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ひとり木をたたけよ このページをアンテナに追加 RSSフィード

October 23(Fri), 2009

21歳のカイエ 021 23:17 21歳のカイエ 021 - ひとり木をたたけよ を含むブックマーク はてなブックマーク - 21歳のカイエ 021 - ひとり木をたたけよ

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  • どうしてこんなにも無生物は僕に優しいのだろう。校舎の右側の、人通りの少ない階段、大学礼拝堂のファサード、3階からのキャンパスの緑、古い本の布表紙、冷たげなベンチの鉄製の足、そしてヴァン・ショー。
  • そのようにせよ、といった指示とは無関係に、僕たちの営みの多くは子犬の後を追っていくようなものだろう。イグナチオ デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』(岩波文庫)より。

主よ、どうかわたしを助けに来てください。わたしはどんな人間にもどんな被造物にも解決を見出せません。もし解決を見出すことができると思うなら、わたしはどんな苦労をもいといません。主よ、どこに解決が見つかるか、わたしにお示しください。それが解決を与えるならば、子犬の後を追っていくことが必要であるとすれば、わたしはそれもいたします。

  • 「あの流れの美しさを見るためには、あなたは世間を後にしなければならない。」と、しかしあなたはそれを強いはしないのではないか。そして、僕はある頑さでもって、人の多くは世間を後にすることを許されていないのではないか、とそのように思う。J・クリシュナムルティクリシュナムルティの日記』(めるくまーる)より。

丘は遠く退き、二尾の暮らしの騒音がその人のまわりにあった。あらわれては去っていくもの、悲しみや喜びがまわりにあった。小さな丘に立つ一本の木が、その土地の美であった。谷底深くには川の流れがあり、その水に沿って鉄道が走っていた。あの流れの美しさを見るためには、あなたは世間を後にしなければならない。

  • 携帯電話を使いこなせない母が、兄に頼んで写メを送ってきた。最近、登山をしたらしい。山頂でとったその小さな写真には登山服に身をつつんだ母の笑顔が写っている。母は写真を撮られることが嫌いだったはずなのに、と思いながらも、この、僕よりは小さな女性の楽しげな様子を喜ぶ。そして子と母とがこのような関係にあることの幸福と幸運とを思う。それなりに悲惨な思いを抱えていた以前の僕を、僕はいつ見送ったのだろうとぼんやりと思う。
  • 年下の友人、いや後輩と呼ぼう、ある後輩とふたりで話をする機会を多く与えられる。僕はこの後輩を愛しているな、と思う。そしてそれは自らを愛することの代償だろうか、とも思う。愛情と優秀さとを擬装しながら、彼、彼女からの愛情を依り代として自らを愛そうと試みる。しかしこれは誤った試みだろう。智に働き情に棹さしてなお僕は愛情を獲得する。憧憬と憐憫と愛情とを僕は引き出してしまう。容易に良い人、憎めない人となってしまう僕を、しかし僕は愛せない。愛することが難しい。卑しい人間だな僕は、という自らの声をぼんやりと聞き流す。そしてこれはどこまでも僕の問題であって、彼、彼女の問題ではないのだろう。ある種の利用価値を保ちながら、もたれかからずに、彼、彼女の前に立つこと。必要であれば去ること。ある関係の型に従いつづけること。(こどくであるときにはこどくであること。ひとりであるときにはひとりであること。)僕は実際の知人にここでの文章を読んでほしいとは思わない。けれど縁のあった何人かの後輩には、ここに僕の書いたものがあることを伝えた。読んでほしい、という思いも伝えた。それはつまり、僕という人間の転び方をみていてほしい、という思いが僕にあるということだ。それは、半分は嘘だろう。しかし、半分はそのように思う。僕という人間の転び方を、君に、僕はみていてほしいと思う。
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