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2008-07-18-Fri エレンの萌え論「萌え☆ぼん」 3.オタクとヲタクの違い

3.オタクとヲタクの違い


【追記】「オタクとヲタクの違い」という文章を同人誌『萌えとお菓子』のあとがきに書きました。

掲載誌『ひきこもり博士の[ハロプロ][萌え][エヴァンゲリオン]研究日誌』
http://eal.hatenadiary.jp/entry/moegino1
◆入手方法
はなごよみ参加イベントにて頒布
http://osito.jp/
https://twitter.com/osito_kuma
id:osito
はなごよみ通信販売
http://osito.jp/dojin/order.html
COMIC ZIN委託販売
COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ひきこもり博士の[ハロプロ][萌え][エヴァンゲリオン]研究日誌
http://www.comiczin.jp/

2015年1月11日)

3-1 オタクとヲタクの違い


マニア】趣味として何かを集めたり、何かをしてみたり、することに熱中している人。(『新明解国語辞典三省堂

アニメや漫画のマニアのことを指す俗語として誕生した「オタク」は、国際的に通用する日本発の新しい文化の代名詞となる。そして、インターネットから生まれた、オタクと一般女性との恋愛物語「電車男」がテレビドラマ化され、彼らの存在が広く知られるようになった。そして、「オタク」のなかでも特に秋葉原や萌えに親和的な者が、ヲタクと呼ばれるようになる。

かつて「おたく」と呼ばれたひとたちは「オタク」として良くも悪くも注目されるようになった。そして、最近では、より先鋭化した(そしてより偏屈な)という意味を込めて「ヲタク」または「ヲタ」と自称または他称されるようになった。

この言葉に定義については、これまでさまざまな解釈に基づいてなされてきた。しかし、本書では、それらを尊重しつつ、独自の解釈を行う。

ヲタクとオタクとの違いは、明確にしておかなければならない。なぜなら、オタクとは、萌えといった考え方や感じ方に、どちらかといえば否定的な見解であるからだ。普通、両者は一体のもの、同じものとして一般的に捉えられている。ところが、彼らのなかでは、この「萌え」をめぐって「抗争」のようなものさえ起ってしまっている。でも、そのような現状とは、一般的にはどうでもいい、彼らのこだわりでしかない。一般的にはオタクとヲタクとの違いは認識されてはいない。その時点で萌えの正確な認識は広く普及していない(されない)ことになる。萌えにこだわらないのがオタクであり、萌えが必須条件となるのがヲタクであるからだ。まず、そこをはっきりさせ、萌えやヲタクをわかりやすく解き明かすことを目標とする。わかりやすい萌えの解説を目指す、わかっていただくために、読者には少し難解な話につきあっていただきたい。

3-2 王様は死んだ


進化した視覚をもつ
高性能のレファレンス能力をもつ
あくなき向上心と自己顕示欲
岡田斗司夫オタク学入門太田出版, 1996.)


これは、作家の岡田斗司夫による「オタク」の定義である。岡田は、模型店の運営や関連するSFイベントなどを行っていた当時、後にエヴァの監督となる庵野秀明など、自分が仕事で関わる者たちの才能を「オタクとして」高く評価していた。彼の友人や知人、周辺の人物がオタクであり、その才能の原点が「オタクであること」だと直感した岡田は、彼らとともにアニメ制作会社「ガイナックス」を立ち上げる。その後、評論家に転向した岡田は、そのような自らの論を『オタク学入門』にて発表する。

この著書にて岡田は、それまでの、彼らに対する「家にずっとこもって外にでない人たち」「アニメやまんが、ゲーム好きな奴」「ずっと家にいて暗くて人付き合いの悪い奴」などのネガティブなイメージのみが先行している現状に対して、逆に彼らは「映像時代の生存競争に適応した」エリートであることを主張。アニメ作品を審美し分析し、どこまでも追求するたぐいまれない探究心を持つ彼らの態度を「粋」であり「通」であるとした。

岡田の主張とは、常に明快で、わかりやすいものである。2007年ベストセラーとなった岡田のダイエット本『いつまでもデブと思うなよ』(新潮社, 2007.)にて提出されるコンセプトも、努力などしなくていい、食べたものをメモするだけ、である。本当にそうなのかと疑いたくなるほど、あっさりとしている。実際に岡田は50キロの減量を果たしている。「レコーディングダイエット」というコピーも、非常にわかりやすく、興味や関心をそそられる。

