小説における「語り」の諸形式 ---- 要約と場面

 物語の叙述の様式として、普通一般には二つの基本様式が考えられる。一つは、出来事をかいつまんで報告する様式であり、もう一つは 出来事の経過の細部を詳しく描写する様式である。この二つの様式は、簡単に言えば、「要約」と「場面」である。一般に小説は、要約のみで書かれていたり、あるいは場面のみで書かれていたりすることはなく、場面と要約を混ぜ合わせたものである。このことを実作品の例によって、確認してみよう。
 次に掲げるのは、同じ作家による要約的叙述と場面的描写の実例、すなわち19世紀初頭のドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストの作品からの引用である。

  十六世紀の中頃、ハーフェル河畔にミヒャエル・コールハースという名の馬商人が住んでい た。教師の倅である彼は、当代きっての正直者ながら、同時に恐るべき人間の一人でもあっ  た。この異常な男は、三十歳までは善良な市民のお手本として通っていたといってもよいだろ う。彼は自分と同じ名前をもつ村に農園を所有し、そこで商売を営みながら平穏に暮らしてい た。妻との間に生まれた子供たちを、神への畏れをもって、彼は勤勉で誠実な人間へと育て上 げた。近隣の人々のなかには、彼の善意や公正さの恩恵を受けぬ者は一人とていなかった。要 するに、もし彼が道を踏みはずさなかったなら、世人は彼を思い出すたびに感謝の念を覚えた に違いなかろう。だが正義感が、彼を強盗殺人犯にしてしまったのである。
   (ハインリヒ・フォン・クライスト『ミヒャエル・コールハース』) 


  彼がようやく戸外に足を踏み出したと思う刹那、二度目の地震が襲ってきて、すでに激しく 揺れ傾いた街の建物は完全に倒壊した。すっかり動顚し、この見渡すかぎりの破壊のなかから 逃れるすべも分からず、ただ八方から襲いかかる死をかいくぐり、瓦礫や木片の散乱するなか を飛び越え、乗り越え、彼はひたすらて手近の市門をめざして急いだ。たちまちなおも一軒の 家屋が目の前で崩壊し、ぱっと一面に飛び散る破片が彼を横丁へ追い込んだ。するとたちまち 濛々たる黒煙の中、あちこちの破風から火焔がめらめらと燃え広がり、驚愕した彼は別の通り へ逃げ込む。すると岸から氾濫したマボチョ河の流れが彼をめがけて押し寄せ、轟々たる水流 がさらに彼を他の通りへ遁走させた。こちらでは圧死した人々が折り重なり、あちらではまだ 瓦礫の下から呻き声がする。ここには燃える屋根の下から叫ぶ人々があるかと思えば、かしこ には流されて波とたたかう人間や動物がいる。こちらでは救助に努める勇敢な男がいるかと思 えば、あちらでは死人のように蒼白な男が言葉もなく震える両手を天に差し伸べている。イェ ロニモはようやく市門に辿り着き、市門の向こうの岡に攀じ登ったが、岡の上で彼は気を失っ て倒れた。
     (ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』) 



 最初に掲げたテクストは、クライストの中編小説『ミヒャエル・コールハース』の冒頭部分である。ここでは読者のために、必要なすべての情報が躊躇なく提示されている。小説の舞台となる時代や場所、主人公の職業や性格、家族構成といった情報が、簡潔に手際よく示される。文中の「要するに」という言葉が、このテクストの文章の要約的な性格を示しているとともに、主人公を待っている宿命的な暗い末路が、読者にあらかじめ暗示されている。
 二番目のテクストは、短編『チリの地震』の一節である。首都サンチャゴを壊滅させたという一六四七年五月十三日のチリの大地震に材をとった物語であるが、この短いテクスト部分を読んだだけでも、装飾的・付随的な自然描写や心理描写を一切省いて、ひたすら事件と行動そのものに叙述を集中するクライストの文体の特徴がうかがえる。人物の会話がまったく出てこない場面描写であるが、複合文を多用した息をつがせぬ独特の筆遣いにより、地震に襲われた街の惨状が、あたかも眼前に浮動するかのように迫ってくる。