嫡子5種類

「嫡子 heir 」は「法定相続人/後継者/継承者」という意味である。


「皇太子」、江戸時代までの「世子」「嫡男」は、「嫡子」が一人の男子に限定されている場合の端的な表現である。



「嫡出」は、せいぜい、『法的な婚姻関係にある夫婦が自分たちの正式な子かつ自分たちの正式な後継者として認めている』という意味である。



「嫡」にしても、「嫡出」にしても、『正妻から生まれた子』などという意味は元々全くない。今現在も全くない(民法789条1項、民法809条)。

正妻ではなく側室から生まれた「皇太子」「世子」「嫡男」なんて昔からゴロゴロいる。

見るからに狂ってるウィキペディアの管理者たち(多重アカ含む)は当然として、日本の法曹・学者たちの考えられない無知ぶり・劣悪ぶりには憐れまざるを得ない。



現行の日本法での嫡子には、5種類有る。

【1】両方の配偶者が自分たちの子として「推定」ないし「承認」した場合の、あるいは、片方の配偶者が自分の子ではないという「否認」を家庭裁判所に認められなかった場合の、「嫡出子」かつ「実子」

従って、「嫡出子」「実子」という法的な呼び名にも拘わらず、法的にはその「実親」と「実子」とが生物学的な親子であることを必ずしも意味していない。

法的には、あくまで「嫡出子」かつ「実子」と「推定」ないし「承認」しただけ、あるいは、あくまで「嫡出子」かつ「実子」ではないという「否認」が家庭裁判所に認められなかっただけ、に過ぎない。

純血主義、血統主義、あるいは、そういうイデオロギーによる差別は、人間社会の場合、この段階で法的に不可能になっている。


【2】【1】の「実子」が養子縁組で法的に新たな「親族関係」を形成した場合の元実子(法的には、こうなった場合も、元実子は元実親の「嫡出子」かつ「実子」)。


【3】適法な「養子縁組」による「嫡出子」かつ「養子」


【4】【3】の「養子」が養子縁組の解消(養子縁組で生じていた「親権者」「親族関係」との法的な「離縁」)あるいは更なる養子縁組によって法的に新たな「親族関係」を形成した場合の元養子(法的には、こうなった場合も、元養子は元養親の「嫡出子」かつ「養子」)。

【1】【2】の「実子」と【3】【4】の「養子」とは同じ「嫡出子」という社会的「身分」であると民法(772条〜789条、809条)にわざわざ明記されている。

にも拘わらず、「実子」と「養子」とで憲法14項1項違反の差別をする地頭の悪そうな差別主義者がいるが、そういう差別は全て違憲無効である。

「実子(元実子含む)」と「養子(元養子含む)」とは、法的には、その子がある「親」の「子」となった経緯についての手続上の違いを意味するに過ぎない。

先にも述べたように、「実子(元実子含む)」「実親(元実親含む)」は必ずしも生物学的な親子関係を意味しているわけではないからである。


【5】片方の配偶者が自分の子として「認知」した場合の「嫡出ではない子(非嫡出子)」かつ「実子」(但し、非嫡出子も、民法789条各項の規定によって「嫡出子」となり得る)。


以上、嫡子あるいは嫡流のタイプには5種類有る。そして、全く同じ様に、相続権が発生する。

【1】【2】【5】の「実子」には、その各々の「実親」の死によってその各々の「実親」からの相続権が発生し、

【3】【4】の「養子(元養子含む)」には、その各々の「養親(元養親含む)」の死によってその各々の「養親(元養親含む)」からの相続権が発生する。

社会的要請としても当然なことであるが、これら各々の親子関係に差別があってはならない。

養子差別・元養子差別も、非嫡出子差別も、あってはならない。

健全な社会であるためには、あくまで、Children First 子供第一 でなければならない。



なお、日本人の養子の有名人を適当に並べておく。養子縁組は健全な人間社会のための必要不可欠な知恵であると言える。


徳川吉宗
徳川家茂
徳川慶喜


松陰吉田寅次郎
松菊木戸孝允
春畝伊藤博文
世外井上馨


吉田茂
岸信介


「養子の有名人が現存しなくなると社会は必然的に劣化・衰退する」という定理があるようにすら思われる。
実子という立場よりも人間性や人間関係や社会をより深く見ることができる養子を沢山、寛容に育てている社会のほうが、そうではない社会より遙かにマシな社会であることは、陽を見るより明らかな事であるからだ。