岡田の論調には、現状のあやふやさをなかば強引にカテゴライズするという特徴がある。受け取る側の抱きがちな迷いや不安を(強引に)消し去ってしまう。岡田の語り口とは、いわゆる「はったり」であり(ダイエットの過程で岡田は実際には苦労し努力したのだが、そういった主張を彼は表向きにはしない)、それは岡田本人も自覚している。卓越した現状分析がまずあり、そしてそれをユーモアに転化させる(彼が関西圏出身であることに関連すると思われる)。強引だが、明快であり、しかも語り口がユーモラスで面白い。それは、マスコミに取り上げられやすい性質のものであり、当時から現在まで、岡田は「オタクの代表」として、さまざまな場所で持論を展開するようになり、岡田の論が彼らの定義であるとして、その後、彼らを論ずる際に最も引用されることになった。

もともとSFマニアで、積極的にファン活動を行い、同時にヤマトなどのアニメ作品にも魅せられた岡田は、アニメをSFとして認めないとする古参のSFマニアからアニメを擁護する立場にあった。そのような世代間の対立は、ガンダム放映時にピークを迎えた。岡田が、オタクこそが「情報資本主義社会をリードする」選ばれたエリートであると、大袈裟な主張を続けるのは、そのような背景があったからである。

3.2.1.「オタクは死んだ」のはなぜか


オタク・イズ・デッド
2006年05月24日19時半から新宿ロフトプラスワンで行われた岡田斗司夫ワンマントークショーのタイトル。及びその反響。
株式会社オタキングの代表取締役であり、自らオタクの王様"オタキング"と名乗ってオタク関係の著作の発表や活動、東京大学では非常勤講師として「オタク文化論」を行っていた、オタク論客の第一人者であった岡田が「オタクは死んだ」をテーマにし、舞台上で涙ぐむ様子などを見せたとリポートされたこのイベントは、ネット上を中心に大きな論議を呼んだ。
はてなダイアリーキーワードの項目「オタク・イズ・デッド」より引用)


このイベントでの岡田の主張は、後に『オタクはすでに死んでいる』として出版された(新潮社, 2008.)。なぜ「オタクの王様」である岡田が、わざわざ「オタクは死んだ」と宣言しなければならなかったのか。それは、エヴァブーム以降の、萌えブーム、萌えの顕在化によるものであるとされる。

岡田は、以前から萌えブームについて懐疑的であった。萌えがブームになることで、萌えがわからなければオタクではない、のような風潮が(彼らの周辺で)蔓延してきた。「オタク・イズ・デッド」での岡田の主張とは、以下のようなものである。

いつから萌えがオタクの絶対条件となったのか。そのようなものの見方とは、世間のそれそのものであり、オタクがそのような考え方に至るのは、かつてのオタクにはない恥ずべき態度である。オタクとは、流行に乗るだけで主体性を持たない世間一般をあざ笑い下に見る者たちであったはず。自分の趣味、自らがそれ(世間からマイナーとされる)を選んだことそのものに誇りを持っていた。しかし、あらかじめ用意されている萌え系コンテンツを消費するのみの、現在の彼らとは、それに乗る「だけ」であり、頭が悪いオタクとは、もっと知的で行動的で、独自性を発揮する「選民」であったはずだ。今はもう、そうではなくなった。近年のコンテンツ系ビジネス(特に萌え関連コンテンツ)の隆盛は、「誰でも簡単にオタクになれる」環境であり、もはやオタクが自分たちの愛好する文化を守るべく、知的にふるまい理論武装して世間と対峙する必要などはなく、オタクが「貴族」として礼儀をわきまえるような、自らの行動を自覚する態度を今後の彼らには望めない。

世代交代が行われたという見方は、ある意味正しい。そして、岡田の定義する「オタク」とは、いわば理想像でしかない。努力目標としての「オタク」である。嘘をついているとまではいわないが、萌えがここまでのムーブメントに及ぶことは、岡田にとって、理想の「オタク」を作り上げるうえでの、無視できない問題となってしまったのである。

いつまでもデブと思うなよ』のインタビューでは、痩せたことと「脱オタク」とを関連づける類の発言もみられた。岡田は、かつての、SFの古参との対立構造と萌えをめぐるそれとが同じものであると、自嘲する。そして、オタクの王様は、自ら玉座を降りたのである。

3-3 新世紀エヴァンゲリオンとは


1995年に放映されたテレビアニメ新世紀エヴァンゲリオン』(以下エヴァと省略)という作品は、以降の、影響するさまざまなムーブメントを巻きおこした。作品のレーザーディスク(後にDVDでの発売もされる)やサウンドトラックなどのCD、関連グッズやフィギュアフィルムブックなどの副読本、作品内に無数にちりばめられた「謎」を独自に分析する「謎本」など、これら一連のエヴァ関連商品の総売上が三百億円(日本経済新聞, 1997/5/12.)にものぼり、「エヴァ特需」とされ、アニメファンのみならず経済界からも注目された。

