柏崎刈羽原発の惨状から考える

2007/07/22にも柏崎刈羽原発内部の状況を伝える映像に触れたが,その後も衝撃的な映像が次々と公開されると同時に原子炉内部の確認ができない状態で不安は大きくなる一方である。調査・修理・風評などもろもろの経済的損失も思いやられる*1

ここで原子力というものについて考えてみよう。自然界の現象は4つの力,「重力」,「電磁気力」,「弱い力」,「強い力」の何れかの相互作用によって派生する。


※参考:電磁波(光)の波長とエネルギー

後者で例示したように,生体内で起こる諸反応を含めて私たちのまわり(地球上)のできごとはすべて「電磁気力」に拠っており,エネルギーが桁違いに大きな「核力」は原子核内という極めてせまい領域に閉じ込められていて通常は決して表に現れてこない(自然界に存在する放射性核種による自然放射能の発生等はあるけれど)。そして地球上生命体を動作させるエネルギーの源は遠く離れた場所で起こっている「核力」,つまり太陽における核融合反応である。
原子力発電は,その「核力」を地球上の原子力内で解き放つ核分裂反応によってなされるのであり,『地上の太陽』と呼ばれる場合もある。ところがそれを覆っているのは強度が「電磁気力」で成り立っている物質(岩盤を含めて)であり,考えようによっては基本的に無理があるとも言えよう。
変圧器の火災(燃焼は酸化反応),波打つ使用済み燃料プール,散乱する放射性廃棄物の入ったドラム缶,原子炉用クレーンの破損などの映像を見るとそのことを痛感せずにはいられない。
これは,太陽に近づくなという禁を破って飛ぶ快楽に上昇し過ぎ,人工の翼の膠(またはロウ)がとけて墜落したギリシャ神話のイーカロス(イカロス,Icarus)の寓話を想起させる*3
ギリシア神話


Googleによる“Icarus”イメージ検索結果

「核力」を引き出しつつ「電磁気力」で封じ込めるという根幹を支えているのが科学理論である以上,その施設の設計や管理に携わる立場にある者はそれを正しく認識しつつ理論を常に再検討・遵守すると同時に*4情報を外部に正しく伝える責務がある。原子力発電という選択そのものや立地・建設時の十ニ分な吟味,運転時や今回のような災害時の対策・対応など,原点からの洗い直しが迫られているのは当然であろう*5
そして,日々電気を当然のように使っている私たちにも考えるべきことは多い。

というニュースなどが出て,

というような省エネの機運が一向に伝わってこないのは一体どういうことだろう。

といった温暖化関連のニュースが連日のように出されており,私たち一人ひとりの行動が問われている事象でもあるのに。海に墜落するまで過ちに気付かなかったイーカロスの寓話は予言として再現されることになるのだろうか。


柏崎刈羽原発から東京へ向かう送電線
(2007/07/19,北陸道上で渋滞停車中車内から撮影)

*1:これも前回書いた“一極集中型”の巨大システムで問題が発生した場合の宿命である。

*2:このような動画が簡単に検索で参照できるWeb2.0も,国内の商業用原子力発電所も,1964年の新潟地震の時はなかったことをふと思う。当時の地震の写真も,例えば2006/06/16に紹介した新潟地震水道施設被害報告書写真集など,現在はネットで多数参照できる。

*3:もちろん当時は「核力」など知られていなかったわけだが。

*4:経済的なことを決して優先させてはならない。

*5:発電設備の寿命などタイムスケールも考慮しつつ,プレートテクトニクスにも象徴される『現在の日本列島の姿は仮初めのものでしかない』という視点も忘れてはならない。