困った警察官たち

白黒パトカーで巡回をしてるのはそれはそれで結構なことなのですが、
残念ながら、勘違い甚だしい警察官たちが明らかにいると思われます。

以前も、夜間に自転車でコンビニ(24時間営業!)に行った帰りに、せっかく弁当を温めてもらっているのにパトカーに呼び止められ、職質らしきものを受けて大迷惑しましたが、山口県の警察官は、上からのとんでもなく間違った指導・教育・時代錯誤な固定観念のために、夜間に自転車に乗ってるというだけで、とんでもない偏見(固定観念)を持ってしまっているように感じられます。

山口県警だけ、24時間営業のコンビニがあちこちにあるという事実を未だにまともに認識できていないのではないでしょうか。

徒歩、自転車、(バイク、)クルマ(自動車)のいずれを選ぶかの選択は、目的地との距離、所用時間、雨が降っているかいないか、その日の気分、夜間に些細な用事でシャッター付き車庫から自動車を出し入れするのは近所迷惑だろうという配慮、などで選択されています。

自転車利用者に対してだけ自転車泥棒であるかのように犯罪者扱いするというのは一体どういう理由によるのですか。

2014年10月10日(金)23時10分頃、私は、お腹が減ったので、徒歩で7分、自転車で2分、クルマで5分(!)のコンビニに 自 転 車 で行き、その帰りに、自転車泥棒と勝手に決めつけられ、どうでもいい質問まで含めて、長々と呼び止められました。弁当を温めてもらうことを計算した上で短時間の移動で済むようにせっかく自転車で移動しているというのに、またまた、とんでもなく大迷惑でした。

公権力濫用1.
まず、自転車泥棒と疑うべき理由など全くないはずなのに、一体どういう理由で自転車泥棒と闇雲に容疑をかける警察官が複数いるのでしょうか。警察官とか公務員以前に、人間として完全失格であることは余りにも明白であると思われます。当然、警察官不適格者、かつ、公務員不適格者です。そういうアフォ警察官たちを、即刻、懲戒免職にしていただきたいと思います。彼らは、警察官の仕事をしているフリを闇雲にしようとしているだけであることが明らかだからです。そのため、警察官としてやるべきことと、やってはいけないことすら自分の頭で全く考えていないことも明らかだからです。

公権力濫用2.
山口県警上層部が、職質した回数で、警察官として仕事をしてるか、していないか、を判断できると考えていませんか。あるいは、犯罪容疑を不当にかけてでも職質回数を増やしさえすれば自分の給与や肩書きが上がるのだと考えている犯罪者のような自己中警察官ばっかりになっていませんか。そういう犯罪者のような自己中警察官を故意に放置し続けていませんか。

公権力濫用3.
上記1,2.のような勘違いが実際に起こってしまっているように見える以上、質問せざるを得ません。山口県警察は『警察官というだけで、誰に対しても、闇雲に犯罪容疑をかけ、闇雲に職質をかけてもいいんだ。闇雲に拘束してもいいんだ』と、とんでもなく間違った教育・指導をしていないでしょうか。そういう教育・指導でもしない限り、山口県の警察官は真に職質すべき挙動不審者を職質しそうもない不適格者ばっかりなのだ、ということなのであれば、それはそれで、(1)警察官不適格者ばっかりを間違って採用してしまっている、(2)最低限の教育・指導すら根本的に間違えてしまっている山口県警上層部が警察官不適格者ばっかり、(3)(1)(2)の両方、のいずれか、ということにならざるを得ません。いずれなのでしょうか。

公権力濫用4.
不審者が自転車を物色しているところや自転車の鍵を何らかの手段で強制的に解除しようとしているところを警察官が目撃したり、そういう不審者がいるという通報を受けた場合、および、犯人が自転車で逃走しているという事件が近辺で起きたばかりであるというような場合を除き、