セカンドインパクト」と呼ばれる地球規模の大災害を経た2015年の地球を舞台に「碇シンジ」たちの14歳の少年少女たちがエヴァンゲリオンと呼ばれるロボットに搭乗し「使徒」と呼ばれる正体不明の敵と戦うアニメ作品。作品名、主役ロボットともに「エヴァ」と省略して呼ばれる。映像スタイルは、『ウルトラマン』などの特撮作品や過去の優れたアニメ作品などからの影響がありながらも、監督の庵野秀明アニメ制作会社ガイナックスの精鋭スタッフら独自のもの。一筋縄ではいかない謎だらけのストーリー展開や、精神的に追い詰められる主人公たちのさまも含め、ありとあらゆる面で斬新な内容が、さまざまな反響を呼んだ。放送開始当初からアニメファンには人気があったのだが、次第に登場人物の内面の描写に重きを移し、ついには伏線の回収を放棄して、最終回では主人公の心の救済にのみ終始。

この作品は、その年代のアニメブームの牽引者となった。無表情でミステリアスな少女「綾波レイ」や、ツンデレ(好意を寄せる異性に対し、普段は突っぱねる態度を取るが、ふとしたきっかけで急にしおらしくなるような行動を取るような性格)の始祖と呼ばれる勝気な少女「惣流・アスカ・ラングレー」は、これ以降のアニメ作品における人気キャラのひとつの雛形(その後それは萌え要素と呼ばれるものとなる)となった。アニメファンの間では、レイ派対アスカ派の対立や、「あの意表を突いた最終回を肯定するかどうか」など、さまざまな論争が起こり、結果的に監督である庵野秀明への罵詈雑言などが殺到した。アニメファンの間では庵野が、アニメクリエーターとして「天才」でありまた同時にさまざまなエピソードから「変人」である、ということになっており、アニメファンやヲタクからに限っていえば、その賛美や批判には「あの庵野だから云々」のようなニュアンスが常に含まれる。

3.3.1.エヴァ以降の動き


エヴァのブームは、ガンダム以降の、最も大きなムーブメントとなった。そしてそれは、新たなアニメブームの始まり、萌えアニメ隆盛のきっかけにもなった。

これまでのアニメ製作においては、基本的に他のテレビ番組と同様、視聴率が重要であった。視聴率が悪ければ、最悪の場合、作品の内容が優れていたとしてもシリーズ途中でも放映打ち切りが決定されてしまう。シリーズ中盤で打ち切りが決まり、急遽ストーリーを早急な展開に変更。アニメファンにとっては、どうもしっくりとこない、消化不良となった。

これまでに数々のアニメ製作に関わり、それらの作品の販売を取り仕切る立場でもあるキングレコード取締役の大月俊倫は、優れた作品作りこそが販売実績に反映されるというデータを基に、エンタテインメントとして腰をすえて作品作りを行いたいクリエーターにとって好ましくない、このような環境を改善しようと考え、作品ソフトの売上から得る利益を計算に入れた上でのアニメ製作を試みてきた。そして大月は、エヴァプロデューサーとして、それまでの経験を生かし、累計276万本(前出、日本経済新聞)という爆発的なセールス記録を打ち立てた。

監督の庵野は、なかば乱暴な物語の収束について、ヲタクに対する「現実へ帰れ」といったメッセージであると語っていたが、実際には、以降に制作されるアニメ作品のなかに「現実に戻れない」ヲタク向けの「萌え」に特化するものが増え、それを「品のない金儲けでしかない」と「元エヴァヲタク」が自身のブログにてペダンティックな論調を発表したり、というように、彼らはますますヲタクの度合を深めていった。それは、エヴァのブームがかたちを変えて続いているのだといえる。そして、そのような現状のなか、2007年、庵野は「エヴァを終わらせる」ために、劇場作品としてエヴァを作り直すことを決意する。四部作から構成されるという、その第一作は2007年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE.』として公開された。

3-4 秋葉原の変貌(エヴァ以降のムーブメント


萌え関連コンテンツの商品、アニメのDVDやキャラクターグッズなどを販売するショップが秋葉原に集結するようになり、ヲタクの街として再編された秋葉原は、ヲタクの奇妙な行動に注目するようなニュースとして、テレビなどのメディアにてさかんに取り上げられるようになる。イタリアの美術博覧会「ヴェネチア・ヴィエンナーレ」にて開催されたOTAKU展、そして、テレビドラマ電車男』のヒットを受け、2004年頃には萌えが流行語となる。

