『ゲノムと聖書』批判(3)

「批判(2)」からの続きだけれど、それではこの本の中で繰り返し主張している「進化論が事実である」という証拠はなんだろうか?
私もこれほどの人の書いた最近の本だから、何か真実らしいもの、検証に値することが載せられているかも、という期待と共に興味を持って読み始めた。
。。読み終えた後の率直な感想は「この本には中身がない」というものだった。もちろん、それは個人的感想だけれど、なぜそのように感じたのか、少し引用しながらその心情をお分かちしたいと思う。。

今日、本格的に生物学を研究する生物学者であれば、生命の素晴らしき複雑性と多様性を説明するのに進化論を疑う人はいない。
事実、進化のメカニズムを通してすべての種の間に関連性があることは、生物学全般における理解の動かし難い基礎となっている(p97)

ふむふむ。それで進化論の妥当性は?

カニズムとしての進化は真実であり得るし、真実に違いない。(p104)

そうですか。で、進化論の証拠はなんでしょう?

複数のゲノムを調査した結果、ヒトのDNA配列を他の生物のそれと詳細に比較できることがわかった。(ヒトのDNAとチンパンジー・犬・マウス・ショウジョウバエ・線虫のDNAの類似を示し)これらの事実は、−ダーウィンの進化論、すなわち、生物は共通の祖先から不規則な変化と自然選択を経て進化してきたという知見を強力に支持している。(p123)

DNAが似ていることが、進化論の証拠?!
同じ創造主が造った証拠とは言えない?!

淡水産と海水産のトゲウオの違いを拡張していけば、やがてさまざまな種類の魚が生まれるだろうことは想像に難くない。このように、大進化と小進化の区別はむしろ恣意的であると言える。新しい種を生む大きな変化は、小さな漸進的変化の積み重ねの結果なのである。(p127)

淡水産と海水産の魚の違いから、あらゆる種類の魚が生まれること、さらに大進化;魚が地上を歩き出して動物になったことも、ネズミから最終的にヒトに進化したことまで「想像に難くない」という結論になる?!
「淡水産のトゲウオ」には、EDA遺伝子があり、それが進化の原因になり、そのEDA遺伝子が人間にもある、だからこういった”想像”が生まれているようだけど、トゲウオと人間だけが進化したの?どの生物にもこの遺伝子がないとおかしくない?


他にもウィルスや細菌が変質することを例にあげて「進化の証拠だ」と言っているけれど、ちょっと苦しくないか。。


。。というのが率直な感想だった。


科学者らしく、このような理由で私は進化論の立場をとる、私は進化論の立場にこれこれの理由でアブダクション(現時点でもっとも有効性が高いこと)があると思う、と書けばいいものを、自分がいかにすごい人物なのか、いかにすごいプロジェクトに関わり、大統領の隣に立って、その成功を発表したか、その成功を讃える歌まで書いて、その情熱をアピールしている。
そういった内容がほとんどで、真摯に進化論の根拠について書かれている部分はなく、上記のようなものばかりだった。
「。。とにかく、進化論が事実だ。進化論が正しくなければ、話にならないのだよ!」と繰り返し自分の研究成果と共に語っているだけとしか読めなかった。

書かれているように、実際に、生物学に携わる人たちにとって、進化論を前提に研究をしているのだから、その土台を否定されることは、今までの研究を無にされることと同じことだと思う。このような研究が、これまで多くの貢献をしてきたことも事実だ。そこの部分で、みな混乱してしまい、だまされてしまう。

このことについて、↓の引用に出てくる「言語ゲーム」を解説することで、少し説明出来るかも。