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2008-03-27-Thu 綾波レイに関する報告書2008

綾波レイに関する報告書2008

「どうして、あんな無愛想な娘が好きなの?」

綾波萌えだから、かな」


アニメ新世紀エヴァンゲリオン』(以下エヴァと省略)の登場人物綾波レイ(あやなみ・れい)は、クールで無口で頭脳明晰、そして過去の経歴がすべて抹消されているという、ミステリアス少女である。日本のアニメ史のなかでも上位に入るほどの絶大な人気を誇るキャラクターとして、多くのヲタクに支持され、彼女の存在がエヴァのブームのひとつのきっかけでもあった。

綾波萌え」とは、私は綾波レイに対し萌えを感じる、といった意味である。これを、さらにわかりやすく解説してみると、「綾波萌え」とは、およそ以下の内容の要約となる。

私は、綾波レイのような、ミステリアス純粋少女に、理屈抜きに心が引きつけられる。彼女が実在しない人物であること、彼女に対する恋のような感情が、互いに愛しあうような関係に進展することが絶対にないことは、十分に承知している。彼女が単なるアニメキャラであり、しかもそれが、自分たちヲタクの餌として明確な狙いに基づいて作られたものであること。ヲタクであることで、それが理解できてしまう。悔しい、弱みを握られてしまった、生殖こそが本願であるはずの男子として、それはとても恥ずかしいことであるようにも感じる。しかし、描かれたものであるがゆえに、そこには一切の不純物を取り除いたとでもいえる、直結した回路が発生してしまうのか。

私はそのような傾向の人間である。理性ではどうしようもないこの感情とは、言葉では上手く説明できない。したがって、本来であれば理解していただくために行わなくてはならない、ある程度の説明を省略すること、行き着く先のないこの感情についての結論は先延ばしになってしまうが、彼女に対する熱い想いが、世間の常識、そして自分自身でさえも恥ずべきものであることを認識しつつ、偽りではないと、とりあえずというかたちではあるが宣言させていただきたい。


ヲタクであればそういった気分を認め合える、という暗黙のルールに基づいたもの。それが、萌えである。そして、萌えとは、宣誓でもある。つまり、「綾波萌え」とは「綾波宣言」とでも言い換えられる。対象が虚構であること、ヲタク向けビジネスに巧く利用され自分たちが踊らされていること、しょせんは絵空事であること、なんとなく恥ずかしいことは、理解できてしまう。その上で、感情がそれらを上回っているのかもしれない。本当のところはよくわからない。

この項目では、自らの感情、萌えとは何であるかという問いを精査する。いわばインサイドレポートである。

綾波レイとは


日本経済新聞2007年9月1日号の一面に掲載されたコラム春秋」は、その日に公開された劇場新作『ヱヴァンゲリオン』について、というよりも、綾波レイについて書かれたものであった。これを引用し、よくわからないとされるエヴァという作品、そしてレイの魅力をわかりやすく理解していただくためのヒントとする。

綾波レイに思いを寄せる男性は日本中に100万人はいるだろう。冷淡なほど無口で無表情な14歳の謎の少女。包帯姿で現れた現代の女神は日本アニメの申し子だ。その儚(はかな)げな存在感の内には、決然とした「迷いのなさ」を秘めている。

95年にテレビ放送された『新世紀エヴァンゲリオン』の新作映画が、きょう公開される。その準主人公の絶大な人気は10年たった今も衰える気配がない。綾波を探しマニアの街、秋葉原を歩いてみた。精巧な立体モデルの「フィギュア」は綾波だけは売り切れ。ネット競売では数十万円の値が付く希少品もある。

現実社会では明るく元気な者の周りに人が集まりやすい。暗く思い詰めたような人柄に魅了されるのは、なぜなのか。フィギュア製作の専門家に聞くと、綾波モデルを集めているのは30代と40代前半がほとんどだという。アニメやネットが築く仮想空間には、人の深層心理をえぐり出す魔力があるに違いない。