気づいたときには、すでに秋葉原は「萌える街」となっていた。それは、これまで広く知られていなかった、アンダーグラウンドカルチャーである萌えやヲタクを顕在化させるきっかけとなった。世間一般での萌えブームのキーワードとなる「秋葉原」「メイド喫茶」「経済効果」「電車男」を経て、萌えは流行語となる。

秋葉原といえば、日本で最も有名な電気街である。ところが、ある時期から、その街の様子は一変する。新たな駅ビルや大型電気店の堂々たるさまは、以前の、どちらかといえば猥雑なイメージを払拭しそうな勢いがある。そして、どういうわけか、アニメの少女の看板が目立つようになる。もちろん、現在でも一部では昔ながらのパーツショップなどがその面影を残してはいるのだが、何かがこの街を激変させたのである。

時代に敏感 “萌える街”
東京・秋葉原が変貌(へんぼう)しつつある。
ITから「オタクビジネスへの転身は、最近の秋葉原を象徴する動きといっていい。
90年代後半、郊外型の家電量販店との競争が激化して、秋葉原のパソコン店などは大打撃を受け、閉店が相次いだ。一方、アニメエヴァンゲリオン」などの大ヒットで、関連商品の人気が高まった。
オタク文化に詳しい建築学者森川嘉一郎氏は、「パソコンマニアアニメオタクが多かったことが、秋葉原に関連需要を集中させた」と分析する。
読売新聞, 2005/8/2.)


これまでの秋葉原とは、電気街であり、パソコンの街であり、といった、マニアックな男性に好まれる街であった。もちろん今もそこは変わらない。しかし、そこに、アニメや萌えが入ってくるようになる。もともと、ヲタク向けのパソコンソフトという商品は、大量に売れるものではなく、専門街として秋葉原のショップが重宝されていたという事情もあった。よって、これまでにも、秋葉原に比較的多くのヲタクが訪れることは知られていた。そこで、ヲタクの好むアイテムをすべて揃えれば、彼らにとっても都合がよいだろうし、売上増にもつながる。秋葉原がヲタクの街となったのは、だいたいそのような理由であるだろう。そして、アニメのDVDが売れる、という事情もある。

エヴァのヒット以降、パッケージメディアアニメ作品を収録したDVD)の売上から得られる利益をあらかじめ製作予算に盛り込む手法がアニメ業界でのトレンドとなる。これまで、アニメ業界とは、それまでの長年のテレビ局との取り決めがなかば悪しき伝統として残っていることもあって、基本的に低予算での制作を余儀なくされていたのだが、エヴァ以降、この手法が定着する。制作会社の傾向として、海外市場まで視野に入れる作品作りを行う(プロダクションアイジーなど)、または、ヲタク向けに特化する作品「萌えアニメ」を作る。おおまかにそのように分けられるようになっていく。

それらのアニメ作品は、そのほとんどすべてが深夜に頻繁に放映される。夕方やプライムタイムは予算が高いからであり、録画することを前提とするヲタク(当然気に入ったものを後に購入することとなる)にとっては放映時間はあまり関係がないからである。パッケージメディアの利益を計算に入れるといっても、それは結局は放映後であり、実際に制作する期間とは、制作会社は赤字を抱えながらクオリティの高い作品を作ることを目指す。

そして、「萌えアニメ」は、関連商品からの利益をアニメ制作に反映させようと目論む。アニメゲームなどのヲタク向けコンテンツを販売する株式会社ブロッコリーは、秋葉原に本店を開店し、自社のマスコットキャラクターである「でじこ」を主人公とするアニメ制作にも関わるようになる。

3-5 コンテンツ販売戦略と萌え


1999年に放映された『デ・ジ・キャラット』にて大月俊倫は、エヴァで成功したコンテンツ展開をさらに発展させる。このアニメの主人公の少女「でじこ」は、秋葉原にあるゲーマーズというゲーム販売店で働くという設定なのだが、このゲーマーズとは、実在する店舗である。この作品の企画には、ゲーマーズを店舗運営する株式会社ブロッコリー代表取締役社長(当時)の木谷高明(現在は株式会社ブシロード代表取締役社長)が関わっている。そもそも「でじこ」とは、ゲーマーズそしてブロッコリーマスコットキャラクターとして誕生した。

