2011-12-16
純真なアイドルからわれわれを遠ざけているのは、あの悪意あるプロデューサーのせいなのだ――町田康『人間小唄』について
- 作者: 町田康
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/19
- メディア: 単行本
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『人間小唄』は『風流夢譚』(深沢七郎)に「似ている」。しかし、両者が「似ている」ということは喜ばしい積極的な意味を持つものではない。むしろ、見出されるのは症候としての「類似」である。
『人間小唄』は一遍の主人公である小角が小説家・糺田両奴に短歌を送りつけることから物語は始まるのだが、その短歌――加えてそれに対する糺田の解釈――の馬鹿馬鹿しさは、深沢の高名な辞世の句のパロディーに通じるものがあるだろうし、また、深沢が、大逆の舞台を主人公の夢とし、その夢が時間との関係を明示していたのに対して、町田は、「ここでやったことは夢のなかでやったことと同じ」であり、現実世界の一部でありながらも自由に行き来できない空間において、暗殺を決行させる。
自作の短歌を小説家・糺田両奴が無断使用したことを知った小角は糾田の元に女性を送り込み、美人局を行う。小角は短歌の盗作の代償として、次の三つを行うことを糺田に提案をする。それは「短歌を作る」「ラーメンと餃子の店を開店し人気店にする」「暗殺」である。結局、糺田は先の二つに失敗し、暗殺を請け負うことになる……小角と糺田の関係は、「主人と奴隷の弁証法」(ヘーゲル―コジェーヴ)と見なしうる。小角の暴力に屈した糺田は、死を賭した闘いに敗れた奴である。奴(=糺田)は、主(=小角)に対して、死を「畏怖」しながら、「奉仕」し、「労働」を行うだろう。その労働は、「短歌を作る」「ラーメンと餃子の店を開店し人気店にする」「暗殺」と町田的な装飾はされているが、主(=小角)は奴(=糺田)の労働によって変貌させられた「物」を「享受」するだろう。糺田の短歌をさんざんにこき下ろし、ラーメン屋を経営する糺田を監視し、一編の主題である「暗殺」へと差し向ける。
そして、「暗殺」の対象とされる猿本は、「当代の売れっ子プロデューサー」であり「政府系機関が主催するイベントの主題曲を書いたり、いろんな審議会のメンバーになって」、その作詞した歌詞によって国民の「感受性の墜落のような劣化」を招く「中心のないまま影響力を行使している」人物であるとされている。多くの者が指摘するように、その形象はある有名プロデューサーにあまりにも「似ている」。また、見逃せないのは猿本もまた主として表象されていることである。猿本は「心情庵」というラーメン屋の主人であり、「ジューシーな餃子」、「大盛りライス」を食べただろう「丸く膨らんだ腹」を持って登場するのである。コジェーヴは奴が変貌せしめた「物」を享受する主を、次のように例えていたことを思い出そう。「一例を挙げるならば、彼はすっかり用意された料理を食べるのである」(『ヘーゲル読解入門』)一方で、糺田は「びっこ軒」というラーメン屋で「労働」していた存在であるのだ。そして、猿本は、「糺田の店のコンセプトを盗用したとしか思えない商品構成」を持つラーメン屋を開いた、模倣した人物=鏡像としても描かれる。つまり、『人間小唄』の一篇の主題となる暗殺とは、互いに似合った主と奴の闘いであり、まさしく、糺田両奴とは罪を「糺(ただ)」す「奴」隷なのである。そして、その暗殺はもうひとりの主(=小角)によって画策されている。
しかし、『人間小唄』が症候的なのは、われわれが「奴」として清算した「労働」の産物を単に享楽するだけの主人がいるのではないかという疑念が示されているからに他ならない。そこで主人として表象されたのは、政治=演劇を「プロデュース」する官僚的な存在である。そして、3月11日以降、「災害ユートピア」と呼べる状況で顕著となったのは、主として可視化された官僚組織に対する非難である。彼らこそ、奴=われわれを放射能の危険に晒しながら、その利潤を搾取してきた主であるというように。言うまでもなく、官僚組織とは不可視として扱われるにもかかわらず、それが可視化されたことは倒錯的な事態である。と同時に、可視化された官僚組織とは、絶対的な主とわれわれが無媒介的に接しうる機会を奪う邪魔者=媒介者としても表象されるだろう。だからこそ、『人間小唄』では、媒介の排除として暗殺が目論まれる。そのような主と奴の弁証法を駆動させることは、もうひとりの(本当の?)「主」の利益に供することに他ならない。もちろん、『宿屋めぐり』に描かれたような、絶対的な「主」との無媒介的な直面はありえないのだが、それを夢想することはきわめて症候的事態である。そして、『風流夢譚』との(意図せざる)類似を示している点で、あまりあるものがある。
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