麻雀の思い出

親父の麻雀から学んだこと
ここを見て、なるほどと思い、自分の経験を晒そうと思いました。
普通に考えると、博打のイメージがあって人生において役に立つ、とは、大きな声では言えないのですが、それなりに教訓を得ていたと思っています。

予測と準備の重要性

若くて弱かった頃、牌をツモってから考えると「怒られた」経験がある人は多いんじゃないでしょうか、これはe_c_e_tは大事な経験だと考えています。
俺が麻雀の先輩諸氏から学んだ(叱られた)ことは
「次に何が来たらどうするかは決めておけ」
「必要な牌は決まっているはず、決まっていないなら自分の番までに決めておけ」
「取ってから考えるな、それは考えてなかったことを相手に悟られるだけではなく、マナーとしても最悪だ」
など、実際の言葉はもっと辛口だったとは思うのですが、こういうことを言われていました。
自分で予測を立て予測通りの行動を取り、不利があっても表情に出さない(必要以上の情報は相手に与えない)というのは訓練で身につけることができます。これをゲームの中で経験的に身につけたのか、社会人になって誰かに教えられたのでは、随分と差があります。

早期の決断の重要性

麻雀で先輩諸氏に言われた(叱られた)ことは
「決断がヌルいから、いつまで経っても手がイーシャンテンで止まるんだ」
イーシャンテンというのは、ゴール(アガり)まであと2枚必要という状態で、決して聴牌(あと1つ)の状態ではない。アレもできるが、こちらもできそうだ、という時に、両方の可能性を追いすぎると、両方の可能性を潰すこともあります。結局のところアガる時はどちらか1方にしか、なりえない場合は早々に決断が必要です。
要はどっちかを「さっさと諦める」ということで、コレができないと、何時まで経っても現状維持(しかもゴールも見えないまま)時間が無くなっていく、という最悪の状態となります。「虻蜂取らず」ですね。
仕事をしていて困るのは、アレもコレも自由に選択肢が選べるが、時間はないという、場合。
で、すべての可能性を追おうとする場合にさっさと方針を一つに絞ることが大事だったりします。
世の中には方針決定までの時間を意識せずに短くできる人がいて、想像するにそういう方々は、それまでの人生経験で(ゲームなどで)経験的に学んでいる方もいるのではないでしょうか。

2位で満足してはならないこと

麻雀というゲームは、1位以外は全く無価値で、更に言うと、上がれなかった「惜しい」がコレまた意味がない(こういうと、違うぞ、という人もいるかも知れないが)「俺は惜しかったんだ!」の説明が弱者の遠吠えになるという、まぁそういう要素を持ったゲームです。で、これは社会に出てもまぁ、アナロジーがあり「俺は2位だったが、ソレでもよく頑張ったんだ」と、敗残兵の言い訳をする人よりも、黙って結果が出た時のみに語る人のほうが普通は信用されがちです。麻雀が役に立つと言うよりは、弱い奴は麻雀やらせても言い訳をする、ということでしょうか。
e_c_e_tはよく麻雀の先輩諸氏に
「言い訳するな。『惜しい』は点にならない」
「前の局を引きずるな、終わったら次を考えろ、今に集中しろ」
と怒られていました。(だから弱かったんだろうなぁ)


ちなみに言うと、e_c_e_tは麻雀は大変弱かったし、もう10年以上やっていませんが、これらの言葉は社会人になっても生きています。
おまけで言うと、将棋でも同じようなことを言われていたような気がします。
これら戦略性を持つゲームはある種の訓練の塊のようなもので、やり込んで損はなかったように思います。代わりに色々と失った気もしますが。勉強する時間とか。


で、こちらを見て上記の話を思い出しました。
仕事ができる人たちの特徴まとめ


更におまけ:
エルピーダのニュースを見てると
2位で満足してはならない、早期の決断の重要性(決断の本質とは何かを諦め、集中すべき道を決めること)予測と準備の重要性とか、それなりに的を得ている教訓のように思えます。
規模が大きくなると判断が難しく、時間がかかりがちなのでしょうし、外野からの意見なので好きかって言っている部分はありますが。