作品としての『デ・ジ・キャラット』は、でじこやその仲間たちがドタバタを繰り広げる、スラップスティックであり、描かれるのは、エヴァなどと違い、ちからの抜けたような日常生活のギャグである。アニメ作品としてのクオリティは、大月がこれまで関わってきたスタッフ制作によるものであり、決して低くはない。しかし、この作品の興味深い点とは、そのキャラクターの成り立ちである。

ゲームをはじめ、ヲタク系コンテンツ、萌えコンテンツ全般を取り扱うゲーマーズマスコットであるでじこは、萌えキャラとしてデザインされている。ブロッコリーは、主な顧客がヲタクであることで、ヲタクがどのような商品に興味関心があるのかを常にリサーチしており、いいかえれば萌えのトレンドに最も敏感である。売上に直接響いてくる、最も重要な関心事であるからである。いわば、萌えの専門家であるといえる。萌えに熟知するブロッコリーマスコットであるでじことは、販売戦略の観点からも、萌えキャラとしての責務が与えられたキャラクターである。

大月と木谷が組む、『デ・ジ・キャラット』などのコンテンツ展開で、萌えはビジネスとして確立した。ブロッコリーは、萌えコンテンツの中核的な存在として、市場をリードするようになる。店舗運営だけではなく、コンテンツ制作事業にも意欲的に参入。『デ・ジ・キャラット』などを自社コンテンツとして展開する。トレーディングカードなどの商品を企画し、流通させ、店舗販売を行う。関連のイベントなども開催する。これは、歌手のマネージメントからCD販売、そしてオーディオ機器の製造やインターネット接続業まで行う、ソニーが目指す企業戦略と同様のものなのである。『デ・ジ・キャラット』の舞台でもあり、実際にその地に店舗を構えている秋葉原が、やがて萌えやヲタクの聖地と呼ばれるようになったのは、『デ・ジ・キャラット』、すなわちブロッコリーの功績でもあった。

3-6 コンテンツ


宮崎駿が監督するアニメ作品『千と千尋の神隠し』が、国際的な映画祭にて大賞を授賞するなど、国内のみならず海外においても、日本のアニメが高い評価を得ている。それまで子供向けの商売だとされてきたアニメを、この国の輸出産業のひとつとして支援すべきである。そのような主旨の国家戦略が、政府によって進められようとしている。

経済産業省による「コンテンツグローバル戦略研究会」の報告書によると、アニメゲームなどを「主力コンテンツ」として国家レベルで振興策を検討すべきである、とされている。日本経済を語る上で、コンテンツというキーワードが重要視されるようになってきた。これまでに馴染みのなかった、このコンテンツという言葉は、何を指す、どのような意味なのか。また、そもそもなぜ重要になってきたのだろうか。

[コンテント]本の内容.目次.また,中身.内容.コンテンツ.(『デイリーコンサイスカタカナ語辞典』三省堂

雑誌などの目次のページをよく見てみると「contents」と書かれていることがある。ここでいうコンテンツとは、中身のことである。そしてそれは、情報産業分野における、概念としての意味合いで使用されるものとなっている。

考え方としては、メディア(媒体)とコンテンツ(中身)とに分けられる。『千と千尋の神隠し』のDVDであれば、物質としてのDVDの盤はメディアパッケージメディア)、千と千尋の神隠しというアニメ作品そのものがコンテンツである。また、インターネット携帯電話などの音楽配信サービス(楽曲をCDなどのパッケージ込みではなくそのデジタルデータのみを有料で提供する)であれば、インターネット携帯電話メディア(配信メディア)であり、ダウンロードして試聴可能となる楽曲がコンテンツということになる。わかりやすくいえば、食器と食べ物のような関係である。

では、なぜ、最近になってコンテンツという言葉が頻繁に使用されるようになってきたのだろうか。それは、インターネット携帯電話などが、これまでの業種業態を越える新たなインフラ(流通基盤)として、急速に普及してきたことと、密接に関係してくる。

レコード盤がCDに、ビデオテープがDVDに、カメラデジタルカメラに、というように、ありとあらゆる情報がデジタルデータとして取り扱われるようになり、それらはすべて、等しくデジタルデータとしてインターネットを通じ、手軽に相手に届けることができる。

そのような生活環境は、何を変えたのか。これまでは、映画は配給会社、音楽はレコード会社、書籍は出版社、というように、ジャンルごとに流通ルートが分かれていた。それらが、デジタルデータとしていわば「横並び」となり、ジャンルパッケージやルートの区別を意識することなく、パソコン携帯電話で楽しむことができる。そのような状況があり、それら情報端末機器の普及率が高まってきていることで、デジタルデータそのものが極めて価値の高い商材ということになってくる。それは、ジャンルの垣根が不要になってきたということでもある。そこで、ジャンルごとに区別なく語ることができる、適切で簡潔な言葉が必要となってくる。すなわちそれが、容器ではなく中身を意味する「コンテンツ」ということである。

