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うなぎダイアリー

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20181105Monday

[]なくしてしまった座布団の話

 誰かへの贈りものを考えることが好きだ。何かをプレゼントする機会が決まったら、その人はどんな生活スタイルか、どんな趣味か、どんなニーズがあるかをリサーチする。予算と、そのモノを私がプレゼントすることにどんな意味があるか検討を重ね、プレゼントのコンセプトのようなものも考える。だいたいのアタリをつけたら、さらにそのジャンルの商品にはどんなものがあるのかを店を回って入念にリサーチして、これが最善だ、というものを選んで購入する。

 大学生のころからそういうふうに入念にリサーチしてひとに贈りものをするのが好きだった。恋人の誕生日だと1ヶ月前くらいから考えて準備していたと思う。

 年齢を重ねて、そんなにプレゼントに時間をかけることがなくなった。なんとなく、いろいろ考えてプレゼントを買うという行為が、独善的で恥ずかしいことのような気がしてきたというのもある。私ごときが他人のことを一生懸命考えてプレゼントを買ったとしても、結局は恣意的な選択で、私の価値観の押しつけにすぎない。そう思うと、プレゼントを贈る行為が押しつけがましく申し訳なく思えるようになったのである。だんだんと、他人に何かをプレゼントする機会は減っていった。

  *

 けれど、最近久しぶりに、仕事で入念に検討を重ねてプレゼントを選ばなければいけない機会があった。そのプレゼントは同僚の方と討議して選ばなければならなかったから、私の趣味が通るというわけにはいかなかったのだが、それでも久しぶりに他人のことを考えてその思いをモノに結びつける、プレゼント選びの楽しさを味わった。

 いろいろ候補は考えたのだが、その中でひとつ、腰痛持ちのそのかたのために携帯用の座布団はどうか、という考えが私の頭に浮かんだ。それで、東急ハンズなどをふらふらしているなかで、この折りたたみクッションを見つけた。

エクスジェル (EXGEL) ミニプニ レモン PUN10-LE

エクスジェル (EXGEL) ミニプニ レモン PUN10-LE

 

 折りたたむとA5サイズ程度に小さくなるこの座布団のなかには、Gel状の緩衝材が入っていて、座るともちもちとした感触で、硬い椅子にこれを敷けば尻の骨が痛まない。腰痛のひとや、痔をもっているひとなんかにもいいらしい。黄色が可愛いな、と思ったのと(他にももっとシックな色もある)、折りたためばコンパクトになるのもポイントが高い。

 ただ、腰痛というのは相手のプライベートな事情だし、たかだかプレゼントで気遣い過ぎても重苦しいので、プレゼントにはいまいちかもしれない、ということで却下になった。便利だが、意外と地味なので、華やかさにも欠ける。しかし、座布団としてのモノはよさそうだったから、自分で使ってみよう、と思って、少し高かったけど私は自分用にその座布団を買ってみた。

 **

 買った翌日。さっそく座布団をもって町に出る。公園のベンチ、駅のそばで人を待つとき、さっそくこの持ち運び座布団を敷いてみる。違和感を感じず、快適に座ることができた。

 夜、友人と日比谷の新しくできた複合ビルで夕食を食べる。その後、そのビルの中層階にある空中庭園で、夜の皇居を眺める。そのときにベンチにこのクッションを敷いたのをおぼえている。友人に座らせて、「ね、これ良いでしょ? 全然お尻が痛くなくなってすごくない?」と自慢したのだ。それが、座布団との別れになった。そう、そのまま、私は1日で、5,000円もした座布団を忘れたのだった。

 ***

 翌日から、私は毎日その複合ビルに電話をかけた。そのビルに実際に探しにも行った。しかし、見つからなかった。だいたい、「携帯用クッション」というジャンルのモノが、防災センターの警備員に電話で伝わらない。「持ち運び座布団」「黄色の薄型クッション」「腰痛予防の薄型座布団」など、いろんな方法で聞いたが、忘れ物としては届いていないと言う。日をおいて4回電話したところで、諦めた。ビルにも2回探しに行ったが、見つけることはできなかった。清掃のひとが捨てたか、他のお客さんが持って帰ったか、どちらかなのだと思う。

 というわけで私は今、その座布団を弔うための記事を書いている。お尻に敷くモノは、快適であればあるほどその存在感を忘れてしまうんだな、というのが今回の教訓だけれど、無くして悔しい気持ちはかなりある。何でなくしちゃったんだろう、と、いまでもちょっとくよくよする。買ったばかりの新しいグッズは、それを使う習慣が身についていないので忘れやすいよね、と思って、なんとか悔しさと折り合いをつけようとしている。

