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2007-11-09-Fri 文章倉庫

エヴァンゲリオン関連


おたく評論ブーム
エヴァのテイストを入れて」

エヴァの結論 - activeエレンからコピペ


後半以降、陰惨で過激な展開になっていく。

当初から、主人公「碇シンジ」は、自分には存在価値がないとか、だれも自分のことを認めてくれないとか、ウジウジと悩んでばかりだった。もっとも彼が「サラリーマン金太郎」のような、やる気満載な人物だったら、作品が成立しないんですけどね。とにかく、その後も同じところをグルグル廻って結果何も変わらない。シンジのダメ具合が俺そっくり!とか、この救いのなさが快感だ、とか共感するファンもいたが、「これ以上現代病を増やす作品を作るな!」などと、有名なあるアニメ演出家が、自らの著作などで語るなど、総じて年上には印象が悪かった。

正体不明とされる敵との戦闘のほとんどは、何故か主人公たちの住む「第3新東京市」にて行われる。それは、「エヴァ」による戦闘が、「碇ゲンドウ」の推し進める「人類補完計画」によって人類が救われる、という名目のもとに行われる「ヤラセ」だからである。なお、それを知っているのはゲンドウと一部の幹部のみで、主人公や他の登場人物は、それと知らずに精神的に追い詰められ、苦しめられる。その計画のための実験中に、命を絶ったゲンドウの妻で主人公の母親でもある「碇ユイ」のコピーである人造人間綾波レイ」もまた、計画における重要な役割を担っている、らしい。作品内では、ゲンドウとレイとの関係を匂わせる描写もある。

それまでの「ロボットアニメとしてあるべき結末」、例えば「最後の敵をやっつけた、これで世界平和は守られた、バンザーイ!」のような分かりやすさは、ない。テレビ25話および26話では、主人公たちが、生きることの意味などについて(学校の体育館のような場所で)自問自答していく。この意外とも思える演出が話題となって、哲学者精神科医などもこの作品について言及するようになり、結果的に、単なるロボットアニメであることを越えて社会現象にまでなった、とされた。なお、後に制作された劇場版でも本質的には何も変わっていないので悪しからず。

自らもおたくであるという、本作の監督庵野秀明は、いつまでも現状維持でダメ人間といわれるおたくに対して、自戒の意味も込めて「大人になれよ」的なメッセージを送りたかったらしいが、凝り性ゆえに過激な描写になり、結果的に、思春期少年たちを喰いものにしたとか、「これ以上現代病を増やす作品を作るな!」とか、ボロクソ言われてしまった。そういった側面ばかりがクローズアップされてしまい、それが全てだった、と記憶されてしまいがちなのだが。まあでも、思春期にこの作品を見てしまったら、これはバイブルになってしまう。それだけの価値のある作品であることは間違いない。30歳を過ぎてしまった僕にも、かつてそんな作品があったのだから。

でも実は、この『エヴァ』という作品は、「最強のロボットアニメ」だった、って事を皆さんお忘れじゃないでしょうか? メカアクション作画では定評のガイナックス作品らしく、いま見ても、その作画、演出はかなりのインパクトはある。また、理論武装として、ロボットが存在するためには、この位の大きさのバックヤードが必要で、電源も必要で、ましてや人型である必然性とか、ロボットロボットである存在意義を突き詰めてしまっている。偉大なるロボットアニメオタクである庵野監督によって、結果的には「異端」とか「例外」などと称されることが多い本作が、実は「ロボットアニメの正道」だった、って意識して、今再びこの作品を見ると、それなりに得るものも大きいだろうと、私は強く感じるのである。

アニメスタイルの庵野秀明の発言から(文章倉庫)


セラムンエヴァの流れの部分を抜粋し、萌え論として分析

エヴァ現象→大月4部作&CCさくらでじこ萌えアニメ増加→秋葉原変貌→ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展→電車男メイド喫茶→オタク検定→(現状分析のための記事引用)

戦闘美少女の精神分析岡田vs竹熊伊藤剛が唐沢一派から脱退→動ポモ→網状言論→ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築

非モテ台頭

萌え起源にはさまざまな説(はてな引用せよ!)があるが、ここでは、エヴァ以降をとりあげる

森川嘉一郎(文章倉庫)

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

いつの間にかアキハバラ全体が巨大な「個室」になっている! たどり着いてしまった前代未聞の未来風景の出現を、新世代の論客が鮮やかに解き明かす まったく新しいオタク論、都市論の登場!!