もはや、問われるものは中身である、といったような、クリエイティブに携わる者にとって当然であるはずの考え方が、あらためて見直されることになった、とでもいえるだろう。

とにかく、政府も業界も、これを景気回復の起爆剤としたい。コンテンツという流行語を作り、勢いをつけたい。そのような意識もあるのだろう。コンテンツビジネスを日本の主力産業にしよう、という目論見。そこで、国際的に評価が高いとされるアニメが注目されたのである。

なぜ、アニメなのか。政府が注目するようになる何十年も前から、日本のアニメや漫画は海外に輸出され、一定の評価がなされていた。海外旅行先のホテルで、字幕入りの日本のアニメを見たことがあるという話を、聞いたことがあるかもしれない。「anime」とは、「karaoke」や「tofu」などと並ぶ日本発の文化を指す国際語として、すでに通用している。子供が見るものとして徹底して作り込まれている、アメリカディズニー製の「アニメーション」ではなく、人間の内面に迫るドラマが描かれている「アニメ」として、私たち日本人が考えている以上に、すでに世界に知られてしまっているのである。そして、秋葉原には、電化製品ばかりでなく、「アニメ」や「萌え」を求めて、海外からの観光客が多く訪れるようになってきている。いまや、日本といえばアニメ、なのである。

3-7 ヲタク向けコンテンツとは


経済学者の森永卓郎が『萌え経済学』(講談社, 2005.)にて、経済の一分野として萌えやヲタクを取り上げ、萌えに関連する産業が新たなビジネスモデルであると主張することで、ヲタクの消費活動やその規模の大きさが多くのひとたちに知られるようになり、そのマーケットに興味や関心が集まるようになる。

萌えに関連する、ヲタク向けのコンテンツには、どのようなものがあるのか。さまざまな業態に渡る「コンテンツ系」とされるものを並べてみる。

3.7.1.漫画

・出版物(雑誌、単行本)、ウェブコンテンツ

紙とペンさえあれば誰でも気軽に始められる表現方式。人気のある漫画作品はアニメ化される。雑誌連載開始の時点でアニメ化やその他のコンテンツ展開が企画されることも多い。過去のヒット作品をインターネット携帯電話にて読むことができる、ウェブコンテンツとしての展開もされるが、それは、コアなヲタク向けというよりも、かつての漫画ファンの需要を掘りおこそうという狙いのほうが大きい。

3.7.2.アニメ

・番組(地上波, BS, CS)、パッケージメディア(DVD)、ウェブコンテンツストリーミング配信)

基本的には、番組として放映されることが前提。試聴率が悪ければ途中で打ち切られ、未完で終了することもある。皮肉なことに、それがきっかけでヲタクの間で話題作となることもある。エヴァのヒット以降は、企画の段階でパッケージメディアからの利益を想定して製作するという方式が定着した。優れた作品であれば、ヲタクは必ず購入するからである。漫画と同様に、インターネットでの配信ビジネスも盛んに行われる。

3.7.3.ゲーム

パッケージメディアCD-ROM, DVD-ROM)、ウェブコンテンツオンラインゲーム

ファミコンプレイステーションなどのゲームソフトは、ヲタク以外の人気も高いが、美少女キャラクターとの恋愛を楽しむ「恋愛シミュレーションゲーム」は、ほぼヲタク向けのコンテンツとして企画される。高スペックパソコンでプレイする美少女ゲームソフト(ポルノ的な内容が含まれるもの)などは、ヲタクのなかでも特にマニアックなひとたち向けの、限定されたコンテンツ。一方、インターネットでのオンラインゲームは、アニメなどよりも広く世界的な規模で展開される。

3.7.4.声優

アニメ作品の特定のキャラクターのファンになり、それがきっかけでその声優のファンになる。声優の活動は、アニメ作品のアフレコが主なものであるが、それ以外にも、歌唱力のある者は、CDをリリースしたりコンサートを行うなど、そのフォーマットは邦楽アーティストに準ずる。自らがメインパーソナリティを務めるラジオ番組を持つ者も多い。エヴァ以降の声優ブームを受け、声だけでなくその容姿込みで売り出す「アイドル声優」といった展開も、目立つようになってきた。