 ま、しかし。あの座布団は、どこかで、今も、だれか別のひとのお尻を守る働きをしているだろうか。そうであってくれたら、少しうれしい。また機会があり、懐事情が許せば、今度は絶対無くさないからね、と座布団ちゃんの精霊に謝り続ける日々である。

20171228Thursday

[]

20171228

 年の瀬、みなさんはいかがお過ごしですか。

 今年はクリスマスあたりにちょうど3日間の休みがあった。23日はベトナム料理を食べ、24日は有馬記念の馬券を少し買って少し当たった。それからインド料理を食べて、「否定と肯定(Denial)」というBBCの映画を見た。日比谷のTOHOシネマズシャンテで。映画自体はちょっと焦点がぼんやりしていて、いい映画かっていうと2,3秒悩む。メッセージがあるのに強く出さないところがイギリス的なのかもしれず、そういうものだと思ってみると味わい深いいい映画だったと思う。雑にまとめると「アメリカ人は空気読まない」というところだろうか、という感じだったが、まあそれは雑すぎるので、またあとで少し感想を書きたいと思う。BBCのドラマ版SHERLOCKに出ていた俳優さんが何人か出ていて、何となくそれも面白かった。彼の国の名優なのだろう。どの役者も非常に達者だった。

 今年は映画を見に行くとき、先にインターネットでチケットを買って座席を確保してから行くという方法にだいぶ慣れ親しんだ。わりと近年は映画が流行っているのか、出かけて行って席がないということが多かったので、シネコン系で見るときは先に席をとってしまうようになった。そして電子決済してしまうから、映画は見るけど、お金には全然触らない。

 映画に限らず、お金に触ることじたい、だいぶ少なくなってきたな、という感じがする。コンビニもだいたい電子マネー。電子マネーはクレジットチャージだから、そこでもお金は触らない。いつかほとんど電子決済で済ませることになっていくのかもしれない。さっぱりした社会になってきた、ような気がしている。隣国ではお年玉やお誕生日祝いも微博の電子決済でやりとりするのだ、と中国にゆかりのある職場の人が言っていた。今年生まれた甥っ子は、現金のお年玉をもらった記憶をもつだろうか、と考える。

  *

 話は変わり、また別の日。赤坂に行って、夕ご飯を友だちと食べることになっていた。待ち合わせはビックカメラの4階。

 東京メトロ丸の内線の赤坂見附駅をあがったところにビックカメラがあって、その4階の文具売り場が私はすごく好きだ。その売場に行くと、文房具っていいものだよな、いつも思ってしまう。

 そんなに広い売り場ではないのだが、そこには手に取るとつい嬉しくなってしまうような文具が揃っている。おそらくバイヤーの人が、そうとう商品の選択と陳列に心をくだいているのだと思う。会社の自分のオフィスで、デスクの引き出しにあったら少し楽しくなるだろうな、というグッズが、品よく美しく、並べられているのだ。付箋や、シールなどの少しファンシーなものから、メンディングテープ、ステープラー、はさみ、クリップなどガチに毎日使うものまで。どれもきらきらした色をして、わたしは可愛いだけじゃなくて有用です!と胸を張って並んでいる。有用で、かつ、手にとると明るい気持ちになること。それが良い文具なのではないか、と私は思う。

 そして、各種ボールペンのリフィルが、奥まったところではなく手に取りやすいところにひらひらと並べられているのもその売場のいいところだ。自分の責任で品番を見て替芯を選ぶ楽しさとスリル。---どうでもいいけど、ボールペンのリフィルを買うとき、じつは私はけっこう生きているという感じがする。書いて、書いて、一本使ったんだ、という充実感があるから、というのと、新しい中身を入れてまた使うというちょっとしたメンテナンスの作業が楽しいから、というのもある気がする。自分の手で触って何かをする、というのは、基本的にすごく楽しいことなんじゃないか、と思う。

 そんなこんなで、いつまでも楽しいビックカメラの4階で、ペンのリフィルと、変わった柄のダブルクリップ(そう、ここには黒色じゃないダブルクリップがたくさん売っている)、新しい形のA5ファイルなどをかごに入れる。つい買いすぎてしまうので、かごに入れすぎる前に、「必要なだけ、必要なだけ」と自分を戒める。そして、1,000円分くらいの買い物をして、私はとてもしあわせな気持ちになる。それから近くの喫茶店に入り、新しい文具をあけて、少し使ってみる。やはりいいな、これは便利だな、楽しいな、という気分になる。文房具の幸福は、モノを触ることの楽しさであるように思う。触って、使って、気持ちがいい。手の快楽のようなものを、文房具は私に与えてくれる。

