閥に別れて移動していった。

 

ようやく自由になれたなあと思っていたが、

1人俯いて泣いている女子が自分の服の裾を掴んでいた。特に何かを話す訳でもなかった。

 

歩くと後ろについてくるのでピクミンみたいだなと思った。

 

させるがままにして、水族館を見て回った。

小さめの水槽はまあ特に普通だなーと思っていが、オニイトマキエイの水槽はすごかった。水槽前の段差に座り、かぶりつきで見ていた。こんなにも大きな生き物が、ひらりひらりと華麗に泳ぐのか。まさしく圧倒された。いつか自然で生活する彼らを眺めに行こう。そう決めた。

 

時折前を通る同じ学校の生徒が、怪訝な顔でこちらを見てきたり、声をかけてきたりもしていた。それはまあそうだろう。1人は水槽をずっと見てるし、もう1人はずっと俯いて泣いている。この日もまた肩は濡れていたが、気にならなかった。3、40分そうして見ていた。

 

その後、人が多くなってきたのでショーも終わりひと気の少ないイルカの水槽を眺めたりなどして時間を潰していた。

 

その次の日だったか、帰りは羽田だか成田だかで解散した。

 

さーて帰るか、と思ったら

ちょっと話を聞いてと水族館で泣いていた女の子に捕まって空港のスタバかなんかで2、3時間拘束された。

 

まあさすがに泣いてるのを声もかけずに

ずっとそのまま放って置いて水族館を

エンジョイしてたのはちょっと悪かったかなと思ったので、しゃーないから付き合うかと

思っただけだったのだけどその出来事でなんか心を許してくれたようだった。

 

人って分かんないなーと思った。

 

今思えば、高校の時の自分は

興味ないことや人に対して雑すぎだと思うし、色々尖りまくってたと思う。

 

端的に言えば、人生の中で最も性格最悪だったな。

 

それでも今も付き合いのある人が2人もいるのは驚きだ。

 

あの時水族館で泣いてた人はその中の1人だ。

 

色んなこともあるものだなと思う。