松浦亜弥までの道のり6

やっぱり音楽はナマがいいですね。今日改めて感じました。
ダック少年がバンドみたいな事をやっていた頃はキャロルが無くなっちゃったんで他の日本のロックもけっこう聴いていました。
昭和51年の大晦日、浅草国際劇場でのニューイヤーコンサートも参戦しました。
一番のお目当てはジョニー大倉だったんですが、最後に出てきて、なんだかラリってんだかヨッパラってんだかフラフラで、ろくに歌わずにステージでアンプとかぶっ壊して暴れて引っ込んでおしまい。最低。
他は金子マリバックスバニー、クリエイション、紫とか、あとcharも出てた。(記憶がおぼろげ)
たしかコスモスファクトリーだったと思いますが、ぶっ壊したストラトのネックを客席にぶん投げましたら、目の前に突然メイプルのネックが現れて私の額を直撃し、後ろの席の奴にちゃっかり拾われてしまいました。
「最初にボクの頭に当ったモノだからボクにちょーだい。」とお願いしようと思いましたが、振り向いた瞬間、青田赤道のような極悪ヅラに声が出ませんでした。
コンサートの帰りの銀座線の中で車窓に写った自分の顔を見て再度驚き、おまけに当時はとても高価だった兄貴のダウンベストの羽毛をそこらじゅうに振りまいてしまい、反対側の額に兄貴のエルボー・スマッシュを食らいました。