 そんなことを考えながら、友だちとおちあい、韓国料理を食べに行った。ソルロンタンで有名なお店が赤坂にあるのだった。ソルロンタンは優しく、美味しかった。韓国料理では、ごはんが、金属の蓋付きの入れ物で供される。持つと、熱い。そうか、韓国では食器は持たないで食べる設計になっているのだっけ、と思い出す。触るようにできていない。触るもの、触らないでいいもの。触ると楽しいもの、触らないけど楽しいもの。世界にはいろいろあるな、と思う。

 **

とくにオチはないのだけれど。お金に触らないさっぱりした生活。文具を触って楽しい生活。「触る」をめぐる話でした。

20171220Wednesday

[][]「ノルマンディ上陸作戦のすべて」(BS世界のドキュメンタリー、NHK)

もう今年も終わり。月並みなことをいうけど、とてもはやかった。そして、いろいろあった。1年前の私がはるか遠い宇宙に棲む別人のように思える。

 *

先日、「BS世界のドキュメンタリー」で、ノルマンディ上陸作戦のドキュメンタリーを見た。放映されていた邦訳タイトルは「ノルマンディ上陸作戦のすべて」。

そのドキュメンタリーにおいては、連合国側が作戦にあたって入念な計画をたて、何ヶ月も前から綿密な後方支援や補給路の準備をした上での作戦決行だったことが史料から紹介されつつも、4,000人を越える戦死者をある意味で「予定した」、あるしゅ破滅的な作戦であったことが淡々と紹介されていた。

ドキュメンタリーの中心には、先陣を切って上陸する部隊に配属されたバージニア州出身の或る若い歩兵の兄弟が象徴的に据えられていた。兄は生き残り、弟は戦死した。彼らの故郷であるベッドフォードという街をカメラは取材し、のどかな田舎町の風景と、その兵の遺族へのインタビューを映す。そのシーンを見てわたしは、ああ、かの有名なノルマンディ上陸作戦---WW2を連合国側の勝利へと導いたあの作戦---で命を落とした一兵卒にも、その生還を待ち望んでいた家族がいて、70年後のいまも訃報が届いた日の悲しみを覚えていて、それを語っているんだ、と知る。つまり、大きな歴史的状況の中で失われた一つのいのちが、とりもなおさず唯一のかけがえのないいのちであったことを、家族のインタビューを通して私は実感する。数としての死ではなく、その兵の、ただ一人の人間の死だったのだ、と。その作戦成功が連合国に勝利をもたらす契機となったにせよ、ベッドフォードのあの家族にとって失われた息子は帰ってこない。戦死がいくら名誉で贖われたにせよ、戦争が終わったら一緒に牧場を経営しようと語り合った弟はもういない。大きな世界史的状況と死の唯一性は基本的には関係がない。私たちの世界が失ったものは、他の何とも比べることができない彼のいのちだった、と私は思う。

ただ、見終わってからふと考える。そのひとりの死んだ歩兵のいのちの重さは、彼を待っている家族がいたこととは本来関係がないのではないか。ドキュメンタリー作者がわざわざベッドフォードを取材しなくても、彼が亡くなったことはそれだけで重みをもつ、唯一のできごとだったのではないか。

ベッドフォードへの取材は、その死の唯一性を印象づけるための映像作品を作る上での手法であろう、と思う。そして私は、たしかに遺族の悲しみを通して、彼のいのちの重さを想像しやすくなった。生きて帰ってきた彼が兄と牧場をやることができたら、と想像し、若い人のいのちを奪う戦争を嫌悪する心情を抱く。

しかし、それはなぜなのだろうか、とさらに考える。4,000以上の兵の死、とそれだけ聞いたときに、直接のそのひとつひとつのいのちの重みを、なぜ私は受け止めることができなかったのだろうか。つまり、言い方を変えると、私はなぜ、生き残った家族という、第三者を介さないと彼のいのちの重みがわからなかったんだろう?