3.7.5.小説

・雑誌、単行本

ヲタク向けとして書かれる小説は、ライトノベルと呼ばれる。アニメや漫画の手法を取り入れた「キャラクター主体」的な内容。挿絵の描き手に人気が集まることも多い。

3.7.6.ソフトウェア

アプリケーションソフト、エンターテイメントソフト、携帯アプリ

アニメや漫画など、既存の人気作品の関連商品として企画されるものが多いが、2007年に話題となった『初音ミク』のような、オリジナルキャラクターをフィーチャーしたものも、少なくない。パソコンで使用される標準的なソフトにキャラクターをあしらったもの、キャラクターそのものを楽しむゲーム的要素の強いものなど、種類は多岐にわたる。

3.7.7.フィギュア

アニメや漫画などの登場人物美少女キャラクターなど)やロボットなどの、プラスチック製の人形。アニメ機動戦士ガンダム』の関連商品である「ガンプラ」が最も良く知られたものであるが、元々はユーザーが組み立て塗装するものとして、ヲタクの一部の層のみの嗜好品であった。エヴァ以降には「買いやすい」完成品の販売も多くなる。

3.7.8.グッズ

文房具や日用雑貨ぬいぐるみなど、アニメや漫画などの意匠をあしらった、キャラクター商品。子供向けアニメのものであればスーパーマーケットコンビニエンスストアなどでも販売されるが、ヲタク向けのものは、専門店のみの取り扱いとなる。

3.7.9.同人誌

既存の漫画やアニメなどのキャラクター世界観を材料に描かれた、二次創作物。同人誌がきっかけでプロの作家になる者も少なくない。日本独自の文化として、最も注目すべき分野のひとつ。国内最大の同人誌の即売会「コミケ」は、東京ビッグサイトにて年に二回開催される。

3.7.10.コスプレ

コンテンツ系キャラクター登場人物)の服装を真似る「コスプレ」とは、コスチュームプレイの略。もともと海外ではSF作品のコスチュームプレイが盛んであったのだが、日本ではもっぱらコンテンツ系コスプレが主流である。同人誌の即売会などで自主的にコスプレ活動は行われてきた。初期の頃は、その衣装は「自作」が主であったが、最近では「既製品」を取り扱う専門店もある。

3.7.11.関連産業

アニメや漫画そしてゲームなどの情報雑誌やウェブサイト。そして、ここで取り上げた商品の販売を行う専門店。なお、アニメなどの人気の作品のイメージをフィーチャーする性風俗店なども存在するが、本書では取り上げないこととする。

3.7.12.アイドル関連

本書では『モーニング娘。』にも言及するが、それに関連するさまざまなアイテムについては基本的に上記に順ずる。

3-8 エヴァがわかるかどうか


雑誌編集者竹熊健太郎は、放映当時に、エヴァの面白さにとりつかれていて、それは、偶然会った初対面の庵野秀明にその場で雑誌のインタビューの約束をとりつける、といった程度の勢いであった。

エヴァアニメファンのみならず、これまでアニメについて関わりを持たなかったさまざまな人たちによって語られてきたのには、作品の面白さというものが前提ではあるが、その面白さを「壊した」とされる、これまでのアニメの典型を踏襲せず「自己啓発セミナー」として終了してしまったという意外性が、最大の理由であった。その最終回(物語の収束の手法)を肯定するか否定するか。エヴァという作品は「わかるか判らないか」といったレベルで語られ論じられた。これは、後に盛んに行われる「萌え論争」に発展する。どちらかといえば揶揄することを常套とする岡田斗司夫は、当時、竹熊の態度を「現実から拒否された竹熊氏は、ますますエヴァ庵野秀明に深くはまりこんだ」(岡田斗司夫ウェブサイトより引用http://www.netcity.or.jp/otakuweekly/PRE0.7/TR1.html)などと評した。このことがきっかけで、両者は対立してしまう。

エヴァをめぐる、マニアックな論争。それは、セーラームーンからエヴァに引き継がれた、萌えといった感覚についても語られたのだが、最終二話から広がる、エヴァを「認める」かどうかについての考察が主な議題であった。彼らにとってエヴァとは、経済効果による世間一般の判断よりも「わかるか判らないか」が、評価するか否かの基準となっていた。

そして、以降エヴァを好意的に評価する論者が、いわゆる「萌え派」として、岡田や唐沢俊一らの古参と対峙するような構図となり、現在に至る。かつて岡田が作った会社「ガイナックス」が制作したエヴァが、現在の萌えブームのきっかけとなったことは、皮肉なものである(エヴァ制作時には既に岡田はガイナックスを退社している)。当時、エヴァを語ることが萌えを語ることとイコールではなかった。だが、「わかるか判らないか」が判断基準となっていた。それが萌えに対する評価の基準でもあることと関連がある。岡田は、萌えが判らないといった自らへの発言を、客観的な判断ができない者による無能な批判であると受けとめ、それをして、萌えを評価し体現する者たちに対する批判として「オタクは死んだ」と、彼らや萌えそのものを断じる。

