アーカイヴが紡ぐ未来:再連結する情報 : ICC



1.第二回
ICC連続セッションシリーズ。こちらで紹介した先週の第一回に引き続き第二回。テーマはアーカイブ。パネリストは、石田英敬中谷礼仁三中信宏


2.なかなかいい展開
今回は、先週よりも、かなり話しがうまくかみ合っていた感じで、丁度いい頃合いに生煮えな内容のテーマをそれぞれに少しずつ理解しながら展開するという感じで、とても興味深い展開。なので、今回は、内容をまとめると言うよりも、その内容を受けながら、いろいろと思索しながら展開しようと思う。


3.見える物、見えざる物
アーカイブというと、どうしてもデータベースとか、それに類する大量の書類を思い浮かべるけれど、まずは、アーカイブというものはそれだけではなくて、様々なところに、あえて残そうと意図しなくてもアーカイブとして存続しているという話し。ここがまず、個人的には、言われてみれば確かにそうですねという発見。地理的に残る痕跡であるとか、生物の形態であるとか。そして、それらのものは系統的に時間軸の中で伝達していく。そして、その時間変化と系統的な伝達が、家系図などで使用される樹形図によって表現可能であるという事。ただし、この樹形図表現が本当に現実を描いているのか、どうかというところはあって、むしろ理解しやすい表現形式といえるかもしれない。ネットワークでの表現が本来的ではあるが、ネットワーク表現では人間は理解不可能。そして、その理解不能な物の前に我々は時に統計学を持ち出す。おそらく、統計学とデータベース(アーカイブ)はこれからさらに大きな役割を担うと思う。


4.デジタルアーカイブ
ここからが、さらに面白い議論で、デジタル化によって爆発的に巨大化してかつアクセス可能になったデジタルアーカイブの出現。このことのよって、アーカイブそのものをいじり積み上げるというよりも、アーカイブの固まりをコントロールするという立場に人間が変わっていく。ただ、これをパネリストは危機感を持って捉えていた。アーカイブに包まれたときに、人間の存在意義とは。もし、人間が遺伝子という、そして、様々な知恵というアーカイブを伝達する存在であったとしたら、そして、その立場から、少しずつ引きずり下ろされ、アーカイブの中から何となく出てきた一部を利用するだけの存在となって、そして、そのアーカイブの固まりにむしろ振り回されはじめたとしたら。確かに、デジタルアーカイブによる人間存在の危機かもしれない。
一方で、個人的に思うのは、デジタルアーカイブが拡充すればするほどに、変化に対応することが可能であること、脳に依存する事が求められると思う。そして、それは、絶大な格差を生み出す可能性もあるようにさえ思う。それともう一つは、圧倒的なアーカイブに対して、個人がある程度アクセス可能になると、ワーカホリック族が増えてくるとも思う(既にそうなり始めている)。ある種の蒐集癖は、多くの人が持つけれど、それがデジタル化されれば、その蒐集に対する物理的障壁が低くなり、そして、ただ、個人の態度が最も大きな閾値になる。デジタルを圧倒的にコントロールすること、しかし、それは、本当にコントロールしているのかという壁が、しかし、その次に訪れるだろう。恐らく、これからは、ネットとパソコンの中に収まっていたデジタルワールドが、アナログワールドへどんどんと進入しはじめる。そして、ますます、爆発的なアーカイブ化と可アクセス化が進む。少なくとも、そういった時代を生きている事を深く認識すべきだと思う。


5.アートにおけるアーカイブ
その現実を前にして、アートは、どうあるべきか。アートも、バリエーションの羅列というアーカイブ的展開から、さらに変数による展示、そして、ランダムへと、扱いきれなくなるアーカイブを前に、可能性を提示することしか出来ないでいると表現出来るかもしれない。我々は、そして、メタの階段を積分的に上っていく。


関連リンク:
NULPTYX:東京大学 石田英敬研究室
MINAKA Nobuhiros pagina
中谷礼仁・記録・2004-, Nakatani's Blography
ICC Online | ICC開館10周年記念セッション・シリーズ Vol.2 連続シンポジウム「メディア・テクノロジーと生成する〈知〉」
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