綾波レイが最初に「降臨」したとき、日本人はバブル崩壊で自信喪失のどん底にいた。傷だらけになって人造の巨人に乗り込み、無言で毅然(きぜん)と敵と戦い続ける綾波への共感はその時代に根ざす。フィギュアとは、無意識信仰を形にした現代の偶像だろう。経済は立ち直っても、日本人の心には虚(うつ)ろが残ったのか。


綾波レイと人気を二分する「惣流・アスカ・ラングレー」は、明るく元気でプライドの高い少女である。この二大ヒロインと主人公のシンジ、それぞれエヴァの操縦者である。エヴァ初号機シンジ)は紫、エヴァ零号機(レイ)は青、エヴァ弐号機(アスカ)は赤、というように割り当てられる。その配色は、それぞれの性格に似合ったものでもある。

いかにも女の子といった印象のアスカと、陰のあるレイ。確かに、普通男性であれば、明るいアスカのファンになるのだろうと考えられる。女の子には明るく太陽のような存在であって欲しいと、男性は願うものである。暗くて陰のある女性アイドルタレントとは、ほとんど見かけない。

エヴァ監督である庵野秀明は、ヲタクのなかでもコアなひとたちは、レイやその類型であるホシノ・ルリのような、寡黙でミステリアス、ある種の典型にどうしても惹かれてしまうものであると語っている。それはなぜなのだろうか。もちろん、自身に思い当たるものがあるわけで、それを文章としてかたちにする。

なお、この項目では、作品を読み解く「謎」の部分について、特に隠さないことを了承していただきたい。よって、エヴァを未見の読者は、以降は読み飛ばしてもらっても構わない。

よくわからないエヴァ


エヴァ登場人物たちはすべて、コミュニケーションの不全に陥っている。お互いが理解しあえることが、まったくない。特に、主人公のシンジは、内向的な性格で、物事を常に悪い方向に考えがちであり、まわりの人間に対して常に疑心暗鬼である。使徒との戦闘において、使徒シンジの心理内面を攻撃するようなとき、シンジは自身の葛藤の末に、戦闘不能に陥ることさえある。エヴァとは、対人関係の難しさを鋭くえぐる作品でもあり、物語が終盤に向かう頃には、それそのものが作品のすべてとなる。

エヴァという作品は、使徒と呼ばれる正体不明の怪物から人類を守るために、エヴァンゲリオンというロボットに乗って戦う碇シンジの物語、という表向きのストーリーがまずあり、一方で、エヴァによる戦闘を指揮する組織「ネルフ」の指揮官であり、また、この戦闘と密接に関連するらしい「人類補完計画」という謎のプロジェクトを進める、シンジの父親である碇ゲンドウの物語でもある。ゲンドウは息子であるシンジに対し極めて冷徹に接する。そのような父親に激しいコンプレックスを抱くシンジ。この親子を結びつけるのが、綾波レイであった。

少女にみえる彼女は、実は人間ではない。ごく簡単に説明すると、彼女はゲンドウの最終目的のために造られた亜人間であり、すでに死亡しているゲンドウのパートナーシンジ母親である碇ユイのコピーでもある。シンジは、そのことを知らずに、自分と同じエヴァ操縦者である彼女に、淡い恋心を抱いてしまう。

エヴァ初号機を製造する過程で、ユイの魂はエヴァ初号機に取り込まれてしまう。エヴァの謎、ゲンドウの最終目的とは、ユイとの再会であった。そのためには、まず、すべての使徒を倒すことが必要であるらしく、そして、ユイの魂が入っているエヴァ初号機と、ユイのコピーである綾波レイ。それらすべてが揃うことで、ユイが生き返るという。つまり、ゲンドウにとっては、エヴァ初号機綾波レイも、そのための部品でしかなかった。

