Hatena::ブログ(Diary)

activeエレン このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2007-11-08-Thu 10x参考資料&リンク一覧

萌えやヲタクと経済

引用元

参考

コンテンツ論から見る「放送」と「通信」(1)

2005/05/06

ライブドア堀江社長は、フジテレビとの提携に関して「コンテンツ配信などで放送局と協業したい」と語っていた。
ところが、和解後の4月23日付けの産経新聞での取材に対して、堀江社長は「コンテンツをネットで流そうなんて別に思っていない。著作権がそんなに面倒くさいんだったら、やりたくないですよ」と発言している。

重要なのは「いかにコンテンツの存在を人々に気付かせるのか」、「いかにコンテンツに関心を抱かせる(見たいと思わせる)のか」という点である。
こうした点に関しては、いまだマスメディア(特にテレビ)に一日の長がある。

コンテンツは「キラー化」した時点ですでに価格は高騰してしまっており、それを購入する側はなかなか美味しい思いをすることはできない。
メディアビジネスにおいては「キラーコンテンツを集めること」ではなく、「コンテンツキラー化する」ことこそに利益の源泉がある。

http://www.itmedia.co.jp/survey/articles/0505/06/news001.html

俺と萌え(番外2)斉藤環氏とのやりとり

2006年3月2日

趣味の場やインターネットを通じたオタクコミュニケーション能力」に触れ、これが「ひきこもり」との決定的な差異だという考え方をもたれています。
オタクは決して非社会的な存在ではなく、むしろ「社会的な存在なのだ」
これは多くのオタク論の盲点を突いた視点であると言えます。

フェチ萌えは違う
(1)「萌え」には「実体」は要らない。というかむしろ実体はないほうが良い。基本的に「フェチ」は対象物の「実在性」が不可欠です。じゃあ例えば、実体のない「巨大女フェチ」はどうかと問われれば、彼らに話を聞いた経験から考えても、あのあくなき実体化志向はやはりフェチであって「巨大女萌え」ではないな、と。言い換えるなら、フェチは素朴実在論であり萌えは観念論というのが私の整理です。
(2)フェチは「部分」で、萌えは「全体」に対する嗜好と考えます。下着フェチは下着所有者の人格を必ずしも必要とはしませんが、メガネアホ毛萌えるとしたら、やはりそれらを所有するキャラクターという全体性が欠かせないのでは。もし本当に「萌え要素」だけでOK!と言う人がいたら、その人はもはや「メガネ」という文字だけでOKな筈なので、そのときはフェチ認定したいと思います。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_dd9c.html

オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」 (1/2)

2005/10/06

野村総合研究所NRIオタク市場予測チームは、オタクの特性を分析して再定義し、10月6日に発表した

オタクはいわゆる「アキバ系」だけではないとし
昨年はオタク主要5分野として「アニメ」「アイドル」「コミック「ゲーム」自作PC」をピックアップ
最近は「電車男」や萌えブームなどの影響で、オタク像の「原点回帰」が見られるとはいえ、オタクはすべての趣味分野に存在するというのが同社の考え

新たなオタクの切り口として同社は、
(1)こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、
(2)「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク
を打ち出し、この2種類の特性を兼ね持つ人をオタクと定義した。
調査では、消費性オタクは全体の 11%、心理性オタクは同36%おり、両方を兼ね持つ真のオタクは同3.6%いたとしている。

f:id:eal:20071224202415j:image
f:id:eal:20071224202414j:image
アニメハロプロ漫画ゲームは「コンテンツ系」っていえばいいんだな。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/06/news068.html

首藤剛志のエヴァ評

シナリオえーだば創作術 第115回 『機動戦艦ナデシコ』のなんでもかんでもぶち込め感

今思うと、何でもかんでもぶち込むというのは、『機動戦艦ナデシコ』の少し前から、今に至る時代の特徴かもしれない。
これは、僕だけの考えだから気にしないでほしいが、『機動戦艦ナデシコ』の前に『新世紀エヴァンゲリオン』があったのを忘れてはいけない気がする。

アニメ好きの知人から、「あの作品はミンキーモモの『私って誰?』という自分探しテーマの部分を自閉少年的に描いたもの」と言われ、「なるほどね」と思い

人は思春期青年期に「自分とは何か」「人生とは何か」などと悩み考える時期がある。
その答えを見つけようとして、本を読んだり、人と話しあったり、世の中で起きる様々な出来事に実際に向き合う。
昔の若い人は、それが行動的だった。で、その後、普通は大人になって社会にもまれると、自分探しなどどうでもよくなってしまう。
現実に起こる目先の恋愛とか、利害関係のほうに気を取られしまう。
それが大人になったという事かもしれないのだが、いずれにしろ「自分探し」は、若い時期での通過儀礼のようなものかもしれない。
ところが、「自分探し」を行動的にしない若い人が増えてきた。
そんな人は自分の部屋にこもって、TVやインターネット情報で「自分探し」を内向的にしようとする。
いや、本人は「自分探し」を意識していないのかもしれない。

そこに、内向的な「自分探し」に役立ちそうな自立の問題、宗教や思想や哲学っぽいキーワードやイメージやキャラクターを、なんでもかんでもぶち込んだパッチワークのようなアニメが現れる。
なんでもかんでもというとこがみそで、そのキーワードやイメージのどれかは見ている人の心に引っ掛かる。
そして、そんな部分を含んだ作品全体に共感する。
内向的なものならなんでもかんでもぶちこんで、だから何が言いたいのかと聞かれても、答えはおそらくない。答えなんかいらないのである。
作品の何でもかんでもぶち込みましたムードに酔えればいいのである。
酔える事に価値がある酒のようなものである。

http://www.style.fm/as/05_column/shudo115.shtml

萌え萌えジャパン

キャラクターは人の心が生み出した存在であり、人の本能により忠実である。それゆえに現実の人物にはありえない魅力を放つ。しかしその代償として「決して手を触れることはできない」。キャラクター現実を超えた魅力に打たれた人は、いても立ってもいられなくなり、そのキャラクターを欲するが、しかしキャラクターそのものに到達することは絶対にできない。虚構と実在との狭間、想像現実の境界で自覚的にたゆたう行為こそが「萌え」であり、萌えることの楽しさなのである”(『萌え萌えジャパン』第1回「メイドさん萌え萌え」より抜粋)

http://moura.jp/clickjapan/moejpn/

萌えに真実がある――「萌え萌えジャパン」取材秘話

2005/03/18

萌えは「情報量脳内補完」だ。「線で描かれたキャラクターは、実際の人間よりもはるかに情報量が少ない。萌えは、そのキャラクターの足りない部分を想像力で補う行為」。堀田さんが取材で出会った“萌える人々”の想像力は、予想以上だった。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0503/18/news006.html

自身をオタクと認めない堀田さんだが、自ら提唱する「オタク三原則」には見事にあてはまっている。いわく、(1)自分をオタクと認めない、(2)そのくせ、オタク文化をバカにされると怒る、(3)語りだすと止まらない──だ。

萌えを面白くする“オタクエリート

第1回コミックマーケットが開催されたのは1970年代中盤。この時期に生まれた人々が30歳を超え、第一線の作り手に回り始めた。「本来オタク分野で同じ人が続けてヒットを出すことは難しかったのですが、自分自身がオタクメインストリームを体験し、お客さんがなにを求めてるかを自分で実感できる人が1990年代後半から現われ始めました」。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0503/18/news006_2.html

感じない男 萌えコンテンツと性 参考リンク&ealメモ


※以下の論は、今回は使わず、オリヴィアにとっておくことにします。