Hatena::ブログ(Diary)

Rowing to another dawn.

2014-12-31

谷川雁 2014『不知火海への手紙』アーツアンドクラフツ

谷川雁研究会メーリングリストに流れてきて知ったのだけれど、先頃、谷川雁単行本未収録文章を集めた本が出版されていたらしい。どういう脈絡でこの出版が行われたのか、まったくアンテナに引っかかっていなかった。「不知火海への手紙」は1985年2月から86年7月にかけて月一度のペースで、熊本日日新聞に掲載していた故郷熊本にあてた書簡体の文章らしく、最晩期の『北がなければ日本三角』につながる仕事か。まだ読めていないけれど、谷川雁の前期と後期をより深くつなぐ手がかりになるかも知れない。

不知火海への手紙

不知火海への手紙

北がなければ日本は三角

北がなければ日本は三角

Amazonは一時品切れなのでヨドバシカメラに注文。やるな、ヨドバシ。

後期の文章を集めた、ということだけれど、最後の「山鳩」は不勉強にして知らないが「蒔く人・刈る人」の方は旧制五高時代の最初期の文章のはず。谷川雁の可能性はまだまだ充分に問われていない。来年はもう少し深く、腰を据えて彼の物語論へ切り込んでいきたい。

とりあえずは机の上に置きっ放しになったままメーリングリストに投稿できていない未刊行資料の整理から取りかかるとしよう。それが元旦の初仕事というわけだ。

2014-12-05

上野英信『眉屋私記』復刊

サークル村メーリングリストを見て、上野英信の『眉屋私記』がこの11月に復刊されていたことを知る。旧版は持っているのですぐに飛びつきはしないが、潮出版社版にも通じる(というより明確に主題を引き継いでいる)美しいデザインに「炭鉱移民と辻売りで紡ぐ民衆史」なる解題がついているというなら遠からず手に入れることにはなるだろう。

三月に読書会があるようなのでそのときまでには再読しておく。できれば読書会には参加したい。

『出ニッポン記』の方は一時期何度も読み込んだのでよく覚えいてるのだけれど、こちらは一度読んでそのままになってしまっている。

眉屋私記

眉屋私記

『出ニッポン記』は今は新刊では手に入らないのだろうか。まぁ、こちらは版を変えながらそれなりに数が出ているはずなので、図書館などにも入っていることは多いだろうけれども。

2014-11-03

病膏肓に入る / 谷川雁 1977『工作者宣言(署名入り)』潮出版社

私は基本的に初版だとか稀覯本の類いに興味が無く(たしかにその版だけが持つオーラがあるのは認めるので一概に否定するものでもない)、どれかのバージョンで読めればよいと思う人間なのだ。といいながらすでに別の版でももっているし収録文章の大半が別のアンソロジーに入ってもいる『工作者宣言』の潮出版社版をあえて買っている時点で、なんの説得力も無いな。

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なんで潮出版社版のそれも初刷でもない第2刷をわざわざ買ったかと言えば、石牟礼道子によるしおりが入っていてそれを読みたかったとか井上光晴の推薦の言葉のかかれた帯に惹かれたというのも嘘ではないが、正直に言えば、この見返しの一頁のためだけに買ったのだ。

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本人自筆。いよいよ私の病も膏肓に入ってきたらしい。谷川雁だけは別なんだ…というわけでもないのだけれど、やはり説得力が無いな。

ひらがなの「せ」に変体仮名的な特徴があるが、むしろこの場合はメッセージを送られている相手の「高橋康雄」が誰かという話なのだけれど、これは潮出版編集者で『潮』誌の編集長も務めた高橋康雄という人物ではないかと思われる。

直接の担当が高橋だったのかどうかまではわからないけれど「お世話になった」と書く相手に贈るのが第2刷というところが興味深い。初刷が昭和52年3月25日で2刷が4月15日、なんと一ヶ月もたたないうちに増刷されているのだ。70年代の終盤において、雁の"沈黙"がどれくらい存在感を放っていたのか、という話になるのだろうか。

同じ古書店がまとめて谷川書籍を出品していたので、おそらくどれも高橋本人の蔵書だったのではないかと思われる。

こういう形で書籍というのは散逸していくのだなぁと思うと、少なくとも自分が価値があると思っていてそれが思い込みでないと自信を持って言えるものは、キチンとどこに行くかその落ち着き先まで決めておかないといけないのかもしれないなぁ。

私の手持ちでは、とりあえず谷川雁関係、特に八木版「無の造形」ということになるか。しかしこれももういくつかの公的な図書館に収蔵されていると思われるし、集めた情報は基本的に研究会メーリングリストに投稿しているので、これからもその姿勢を続けていく、というのを継続していくことが大事と言うことか。