使徒を倒すために作られた組織がネルフ。そのネルフを操る組織をゼーレという。そもそも「人類補完計画」とは、ゼーレがゲンドウに命じたもの(エヴァ初号機の機能を使い、すべての人類をいったんスープ状に溶かしてしまった後で、遺伝子レベルで人類を「再生」する)であったのだが、ゲンドウはそのテクノロジーの応用により、いわばゼーレを騙すかたちでユイとの再会を目論んでいた。

この時点で未見のかたには理解不能であると思われるが、これ以上の説明はしない。重要なのは、エヴァ初号機というロボットは、まともに動いてくれないという点であり、そこが作品の魅力でもある。エヴァとは、操縦者と神経レベルで繋がることで初めて操作が可能となるのだが、それすら上手くいかないこともある。基本的に電源で動くものでありながら、電源が切れても動くときもある(「暴走」と呼ばれる)。

特に初号機は、操縦中にシンジが気絶するなどしても勝手使徒と戦ってしまう。そのようなときの初号機は、まるで獰猛な獣のような野蛮さで、使徒を徹底的に叩きつぶす。評論家小谷真理はこれを女性(初号機のなかにある碇ユイの魂)の抑圧からの開放であるとして、高く評価する。

自分さがし


ミンキーモモなどの作品で知られる脚本家首藤剛志は、エヴァについて以下のように語っている。

内向的な「自分探し」に役立ちそうな自立の問題、宗教思想哲学っぽいキーワードやイメージやキャラクターを、なんでもかんでもぶち込んだパッチワークのようなアニメ
作品の何でもかんでもぶち込みましたムードに酔えればいい
酔える事に価値がある酒のようなもの


http://www.style.fm/as/05_column/shudo115.shtml


エヴァという作品は、監督庵野が「自分をさらけ出した」私小説のようなものである。そして、そのような作品作りや、それに影響されるだろう視聴者への「悪影響」を指し、年配のアニメ演出家には総じて印象が悪かった。ところで、首藤がエヴァに注目したのは、友人から「あの作品はミンキーモモの『私って誰?』という自分探しテーマの部分を自閉少年的に描いたもの」と聞いたからであるという。このエピソードから、私は『アキハバラ電脳組』の登場人物大鳥居つばめを思い出す。

首藤と仕事上近い関係にある大月俊倫プロデュースした、エヴァナデシコウテナアキハバラ電脳組は、ヲタクの間では「月もの4部作」とも呼ばれ、ある種の関連性を見出せる。

ナデシコホシノ・ルリは、設定当初から綾波レイのようなファン層を想定し意識的に似せたキャラクターである(ナデシコのなかでルリの自分探しというテーマをフィーチャーしたエピソードは首藤による脚本であり、その3作により彼女のキャラクター確立した)。大鳥居つばめは、デザインがルリそっくりで声優綾波レイ担当した林原めぐみということで、この時点で製作サイドがヲタク意識していることがはっきりとわかる。モモ、ルリ、つばめの三名には、見た目にも似ているという以上に「自分探し」というテーマを背負っているという共通点がある。

エヴァでは、登場人物はみな「自分探し」をしていた。感情がないとされた綾波レイもまた「自分探し」に悩み、結果、最終局面でゲンドウを裏切るかたちでシンジの味方となる。

ヲタク自我


庵野秀明はおそらく典型的な内向型で、インタビューする時その独特の話しづらさに閉口した記憶がありますが、それはその深さや凄みと密接に結びついているんですね。

オタクが全体的に内向的な傾向を示すことを考えると、やはり萌えを考えるにあたって内向的な側面を考慮することは、極めて重要だと思いますね。


オタクと内向性 - 核と萌えの日々〜ライター大泉実成のたわごと


庵野綾波レイを「コアな人達がハマる典型」とし、庵野自身がヲタクの典型である。ヲタクコンプレックスのかたまりであるとよく言われる。ヲタクは常に、世間からさげすまれる。

ヲタクは、エヴァという作品世界に没頭してしまう。それは、庵野がいうように、上記の首藤が指摘した特徴がヲタクの好物であるからである。そして、結果、ヲタクシンジシンクロしてしまう。それはなぜか。