出版社の紹介文を引用

月刊アスキー(第311号)
秋葉原はいま、オタクの欲望剥き出しの街へと変貌している。
町中のビルにはもちろん、駅のような公共空間にまでアニメ絵広告があふれている。ラジオ店の類も健在ではあるが、明らかに主力は家電でもPCでもない。

この現象を「趣味が都市を変える力を持ち始めた」と読み解く本書は、秋葉原とオタク、そして街の変容を論じた一冊である。著者は建築意匠論を専門とする研究者だ。

著者は海洋堂専務などへのインタビューを通し、1995~1996年エヴァ・バブルがオタクショップ進出の大きな後押しとなり、秋葉原が変わる契機となったとしている。それは池袋や渋谷のような大資本による都市改造とは根本的に違う。秋葉原は「PCに対する愛好を結節点」としてオタクたちに見いだされた「趣都」となり、街全体がオタクの個室が都市空間へと拡張したような場所へと変わっていったというのだ。

エッセンスは第1章だ。このあとはオタク趣味の構造、未来観の変遷がもたらした科学技術少年への影響などが語られるのだが、定量的なデータが引用されているわけでもなく(研究者の著作には単なる「お話」ではなく裏付けを期待したい)、あまり説得力がない。話も秋葉原から離れてしまう。

第1章にしても、たとえば吉祥寺や下北沢はどうなのか、あるいは古いところでいえば、銀座のような街はどうなのだろうか、と問いたくなる。銀座でも歩く人の趣味が街に露出しているからこそブランド店が並ぶのではないか。それは秋葉原が獲得した個性と何が違うのか。また、秋葉原がPCの街へと変貌した 1980年代に大きく変わったのは渋谷も同じだ。公園通りは確かに大資本意図したものだろう。だが、センター街は自然発生的に若者が集まる場所として誕生したのではないか。それと秋葉原の違いは何か。

秋葉原が異色の街であること、今もなお変貌しつつあることは明らかだ。なぜ秋葉原はこうなのか?それを考えることは秋葉原を鏡として文化や都市、社会を考えることだ。本書は秋葉原を考える上で重要な叩き台である。今後の議論は、この上に積み上げられていく。著者にもさらなる深い論考を期待する。

2003年5月号)

ササキバラ・ゴウ『「美少女」の現代史』(文章倉庫)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

出版社/著者からの内容紹介
宮崎 駿、吾妻ひでおから ときメモプランツ・ドールまで なぜ萌えるのか
まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか? 「萌え」行動の起源とは? 70年代末から今日までの歴史を辿る。
●なぜ宮崎 駿は、あんなに少女ばかりを主人公にしてアニメを作るんだろうか?
●最近よく聞く「萌え」っていう言葉は、結局のところ何なんだ?
小説はあまり読まないが、村上春樹はなんとなく読んでしまうのは、なぜだろう。
●最近のまんが、アニメ小説では、なぜあんなに「妹」がもてはやされるんだろうか。
●『少女民俗学』を書いた大塚英志も、『制服少女たちの選択』を書いた宮台真司も、なぜあんなに少女のことばかり気にするんだろうか。
おたく文化を鮮やかに論じる!

内容(「BOOKデータベースより)
まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか?「萌え」行動の起源とは?七〇年代末から今日までの歴史を辿る。

amazonより引用

秋葉原(文章倉庫)

JR秋葉原駅をでて、すぐ正面に立地するラジオ会館。昔から電気大好きの少年たちにとっての聖地だった。いまでも正面から見る限りは、何一つ変わっていないように見える。しかし、一歩なかに足を踏み入れると、その変貌ぶりに驚かされるはずだ。
フィギュア中古アニメコミックス食玩(しょくがん)、レンタルショーケースなどの店舗が、電気店と何の違和感もなく並んでいるのだ。
(2004/05/27)
ビジネス : 日経電子版

ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展 - 日本館
本展示では、おたくの個室、数十万人が集うコミックマーケット、秋葉原の都市空間、さらにはネット空間などが、連続した箱庭として再現される。そこは情報化時代の建築空間としてしばしば思い描かれてきたような、無色透明な浮遊空間などではない。各々が物語のオーラをまとったアニメ絵の無数の聖像(イコン)が、内外の壁、床、そして画面を、汎神的に構成している。
近代様式の移植にともなって「いかもの」として抑圧され続けてきた偶像や聖像が、八百万の神々のように立ち現れ、流通し、コミックマーケットや秋葉原が“聖地”として巡礼される。喪われて久しいとされる都市的な祝祭空間と壮大なポトラッチが、そこには脈々と生きている。
おたく趣味漫画アニメゲームなど、メディア横断的な特徴を持っており、また日本の現代文化としては例外的に海外に越境し得ている。これはおたく趣味が、特有の自意識セクシュアリティベースにしていることと関係している。これまで、国家や民族宗教イデオロギーなどをベースにした文化圏は多々あったが、人格をベースにしたものはなかった。この、都市をも変える新たなる構造としての「人格」の浮上は、環境情報化と密接に絡んでおり、資本とはまた違ったパターンで、容易に旧来の境界を越境し、場を形成する。
おたく〉を、商品や作品としてではなく、その人格を起点とした横断的概念として、展示を通して提示するものである。
2004年9月12日11月7日
http://www.jpf.go.jp/venezia-biennale/otaku/j/abstract.html