これはきっと、しばらく考えてみないといけないことだ、とおもう。とりあえず今日はここまで。

原題:D-DAY 360

制作:Windfall Films / PBS (イギリス/アメリカ 2014年)

http://www.imdb.com/title/tt5232132/

20170819Saturday

[]あわただしい日々

 更新の間がすごくあいてしまった。近況報告をかねてちょっと思うことをひとつ

 4月から新しい仕事を初めて、少しあわただしかった。やっと一段落したので、最近は少し息をゆっくりとしている。4月から教える場所が増えて、先生として過ごす時間が長くなった。いや、長いといってもたいしたことはなくて、お金をもらっているのは週に20時間くらいだ。お金をもらっていない時間に、仕事の準備をしたり、自分仕事をしたりするようなそんな感じでバタバタと日々が過ぎていった。

 じぶんが大学生ときTwitterなどで大学先生達が、教えている学生バカだ、非常識だ、とつぶやくのを見ていて、先生になると学生バカだと言いたくなるのかな?と思っていたけど、自分がなってみるとそれはまだ思ったことがない。学生はそれぞれ考えているし、そもそも学生なのである程度の未熟さが伴うのは織り込みずみで、わたし不快になる理由はとくにはなかった。というか、相手学費を納めて大学にきてくれている客なので、一介の教師とき文句を言う筋合いはない。しかも、わたしもべつにそんなブリリアントに優れた人間ではないので、偉そうなことをいう資格もない。18歳なんてこんなもんだっただろう、と思うし。

 しかし、教えていて思うのは、自分が良い仕事をしているのかどうかということが、自分ではわかりにくい、ということだ。授業は基本的教員ひとりと学生でやっているので、教員相互ピアレヴューとかもなくて、学生の反応やレスポンスカード、点数などでぼんやり自己評価するしかない。そして学生は往々にして、先生に甘い傾向がある。なぜなら先生は成績評価という権限もつ権力者からだ。機嫌をそこねてとばっちりをうけるのはいやだもんね。そうすると、教員評価するまともなシステムというのは、案外ないんだな、ということに気づく。

 そういうわけだから自分はちゃんと教員をやれているんだろうか?という疑念が、いつも頭のなかにある。やれている、とわたしは思っているけれど。だけど、非常勤講師室には知り合いもおらず、孤独に毎週の出講日がすぎていく。いい仕事をしても、ちょっとくらい手を抜いても、昇進もなければ降格もない。(契約切りはあるかもしれない。それは怖いね。)

 そんな勤務状況で、たとえばすごく努力して授業をしているのに学生が聞いてくれなかったり、教えたはずのことを確認するテストの点が上がらなかったりするとき、もしかすると、批判の矛先を学生に向けたくなるのかもしれないな、と思う。私はちゃんとやっているのに、君らが勉強しないせいで、みたいな。それをそっとSNSにつぶやいて、誰かの共感を得たくなるのかもしれない。つまり、学生悪口をいって盛り上がる先生の群れというのは、自己評価不安を感じている人々の群れなのかもしれない、と思ったのだった。

 だとすると、それは律することが可能だ。なにか文句を言いたくなった時、それは自分がちゃんとできているか不安になっているときなんだ、と自覚して、その不安の方にアプローチしていけばいい。もしイライラしたら、今後は自分不安をどうにかしようと思う。

 ただ、不正行為とかはちょっとイラっとくるかな、と、期末課題を見ていて思った。不正なんてしなくてもあなた大丈夫なのに、と思ってしまう。不正を見るとそれに対処しなきゃいけないし。まあそのへんは色々tipsがあるのかもしれない、と思いつつ、試行錯誤の日々であった。まだまだ後半戦も試行錯誤だろう。できるだけストレスなく、楽しくやっていきたいと思っている。

 それで、近況報告としては、私は元気です、という感じだ。これまでの人生のなかでいちばん安定して元気なんじゃないだろうか。このままこころよく日々が過ごせるとよいのだが……

20170227Monday

[]インフルかもしれない大河日記(後編)

  • 木曜日【インフル6日目】。

 午前中から出かける。アルバイト的な新しい仕事の、job interview がひとつあったのだった。面接じたいがドキドキしたし、とにかく病み上がりなので、与えられた質問に答えるだけで精一杯だった。と後からは思ったが、面接のあいだじゅうは全精神で全力投球であってなにを答えたのか曖昧にしか覚えていない。あとで、そこにいた知り合いの人に「硬かったね」と言われた。うむ。ふつうのときだったらもうちょっと落ち着いてできたのかもしれない、と思う。面接しているほうのひとが多分7人ぐらい居て、退屈している顔をしていた。

 夕方、面接が終わってから、東京駅の八重洲地下街にある南インド料理店、エリック・サウスでミールスを食べる。私はここの菜食ミールスがすごく好きで、しかも、店が駅地下なので寒風に晒されずに店まで行くことができるから、ここで食べようと友を誘ったのだった。病み上がりの身体に、サンバルとワーダがすごくおいしい。サンバルワーダも含めて、今日もミールスひと皿食べきったけれど、でもあまりにもお腹が苦しい。胃にエネルギーが吸い取られる感じがする。やはりうまいものでも、急にめいっぱい食べるとよくないか……。