シンジは、さまざまな苦悩を抱えながらエヴァで戦う。それは、自分は一度も他人から認められたことがないという強烈な思い込みであり、その根本には、母親はすでになく、父親であるゲンドウから冷酷に扱われ、つまり、親から「愛されていない」と感じる、拭いがたい飢餓意識がある。

これにヲタクは、強烈に同意する。それは、なぜだろうか。ヲタクは、メディアによって誕生した存在であり、メディア意識せずにはいられない。携帯電話ブロードバンドの普及などにより、世間一般での「テレビ離れ」がみられるなか、ブログなどでメディア批判を頻繁に論ずるヲタクとは、逆にいえば、テレビメディアをよくみているわけである。ヲタクテレビから離れられない。なぜなら、ヲタクにとってテレビメディアとは「親」であるからである。ところが、一般的なテレビメディアとはヲタクに対して揶揄や非難しか行わない。そのような状況でヲタクは「親」から愛されていないのだ、と感じる。だから、ヲタクとはシンジと同様の心理状態となり、シンジに対して同胞意識を抱いてしまうのである。

所有の手続


エヴァ第六話のラストシーンシンジをかばい負傷する綾波レイエヴァ零号機から救出するシンジぼんやりとした意識のなかで綾波レイは、シンジの影を見て、ゲンドウが現れたのかと勘違いする。シンジが「笑えばいいと思うよ」と言う。綾波レイシンジにゲンドウと同じものを感じてにっこり微笑む。それは、彼女のなかで碇シンジという少年が、ゲンドウと同じくらいかけがえの無い存在として認められたからにほかならない。ああ、良かったねシンちゃん、生きていれば幸せなこともあるんだね。本当に良かった、と感激して当時は何度も見返して、そのたびに号泣していた。

ところが、このことを知人、友人に話すと「まあ、そういう解釈もあるよね」などと、エセ評論家のような口ぶりで、どこか馬鹿にしている。どうも納得がいかない。なんとその理由はフィルムブックにあった。エヴァファンなら必ず持っていた角川書店発行のフィルムブックには、各シーンの解説が載っていた。私はかなり後になって読んでみたのだが、第六話のラストの解説にこうあった。「結局、このときレイにはゲンドウしか見えてないのだ」。

そんな馬鹿な。それではシンジが可哀想過ぎる。確かにそういう「うがった」見方もできなくはない。でも、心に染みる愛の話として、今の段階でこういうことがあってもいいだろう、いやあるべきだ。だってこれはフィクションなんだ。どうせ最後は報われないのだから、今のうちは報われるべきだ。本気で綾波レイに惚れたなら、綾波をどうしても自分のものにしてしまいたいと感じたのならば、ゲンドウよりは自分たちに近いシンジと束の間ではあってもそういう幸せがあったほうが「ああそっか、綾波だっていつまでも変態親父の虜になってるんじゃないんだな」って希望が持てるだろう。フィルムブックの解説を鵜呑みになんて絶対にできないはずだ。当時の私は、そのように確信していた。

エヴァの製作にも関わる角川書店フィルムブックとは、つまりそれは公式見解であった。しかし私は、そうではないと「確信」して、上記の結論に至った。これは妄想であり、『戦闘美少女の精神分析』にもあるように、この「二次創作」によって、私は自分の綾波レイを作りあげ「所有した」ことになる。

みずがめ座


ある星占いの本に、みずがめ座のひとたちの傾向が書いてあった。彼らは、必要以上に他人に干渉しない。それは単にクールだというのではなく、自分が何者か分からないので、自分を他人に知られる事を極度に恐れるからだと。綾波レイには、どうもみずがめ座の傾向が当てはまるのではないだろうかと感じる。そんな姿がいじらしい、一見聡明に見えてもけっこう悩んでるんだな可愛いヤツだなって、そうか自分と同じなんだなと確信したからこそ、多くのファンが彼女の虜になってしまったのだろう。萌えとは、対象に自己を見出すことであるのだといえる。

見栄を張ること、言葉を飾ることを知らない彼女は、本当のことしか言わない。だから、信頼に足る、ということになるだろう。そのような彼女とは、自分が抱える苦悩を共有できる。だから、これで自分は生まれて初めて救済されるのだ!