東京・秋葉原が変貌(へんぼう)しつつある。茨城県の筑波研究学園都市とを結ぶつくばエクスプレスの開業を今月下旬に控え、「オタク」の聖地、IT(情報技術)の集積地と、様々な表情を見せる“アキバ”の今を追った。
オタク文化に詳しい建築学者森川嘉一郎氏は、「パソコンマニアアニメオタクが多かったことが、秋葉原に関連需要を集中させた」と分析する。野村総合研究所の試算では、秋葉原を発信地とする「オタク市場」は拡大を続け、約3000億円の巨大産業へ成長しているという。
2005年8月2日 読売新聞
新規サイト 共通エラーページ

『「アキバらしさ」とは何か』2005/12/26
昨今の秋葉原ブームにより、来店する人の数は増え、週末の混雑ぶりも今まで通りかそれ以上となった。ただし、PCパーツにあまり興味のなさそうな人の来店も多く、じつのところ売り上げには直結していないような気がするといい、個人アキバユーザーによるブログにも「最近アキバは居心地が悪くなった気がする」という投稿を見ることもある。
2005年後半、アキバの観光地化がさらに急激に進む
2005年の秋葉原は、テレビドラマ映画電車男”のヒット、“萌え”や“メイド喫茶”など代表的な言葉地上波TV番組や一般紙などでも普通に使われるほど浸透し、アキバに興味を持つ人が一般層まで広がった。さらにヨドバシカメラ マルチメディアAkibaの開店やつくばエクスプレス開通を中心とする秋葉原再開発地区が完成してきたことはやはり大きいトピックとなる。
第1回 「アキバらしさ」とは何か (1/3) - ITmedia PC USER

『秋葉原ブームが収束したとき (3/3)』2005/12/28
興味本位オタクウォッチングしたり、TV番組などでタレントが覚えたての言葉を使いたがるがごとく「萌え〜」とか言うのも、自分の興味範囲外のことで、知らなかったことがあったということが珍しいと思ったためであろう。趣味サブカルチャーは、それを好きな人でないと理解されにくいからである。そのようなわけで「萌え」も、どこかの商用サイトに載っていた「若者世代の新しい感嘆詞」など若者万人が今後永久的に使うような一般言葉にはなりはしないと思う。もちろん秋葉原駅周辺の人の流れをも変えたアキバヨドバシや駅前再開発地区は賞賛に値するものだし、観光客含めた来街者の増加も総合的には喜ばしいことであろうから、このブームを否定するつもりは全くない。むりやり一般化しなくてもいいのではないか、ということである。
第3回 秋葉原ブームが収束したとき (3/3) - ITmedia PC USER

『アキバの未来は「新宿」「池袋」「アキバ」』2007年03月30日
まず1つの可能性が、新宿のような繁華街になっていくこと。いわゆるアキバブームによって、良くも悪くも客層が広がったため、メイド風俗のようなお店まで見られるようになった。女性が増えていることとやや矛盾しますが、新宿の歌舞伎町あたりから追い出されたアダルトビデオ系のお店もかなり増えています。飲食店が増えたという伏線も含めて、新宿そのものではないにしろ、サブカル風俗を含めた雑多な街になると思います。
アキバの未来は「新宿」「池袋」「アキバ」 (1/2) - ITmedia PC USER

本田透(文章倉庫)

電波男

電波男

萌える男 (ちくま新書)

萌える男 (ちくま新書)

2005年の『電波男』(ISBN:4861990025)刊行により、萌えオタク達のカリスマとなった感がある。
本田透とは - はてなキーワード

中川翔子(文章倉庫)

しょこたん☆ぶろぐ

しょこたん☆ぶろぐ

自らヲタを公言し、ブルース・リー松田聖子楳図かずおに心酔する。
しょこたん☆ぶろぐ」は、写真集を出す必要がないのでは? ともいわれる程猛烈な頻度で更新されており、ヤプログトラフィックの大多数を占めるともいわれるほどの人気がある(2005年9月に書籍化された)
中川翔子とは - はてなキーワード