 そのあと、ヤエチカをぶらぶらしていたらチュロテリアがあり、連れがチュロスとコーヒーを頼み、私は氷のないコカ・コーラを飲む。チュロスはおいしそうだったけれど、私はもう一口も食べられない感じだった。

 まだときどき咳が出る。久しぶりに外を歩いて疲れた。

  • 金曜日【インフル7日目】。

 職場に復帰。朝5時起きでしごとに。まだ咳が出る。帰ってきて寝る。

 テレビをつけるとカーリングの日本選手権をやっている。すごい面白くて、夢中になってみてしまう。LS北見というチームの選手がよく笑っていて、楽しそうだった。北海道銀行というチームは少し苦しそう。

  • 土曜日【インフル8日目】。

 朝4時半おきで仕事に。咳は昨日より少なくなっている。仕事先で、会いたいなと思っていた同僚のひとと一緒になる。うれしい。仕事以外のそのひとのことはなにも知らないし、別に親しくもないのだけど、なんとなく馬が合う気がして、そのひとと一緒の配置になると嬉しい。そういう感覚というのも、不思議なものだな、と思う。職場でも大学でもすごく沢山の人と出会うけれど、あ、波長が合う、というひとはわずかしかいない。が、わずかに必ずいる。人間の好き、嫌いってどうやって決めているのか全然わからないけど、だいたい一度決まると二度と変更されることはない。嫌いだなという度合いが弱まったりすることは、あるんだけど。仕事自体は楽だったが、少し寒かった。

 帰ってきて、やはりだるくてよく寝ていた。

  • 日曜日【インフル9日目】。

 朝の仕事がなかったので、12時間ぐらい寝る。夕方、先週インフルで休んでしまったスポーツの練習に行く。身体が重たく、力がでない。しかし動く。久しぶりなので少しフラフラする。ときどき咳が出る。

 お腹が痛くなりやすい。夜、くしゃみがたくさん出た。

  • 月曜日【インフル10日目】。

 美容院へ行って髪を切った。咳は殆ど出ない。くしゃみが時々出る。髪型は、ショートカットにする。なんでそうしようと思ったのかわからないが、気がついたら切っていた。なんやかや、短い髪型にしていることが多い。フルタイムで勤めていた新卒のときはいまよりずっと短くしていて、職場の先輩の女性たちに、どんな髪型でも若いとかわいいね、かわいいねと言ってもらって気が良くなったために、ショートカットが似合うと思い込んでいるのかもしれなかった。若さがなくなったいま、私は可愛いのだろうか。わからないが、やはり短いほうが似合うと思っている。

  • 火曜日【インフル11日目】。

 職場の業務年度が変わる。新しいポジションでの仕事。すっげえうまくいかなかった。鬱だ……と思って帰宅する。疲れすぎて眠れなかった。インフルは治っていると思っていたが、治っていないのかもしれない、と思う。喉を使う仕事なので、すこし喋るとすぐ喉が痛くなってしまう。まだしばらくは、養生モードでいないといけないな、と私は反省し始めた。

 先週受けた job interview は採用の通知を受けた。4月からさらに新しい仕事が始まる、とぎゅうぎゅうと心が引き締まったが、どこか気持ちが暗い。嬉しくない。体調の優れなさが精神を規定している気がする。

 ***

 インフル日記はこれで終わるけれども、この後、罹患してから3週間ぐらいは、ぼんやりずっと調子が悪かった。つまり、20日間位はずっとだるかった。タミフルも飲んで熱はすぐ下がっても、けっこう体調じたいは、尾を引くものなのだなぁと認識を新たにした。

 インフルっぽい風邪を引いていた、と言うと、何度もいろんなひとに、もう寝ていなくて大丈夫か、といわれ、社交辞令かなと思って「平気です」と言っていたんだけど、実は回復するというのはそう簡単ではないということをひとはみなわかっているのかもしれない。私は比較的若いし、身体が頑丈なので、弱った時の過ごし方が身についていなくて、「熱」や「罹患からの日数」など、数値化できる指標に頼りやすい。5日経ったんだから治るんだろう、とか。でも大事なのは、自分が大丈夫なのかを、自分で把握することなのだろう、と反省したのだった。

 2月後半は新しい読書会に参加したり、仕事の新年度があったりと、なんやかや、新しいことを多くやってすごした。空気もすこしずつぬるみはじめ、やがて春がやってくるのだろう。春は私は毎年うつっぽくなるので、今年はどうにか、自分は大丈夫か、と自省しながら、のりきりたいと思う。