彼女は、何があっても、いたってクールにふるまう。しかし、主人公に対して母親のように温かく見守ったり、色々と苦労しても健気にふるまう彼女を「何でも言うことを聞いてくれる美少女ロボット」とする間違った解釈も生まれ、彼女を非難する動きも見られた。さらに、某有名アニメ演出家は、ロリコンを嘆いているらしく、この魅力的な十四歳たち(レイアスカ)のファンを指し「男子として情けない」などと雑誌インタビューで語っていた。『超時空要塞マクロス』あたりから誕生した「ロリコンアニメファン」のひとつの終着点がエヴァだった(庵野秀明が、彼らを終わらせる儀式として、あのラストに持っていった)とする。結果、あのラストを経ても、私たちヲタクが最後に手に入れたのは、綾波レイという新しいフォームだ。それは、もしかすると歪んだ母親像なのかもしれない。


綾波レイの魅力を語る上で、新世紀エヴァンゲリオンという作品の説明は必要なのだろうか。そんなことを、ずっと考えていた。私は確かに、エヴァを見ることで「世界の果て」を知ってしまったことになる。そう思っていた。エヴァは埋葬されたはずであり、それを再び書き記すこととは、ゾンビを叩き起こすような、あってはならない行為だろう。そんなふうに考えている。綾波レイに関するプロダクツは、もはやエヴァ本編と関係ないものとなっている。それらには一切興味はわかない。ゲームの類もやりたいとは思わない。


他人が作ったものではなく、自分が作った綾波レイしか、私は愛せないのだろうか。


愛とか言っていいのかな?


彼女はまだ生きているのだろうか?




レイ=霊=たましい


空のペットボトル




彼女を見て「怖い」と感じるのはなぜなのか。それは多分、自分と対峙する恐怖なのだろうか。


そして私は、彼女に別れを告げた。


テレビ最終話。謎の転校生として突如現れたチャーミングな女の子。彼女を「あれは綾波ではない」とするのは間違いだ。なぜなら、あの綾波レイクールなさまが、単に「人として振舞うさまを知らない」だけだったとしたら、エヴァという物語が、ゲンドウが死に別れたカミさんに逢いたいためだけに発動した「人類補完計画」などではなく、綾波レイを本来の姿に戻すための「綾波補完計画」だったとしたら、もしそうだとしたら、もしその計画が上手くいっていたら、あの快活な転校生は、もしかすると彼女の本来の姿なのかもしれない。




10年後、私は彼女と再び出逢う。

ealeal 2008/03/27 18:10 何もしてないだろうと思われるのもあれなんで、未完成だけどupしました。
それとね、出版がインディペンデントなんだから横書きでいいよねチャーリイさん?
横書きだったら漢数字にする必要なしだから。そこら辺って書くときのテンションに左右するんで。

CharlieGordonCharlieGordon 2008/03/27 20:19 OK。

haruku666haruku666 2008/04/28 20:43 はじめまして、こんばんは。
「雨の日の日曜日は・・・」というブログをやっている者ですが、綾波萌えです(笑
ealさんの記事、私の気持ちを代弁してくれていて、感動しました。
これからも読みますので、よろしくお願いします。

ealeal 2008/04/28 22:04 ありがとうございます(^^)
いやあ、ヱヴァ序DVDも見たんですが、綾波について書こうと思うと、恥ずかしいってのもあるし、あらためて見て、思うところもあるんですが、言葉にできない。だからまあ、気長に見守ってくださいです(^^;)

綾波のことを書こうと思うと、なっちについての文章になっちゃう、かもしんないし。

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