ただ自転車に乗っているだけの人に警察官が何の根拠もなく自転車泥棒という容疑をかけ職質するのは、何の正当性もない、ただの無礼千万な行為に過ぎません。

『「数打ちゃ当たる」なんだ』と言い訳できると妄想してるのかもしれませんが、誰がどう見ても数を打ってません。ある地域の全自転車に対して一軒一軒ローラー作戦をやった場合よりも遙かに低い検挙率にならざるを得ないようなバカげたやり方しかやっていません。行き当たりばったりに、しかも全く不当に自転車泥棒の容疑をかけているに過ぎません。それも24時間営業のコンビニに自転車で買い物に行っただけ、と推測できるような夜間の自転車利用者に対してやっているのですから、バカ過ぎてお話になりません。コンビニ周辺は明るいし、人の出入りがてんでんばらばらだし、自転車の持ち主がいつ戻ってくるかも全然分からないのだから、基本的にコンビニで自転車泥棒をすることは不可能です。それ故、私などは、何度も無施錠でコンビニに出入りしているぐらいです。変な一団がたむろでもしていない限り、自転車泥棒する人(自転車泥棒できる人)が基本的にいるはずがないからです。

どういう人が、どういう必要から、自転車を盗み、どう使うかを考えれば、自転車泥棒は、昼間は自転車の持ち主がかなり長時間自転車から離れていると考えられるので、どこででも、あらゆる理由であり得るし、夜間は電車やバスやクルマや自分の(壊れた)自転車の代替手段としてであることは明らかなはずです。

問題は、昼間の自転車泥棒こそ真に検挙すべき自転車泥棒であるということです。

毎日、昼間だけでなく夜間も、同じように放置されている自転車は、既に所有者が所有権を実質放棄してしまっている迷惑自転車であることは丸分かりです。それに気付いた人が所有権が実質放棄されている自転車として実質もらい受けて使用していても、それは放置自転車の解消に一役買っているに過ぎません。よって、そういう人は必然的に夜間に自転車で移動していることも多いでしょうが、そういう人を自転車泥棒として検挙したところで、真に検挙すべき自転車泥棒を検挙したということには全然なりません。大きな筋違いです。むしろ、誰にとってもハタ迷惑な、全く不要な検挙と言えます。

夜間に、所有権が実質放棄されている放置自転車かどうかを確認せずに自転車泥棒する場合は、電車やバスやクルマや自分の壊れた自転車の代替手段として盗まざるを得なかったためと考えられます。その人が走るコースは、ある街からある街への主要道路沿いのはずです。それも、徒歩での移動を考えたくないような遠距離移動のはずです。ところが、こういう場合でも、実際には、放置自転車が1台解消されただけという場合が多いのではないかと思われます。なぜなら、夜間は自転車の持ち主が自転車のところへ戻ってくる時間帯であり、一見して放置自転車と分かるような自転車でない限り、盗みにくいはずだからです。

よって、夜間の自転車泥棒取り締まりは、警察官全体の信用をいたずらに低下させているだけであり、必要性ゼロの有害無益な行為に過ぎないということが極めて明らかであると思われます。

公権力濫用5.
おまけに、私に自転車泥棒の容疑を何の正当な根拠もなくかけてきた警察官は、自身の無礼かつ迷惑な行為について肝心の理由説明を全くしませんでした。「自転車泥棒が増えている」などと私や私の住んでいる地域とは何の関係もない話を勝手に口実にしているに過ぎず、全く関係のない質問で狡猾に誤魔化し続けようとしているだけでした。誠実さとは縁もゆかりもないような、彼のイカれぶり・独善ぶりが丸出しなだけでした。警察官の立場・権限を、こんなにも低次元で悪用されてしまっては住民としては堪りません。我が家に入った空き巣すら山口県警は未解決なままであるのに、あべこべに、私に自転車泥棒の容疑をかけてきたのですから ┐(´д`)┌ ヤレヤレ という感じです。謝罪も無しでした。犯罪捜査に全く適性がないだけでなく、人間性にも根本的な問題があるようでした。

