日本のリベラル勢力よ,大人になれ

 最近のニュースで,経産省の敷地内にある反原発活動家のテントが不法占拠を行っているとして,経産省が訴訟を起こしたというものがありました。私もこの付近を仕事で通ることがままあり,その際いつも,ここの占拠は法律的にはどうなっているのかなあ,と考えていたのですが,やはり不法占拠だったんですね…

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013031500338

 このテントに掲げられているコメントやテントの雰囲気を見ると,「自分たちは正しい主張をしているのだから,政府は自分たちが(不法占拠という)リスクを冒してまで訴えていることをくみ取って,政策の転換を図るべきだ」というような,ある意味開き直りのようなものがあるように感じていて,それって例えば文化大革命時の中国でスローガンとされた「造反有理」と同じ過ちを繰り返してしまう道なのでは?と考えてしまいます(造反有理はいまでも反日運動では一般的ですかね 苦笑)。

 これに限らず,反原発を中心とした昨今のリベラル勢力の活動を見るに付け,もうちょっと上手くできないものか,と考えてしまいます。つまり,テントに限らず現在でも官邸前の金曜日デモなども続けられていますが,そのような示威的行動は初期に運動のモメンタムを付けるためにはとても有効だと思いますが,その活動を持続的に,また,世の中一般により広く浸透させるためには,合法的な政治活動,つまり政治による権力闘争に持って行かなければ,目的はいつまで経っても達成されません。理念の下に人々を束ねたり,全国の運動の受け皿として,その人々の思いを政治という権力にきちんと結びつけるすべを知らないし,そもそもそういうイメージを持ち合わせていなかったため,運動のための運動に堕してしまったのではないでしょうか。

 歴史的に見ても,(思想の軸は全く反対ですが)あのナチスでさえ,ミュンヘン一揆の失敗とそれに伴うヒトラー始め幹部の大量逮捕によって初期の非合法的な取組一辺倒のやり方は見直され,そこからは議会制度の中で如何にして勢力を伸ばし,行政組織に食い込み,国民を合法的に動かし,権力を押さえるかということに注力するようになったわけです(もちろん政党としての顔の裏には,親衛隊などの実力部隊による圧力・威嚇や,法律そのものの内容が問題となるよう事例も多かったわけですが…)。

 そういう意味では,日本未来の党といった動きも以前にはありましたが,結局党首を始めメンバーが組織のまとめ方や動かし方,あるいは権力の作り方・生かし方といったようなところがあまりにも未熟で,きれい事のかけ声だけを張り上げて惨敗しました。さらに言えば,民主党政権全体がそのような病に冒されていたと言えます。彼らは組織(党+政府(官僚機構))のまとめ方や動かし方に定見が無く,発言をすれば周りが勝手にフォローして世の中は変えられるとでも思っていたかのような政治・行政姿勢でした。そしてそれで政権が維持できなくなった結果,野田前総理は財務省のいいなりになり,自民党時代より遙かに政治が何もできない仕組みにとらえられてしまったわけです。

 この民主党の失敗についてもう少し考えてみます。民主党政権が証明したのは,権力無き理想はむしろ有害となり得ることだと思います。自民党の政策が全てすばらしいものとは限らないが,民主党はビジョンを権力に落とし込むことに失敗し,その結果何も決められなかった。例えば最近法案ができたインターネットでの選挙活動を認める公職選挙法改正についても,もともとは民主党の方が積極的で,政権樹立当初から原口総務大臣(当時)が真っ先に公約として掲げていたにも関わらず,民主党時代には何も動きませんでした。それが自民党になったらものの数ヶ月で法案として出てくる。この違いは,個々の議員の能力ということもあるかもしれませんが,理念を実現させるためのノウハウというか,価値観・考え方そのものが無かったからだと思います。その病が全ての行政分野にわたってしまい,政権全体がかけ声倒れ,パフォーマンスだけ,と言われてしまったのです。