2014-11-02

五島が五島を撃った -本島等様- / 谷川雁 1992 『極楽ですか』

先の長崎市長、本島等が亡くなった。

松本さん(松本輝夫)が雁研のメーリングリストに投稿していたので気がついたのだけれど、谷川が『極楽ですか』で本島に向けて「五島五島を撃った」という手紙形式の一文を書いている。

極楽ですか

極楽ですか

発刊は92年だけれど、発表は九〇年四月の文章なので、銃撃事件の直後と言って良いだろう。

当時この文章がどれほどの射程を持ったかと言うことは甚だ心許ないが、下敷きになっている谷川雁五島体験というのはその内容からしても単行本未収録のままになっている『太陽』掲載の「五島玉之浦の聖夜」で、友人から聞いたという原爆浦上に落ちたから良かったと語る老婆たちのエピソードは、おそらく同時期に長崎を訪ねたと思われる森崎和江の「うらがみ -信仰に生きる女の話-」(雁と同じ号の『太陽』掲載)にまとまる話に違いなく、それはちょうど1990年刊行の『私の尊敬する人』に収録される「『浦上だからよかった』 -あるお婆さんの一言-」に昇華されるエピソードだ。

私の尊敬する人

私の尊敬する人

してみると、谷川健一が弟の援助のために割り振った仕事ぐらいに思っていた「五島玉之浦の聖夜」は、30年近くたってなお雁にとって詳細に振り返るに足る仕事だったのだろうか。だとすれば、その仕事が年表から抜けてしまっているというのは、やはり大きな問題に思える。

2014-11-01

好きにするのが良いのだ、心から / Appleのティム・クックCEOがゲイであることを明らかに

成人同士の関係である、というのが前提として。

男が好きだろうが女が好きだろうが、爺が好きだろうが婆が好きだろうが、むしろそういうのになんの関心も持たなかろうがすべて、個人の趣味でしかないと思っている。好きにするのが良いのだ。

私自身は大枠ではヘテロセクシュアルということになる。自然を見渡せば、むしろ多様性こそが生物の原理なのであって、男女/女男の関係を選択するのは趣味の問題だが、多数を正義と読み替えて他を弾圧する身振りは如何なものか。

私自身はヘテロであるにしろ、たとえば同性婚を認めない理由が理解できない(異性愛だろうが同性愛だろうが、結婚しなければならないと言っているわけではない。だったら、アラフォーのお一人様の私は立つ瀬が無い)。

その一番の理由は、ぶっちゃけ多様性よりも何よりも、お一人様の時代のいまどきにパートナー関係を結んで生活コストを好きこのんで下げてくれるような物好きたちに行政的なサポートを積極的に行うのは当たり前のことなのではないのかと考えられてならないということだ。

そういうパートナーシップの一種として結婚があって、それが異性愛であろうが、同性愛であろうが、まったくかまわないと、そのように再構築して良いのではないかと思うのだが。そういうパートナーシップを結んで、さらに養子でも何でも次世代の育成を積極的に引き受けてくれるようなさらなる物好きが出現したら、当然のごとくそれは支援されるべきで、その優遇を差別だというのは当たるまい。

同性愛を認めると結婚が脅かされる云々という言説は論外だ。その程度に弱い関係なら最初から結ばねばよいのだ。というか、こういうと伝統的結婚ガー、と叫ぶ層は、現代の"結婚"がほんの6-70年前、さらに1世紀前の結婚とまるで意味も形態も変わってしまっていることに無自覚に過ぎる。

繰り返すが、むしろ積極的に結びたい人たちをこそ、行政はサポートすべきである。そのほうが国家運営のコストは明らかに下がるのだから真に国家の有り様を考える国家主義者こそ、このあたりを積極的に検討すべきではないのか。

もちろん、そういう関係を結びたくない、というありようも当然尊重されねばならない。そのうえで優遇されるかどうかは、政策の問題だろう。

ぶっちゃけ、私に好意を持ってくれた人物がいたとしたら、それが男性であれ女性であれというかどんな性別であれというか、性別なんざどうでも良くその好意には応えられないとしても、だれかを好きになるという大変な熱量をわざわざこの私に向けてくれたことには、ただただありがとうと思うだけだ。

誰か/何かを好きになるってのはそれだけですばらしいことなんじゃないのか。

ティム・クックに幸いあれかし。智恵の実をアイコンとする企業のトップとしてはむしろふさわしい。かつてAppleリンゴ虹色に塗られていて、虹色こそは多様性のシンボルであったはずだ。

はやく、こういうことがニュースにもならない世界になれば良いと思う。

聖☆高校生 11 (ヤングキングコミックス)

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