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2009-03-09-Mon

ヲタクよ自称せよ!



萌えヲタクにしか理解できない感覚なのだとされる。では、ヲタクを自称する人間は全てヲタクなのか? いや違うヲタクは自称などしないものなのか? まあ自称などしなくても他人から見てヲタクにしか見えない人間は間違いなくヲタクなんだけど、単なるマニアヲタクといっちゃう人もまだまだ多く、非常に困っております。

ヲタクとは誰のことか? そんなことを考えるのは、実はそんなに意味のないことである。「社会ヲタク化」などという主張とは、たいていの場合否定的な見解であるのだが、実際はどうなんだろう? 個人的にはウェブ2.0化する社会ヲタク化する社会だととらえていて、それは肯定的でもあり否定的でもある。要するに、これからの人間のありようを模索する上での検討課題なのである。

それはともかく、ヲタクは増えているように見える。それはどうしてだろうか?

ヲタク取りがヲタク


ブログやSBMなどによって構築された、容易に議論に参加できる環境は、それとなくヲタク萌えについて語られた、ヲタクでない者の意見をも急速に取り込む。そして、その発言者は、自覚するしないに関わらず、ヲタクとなる。

それはなぜか。すべてのヲタクは「自分より濃いヲタクがいる」と自己を認識している。それは「ヲタクとは濃いものである」という前提がヲタクにも世間にもあるからなのだが、実は濃い薄いという評価はあまり意味がない。萌えブーム以降、萌え商品を購入するまたは動画サイトなどを視聴する「だけ」の層をライトヲタクとして、ヲタク内で「彼らはヲタクではない」などとする意見が多くみられるのだが、外部からみれば両者は同じヲタクとしか映らない。

ヲタクは、ヲタクというトライブのなかにいながら、常にその全体を俯瞰的に眺め客観的なスタンスを取ろうという二面性を備えている。社会的マイナスであるという世間の認識を受け続けていることで彼らがなかば自虐的であることも理由のひとつであるだろう。

それは、本物のヲタク自分よりも濃いヲタク)というコアな集団がどこかにあるという「幻想」がヲタクのなかにあることを意味している。ヲタクとは、例えば「ヲタクとは変わった集団だなあ」というように、常にヲタクを語る傍観者でもある。ブログやSBMなどの隆盛によって、ヲタクそのものを語るヲタクが目立つようになり、ヲタク傍観者的な態度が、以前にも増して見えるようになってきた。そもそも、「オタク」の代表を自称していた岡田斗司夫でさえも、傍観者として彼らを語るというスタンスを取っていた。ヲタクを語る際にはこの方法しか取ることができなかったので、これまでのすべてのヲタク語りとは、出版されたものを含め、たとえ自身がヲタクであっても傍観者として語るしかなかった。

ヲタクには内部がない


ヲタクには内部はない。内部が存在しない、中央集権でないというのは、インターネットと同じである。

すなわち、ヲタクには内部はなく、あるものと信じられている「内部」を取り囲む傍観者という「殻」そのものがヲタクという概念を構成するということになる。いまや、岡田が必須とした条件である「事前の知識」がデータベースにより不要となった。ありとあらゆるヲタク的に有益な資産とはネット上で共有され、必要なときにアクセスすれば良い。

これは、極めて合理的であるといえる。そして、ヲタク萌えについては他のトライブカルト宗教など)とくらべて言及しやすいということもあり、また、萌えヲタクをめぐる問題が今日的であるということもあり、それらについて語るヲタクでない者も増えてきている。しかし、彼らもヲタクと同様に、傍観者である。よって、その者は(ヲタクの)外部という「殻」を構成するクラスタとなり、傍観者という点ではイコールとなる。

つまり、ヲタク取りがヲタクとなる。ネットによりヲタクが増えたように見えるのは、このような、ヲタククラスタ構造上の特性であるといえる。

ヲタクよ自称せよ!


ヲタク萌えについて、興味さえ持てばネットのデータベースから簡単にその定義(表層的なものではあるが)を調べることは可能であり、それらについて意欲的に語ろうとする時点で、誤解を伴うものではあっても「まったく知らない」ということがなくなっている。語ろうと思えば誰もがヲタク評論家となり、つまり、誰でもヲタクとなり得る。

ニコニコ動画などの普及によって、ライトヲタクが台頭=ヲタクが薄まった、などの意見がみられるのだが、それは問題ではない。

ヲタクの規模が拡大したことに意味がある。それは、共有とディスカッションにより、これまで曖昧とされてきたヲタクの正体が顕在化し、ヲタクがさらにヲタク的なある次なるステージへと進化する、理想的な環境が整ったことを意味するものである。

先に、ヲタクを語る方法は傍観しかないと書いた。しかし、本田透の『電波男』や、桃井はるこの「萌えロックだ!」のように、大胆にアグレッシヴに、ヲタクであることを主張する者が現れてきている。ここに来て、ようやくヲタクは「見えて」きた。

ヲタクのありようについて、例えば性的に白か黒か?などのような問題とは、いまだクリアになっていない。ディスカッションはおおいになされるべきである。検討課題は山積みであり、今後、このような傾向は加速するものと思われる。

だから、ヲタクヲタクとして堂々と発言すべきなのだ。

追記



ぼくは最近のゼロアカとかいう東浩紀界隈のムーヴメントについて、よくわからない。だから、ファイナルザクティ革命宣言 - 藤田直哉のファイナルザクティ革命に書いてある内容も、よくわからないでいる。何かが起こっているらしいことは何となく漂ってくるだけに、くやしい。
でも、

ファイナルザクティ革命がすごいのは、もはやこの革命が、自分の勝利しか考えていないところだ。革命という語からあらゆる公的な理念を奪いさり、藤田直哉は個人的な願いのためにこの言葉を使いはじめている。
革命という語の堕落。しかし、そうでなければ、堕落した生を革命することはできなかったのだ。

この七里さんの文章(http://www.hatena.ne.jp/nanari/)を読む限り、補完計画(http://d.hatena.ne.jp/eal/20090227/p1)のその後は大丈夫なんだと思えてきた。飛び出せホントの自分!ってことなんだろう。ぼくが前に書いた「ロックせよ!」(http://d.hatena.ne.jp/eal/20080725)は未完成のままだけど、つまり、こういうことだったんだ。
ぼくも早いとこロックしなくちゃ!

追記2

とにかく自分メディアを持たなければと思ったのは、このままではタレントとして芸能界から抹殺されるどうこう以前に、パーソナリティが殺されていくと感じたから。自分自分で守らなきゃいけないと。基本的に、ブログ文化って個々の自己防衛手段でしょ。

いろいろなタレントがブログをやってるけど、基本的には事務所管理の公式ブログ以外のメディアを持たないとダメだと思いますね。特に芸人って管理だなんだとは真逆職業。さらけ出してナンボというか。自分で律したルールの中で、他人に迷惑かけないようにやってきたつもりですしね。
漫才師・水道橋博士氏/「失敗」すら笑い飛ばせる。お笑い芸人は最高の職業だ - 日経トレンディネット
強調筆者

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