 もちろん古代からこれらの問題,つまりリアリズムとユートピアニズムのバランスについて,は多くの議論がされており,リアリズムを突き詰めたものとしてはマキャヴェッリの君主論が有名ですが,もっとさかのぼると古代中国の戦国時代に著された「韓非子」という書籍も有名です。ここで著者の韓非は,国が滅びる兆候としていくつかの代表例を上げつつ,権力の安定,秩序の維持が無ければ,いくら美しい考え方やすばらしい政策,優秀な政治家,人間愛があっても世の中は悪くなることを説いています。要するに,友愛だけでは何も生まれないというわけです。私は理想(ユートピアニズム)が重要なことも理解できますが,最近韓非子を読んでこの点に強く共鳴し,すぐに民主党の失敗のことを思い出しました。

韓非子 (中国の思想)

韓非子 (中国の思想)

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 さて,民主党は政治スタンスで言えば,リベラル勢力の受け皿として結成され,政権を取った際には子供手当など新しい基軸の政策を打ち出し,自分も実は何かおもしろいことが起きるのではないかと期待していました。しかしその試みが失敗したことによって,大きな問題が発生しました。それは,日本にリベラルの受け皿が無くなってしまうかもしれないと言うことです。

 政党政治は政党が国民の意思を代弁する仕組みですから,政党にバリエーションが無いと,広い民意を受け止めきれないことになります。その結果として,最終的に政党政治の機能不全が起きてしまえば,その後の悲劇は歴史が語るとおりです。

 ただ,そういう「リベラルの挫折」的な現象は,おそらく多くの先進国でも既に経験されていることなのではないかと思いますし,それを克服した国もあるように感じます。例えば,英国の労働党も以前は産業の国有化など空論を掲げてばかりいた政党で,政権をたまに奪回しても大抵は一期でまた保守党に明け渡してばかりいました。しかしそれではダメということで,ブレアやブラウンといった若手の有望株を中心に自己改革し,「New Labour」として復活したわけです。もともと労働党にはエリートが多く理論的には詰まっていたが,権力を維持・強化することでその理論を初めて実践できる,というリアリズムの要素を取り入れ,そのために綱領の見直しや活動方法の修正,各構成員の意識改革などを行ったのです。このような流れは,ときに「頭でっかち」を表される,議論好きの民主党のカラーとも一致するものではないでしょうか。

 ですので,自分としては民主党を代表とするリベラル勢力には,もっと「大人になって」もらって,理想を見つつもより地に足を付けた政治活動をおこなってほしいですし,その過程で反原発などの人々のエネルギーを,デモでどんちゃん騒ぎするだけではなく,もっと建設的な方向に向けられるようにしてほしいと思います。それでこそ,自民党も負けじと切磋琢磨し,よりよい政治が生まれてくると思うのです。ただ,その歩みが現在の民主党という枠組みで行われるべきか,一旦整理統合されるべきかは,難しい問題だと思います。

 そして,そのために必要な手段の一つとして,中長期的な話ではありますが,日本の教育の中身を多少変えていく必要があるのではないか,と最近は考えています。例えば,リーダーシップやリアリズムについての理解を深めるような授業はあったでしょうか。問題の発見,解決などもいいけど,そのためにどういう手段をとるのか,どのように自分が先頭になって(口で言うだけではなく)人を動かし,まとめるのかという視点での教育は,部活動などで自主的に身につける以外,教育的工夫がなされていないと思います。

 そしてさらには,そういう感覚を自分で身につけた希少な人材は,そのスキルを生かすために大抵コンサバの側(自民党,霞ヶ関など?)につくため,リベラル勢力にそういう人材は集まらないという流れがあると推察します(リベラル側についても,理想論者ばかりの中で浮いてしまうだけなので…)。ですので,そういう人材の裾野を広げ,より広い範囲の思想にまたがった人材供給がなされるような教育の内容が必要と言えましょう。

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 話が発散してきてしまったのでこの辺にしたいと思いますが,数年後に大人になったリベラル政党が出てきて,我々国民に対し投票の選択肢を与えてくれることを願ってやみません。もちろん自分を含めた国民の側も,甘い言葉だけに乗せられることのないよう,大人にならなくてはいけませんね。