「萌え派」といういいかたが適切かどうかは、それぞれの論者の受け取りかたはわからないし、あくまでも本書においての派閥区分であることをお断りしておく。エヴァに衝撃を受け、以降、オタクについて論ずる識者が、これまでの見解、すなわち岡田の論に対しての反論でもあることは、後発ゆえの作法でもある。よって、彼ら「萌え派」の論が、どうしても「反岡田」的な論述であることは免れない。彼らに共通するのは、萌えに対して肯定、もしくはおおむね肯定、といったスタンスである。

3.8.1.エヴァ以降の新たな論客


エヴァ以降の新たな論客のひとり、精神科医で医学博士斎藤環は、『戦闘美少女の精神分析』(太田出版, 2000.)にて、アニメ美少女オタク、萌えを分析。対象物で評論や妄想(二次創作物の創作やマスターベーションなど)を楽しむ(ことをおさえられない)のがオタクなのだと、オタクマニアとの違いを明確に定義。精神科医として、ひきこもりなどの若者をめぐる病理にたずさわる立場から、オタクは精神病者ではないなど、彼らを冷静に考察する。この著書で斎藤は、オタクが性的対象として求める条件とは虚構世界であることを、繰り返し主張している。

そのような論について、岡田は、オタク全体を見ていない限定的なものだと批判する。これまでのオタク論は、オタク的な感性を共有する、彼ら同士でのやりとりでしかなかった。この著書での斎藤の精神分析学視点からの論考とは、いわば「外部」からのものであり、「内部」にいる彼らにとってそれは、拒否反応や反発を生むような、かなり刺激的なものとして受け取られた。そして、この著書が、エヴァ評論ブームの後に盛んになる「オタク評論ブーム」のきっかけになる。

そして、批評家の東浩紀による著書『動物化するポストモダン』(講談社, 2001.)は、『戦闘美少女の精神分析』への回等として、早くに提出されたレポートのひとつである。ここで東は、オタクや萌え、そしてそれらに密接に結びつく、1990年代後半以降に普及してきた「ギャルゲー」や「美少女ゲーム」などの、オタク向けゲームコンテンツや、ウェブサイトなどの、デジタルコンテンツの構造について、「データベース」をキーワードに、独自の解読を試みる。

オタクを読み解くうえで性的な問題を重要視する斎藤の論述に対して、そうではなく、語られるべきものとは統計学的な解析であるとする東のスタンスは、どちらかといえば岡田のそれに近い。両者は、インターネットや活字メディアなど、さまざまな場所で、萌えやオタクについてのミーティングを繰り広げるようになる。そのコミューンには、萌えに親和的な多くの論客が集まり、活発な議論は、現在も続いている。

3-9 本書でのヲタクの定義


本書では、ヲタクとは「オタク」という大きな括りのなかの一大勢力であると定義する。これは、岡田の「萌えを嗜好する者はもはやオタクとは呼べない」のような見解に対する、私からのささやかな反論でもある。オタクとヲタク。本書では両者を、同じトライブ(ここではおおまかな傾向の区分としてこの語を用いる)ではあるが、異なるグループとして扱うことにする。

本書は、萌え論でありヲタク論である。「オタクについての先行研究」は、当然ながら尊重する。だが、萌えという感情について、それが「オタク」の備えるさまざまな特異性よりも、さらに特異な、論じられるべき重要な事象であると私は予見する。そこで「オタク」の特異性については、相対的に軽く、単純なものとしたい。そのようなねらいから、本書では「オタク」について、東浩紀によるオタクの定義「コミックアニメゲームパソコン、SF、特撮、フィギュアそのほか、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称」(『動物化するポストモダン』)を採用する。

上記の東による「オタク」の定義を満たした者のうち、萌えという感覚を自覚し(自らが萌えを享受する性癖であることを了承している状態)、それを肯定する、または概ね肯定する者。そのような条件にあてはまる者を、本書ではヲタクであると定義する。


続き「非モテ」 → id:eal:20080719

参考および関連する文献

オタク学入門 (新潮文庫 (お-71-1))

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いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

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オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

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萌え経済学

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戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

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動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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オタク市場の研究

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参考作品

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 通常版 [DVD]

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参考ウェブページ

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