これらの問題から、山口県警は、『何の正当な根拠がなくても、容疑をかけまくれ。そして職質しまくるんだ。警察官が何故そういう挙動不審なことをしているのかについては、説明するな。警察官は理不尽な暴君でいいんだ。更に理不尽に関係のない質問をしまくってその場を誤魔化せ。容疑をかけまくって職質しまくって問題視されまくる警察官こそ警察官の鏡なのだ。日本の警察庁なんて無視して、支那南北朝鮮の警察官たちの傍若無人ぶりをこそオレたち山口県警の警察官は実践しなきゃいけないんだ!』ととんでもなく間違った教育・指導をしている・されているように見受けられます。何重にも不当に不愉快です。治安を警察官自身があべこべに悪化させて一体何が嬉しいのでしょうか。公的な場所で、自転車泥棒という容疑をかけている張本人が、不当に容疑をかけられている被害者に対して、その理由説明をせず、できるはずもなく、他の関係のない話で誤魔化せると思っているらしき浅はかさ・卑劣さ・無礼さ・傍若無人さには、ホント、呆れ果てました。

公権力濫用6.
大体、本当に自転車泥棒を捕まえたいのであれば、最も確実な方法として、自転車が沢山止められているところや自転車泥棒が以前出現したらしきところで警察官が数人で見張っていればよいだけのことです。が、そういう地道な捜査を山口県警察の警察官たちがやっているようには全く見受けられません。巡回パトカーによる自転車泥棒取り締まりは、住民に全く不当に迷惑をかけながら警察官の仕事をやっているフリをしているに過ぎません。酷い矛盾です。

自転車泥棒が現れそうなところでは自転車泥棒を全く取り締まらず、自転車泥棒ではあり得ないただの買い物客にハタ迷惑な自転車泥棒の容疑をかけて、それで警察官として仕事をやっているつもりになられたのでは堪りません。税金泥棒にも程があります。少なくとも警察官として考えるべきことを全く考えていないことは余りにも明らかです。

公権力濫用7.
また、本気で自転車泥棒による被害を防ぎたいのであれば、自転車メーカーや携帯電話メーカーあるいは山口大学工学部などに相談し、携帯電話等で追跡可能なGPS装置を、サドルやハンドルの下のパイプの中など自転車泥棒が外したくても外せないような場所に組み込めるように、お願いすればいいだけのように思われます。そういうニュース、ありましたっけ? ないですよね、あんな公権力濫用としか言い様のない有害無益な職質をやらせているぐらいですから。

とにかく、自転車泥棒という容疑をあちこちで全く不当にかけまくっているらしきアフォ警察官たちを、山口県警の恥ずかしい恥ずかしい不名誉であると誠実に認識していただき、それらのアフォ警察官たちのほうを先に、一刻も早く撲滅してください。私は、無施錠の場合でさえ、ただの一度も自転車泥棒の被害に遭ったことはありませんが、上記のような、アフォ警察官たちによる全く不当な被害には既に何度も遭っているからです。私その他の自転車利用者にとって、自転車泥棒と上記アフォ警察官たち、どちらが治安を悪くしているかは、余りにも明らかでしょう。

読む価値のある新聞とは

#5 読む価値のある新聞とは。

なぜ、#1〜4 のような肝心な問題を、日本のマスコミ人たちは揃いも揃って解説しないでいられるのか。あるいは気付かないふりをし続けていられるのか。日本の報道機関は全て、安倍晋三内閣から「一億総白痴」化の密命を有り難く押し戴いてしまっているのではないか、と危惧せざるを得ません。

日本のマスコミ人たち自身も、法的には、国会議員や最高裁長官や内閣総理大臣と全く対等な、日本国の主権者本人であるということを、忘れてやいませんか(憲法14条1項「法の下に平等」)。

一見して明らかな憲法違反すら「憲法違反!(憲法違反の疑いが濃厚である!)」と判断・解説するだけの誠実さや理性が、ことごとく欠落してしまっているため、日本の「法」「政治」分野の関係者全員、および、憲法尊重擁護義務および刑事告発義務がある公務員全員は、既に信用回復が全く不可能なレベルにまで陥ってしまっているように思われます。

「新聞記者の原点は、事実をきちんと正確に伝え、事実に一歩でも、二歩でも迫ることです。」

( ^ω^ )ハァ? です。
私、小学生から大学生の時までアマチュア新聞を作ってましたけど、そんな意識、全然持ったことないです。そんな妄想、必要ないどころか、有害無益でさえあります。

「事実をきちんと正確に伝え」るなんてことは、客観的な証拠が十分に揃っていて単純明快な事件・事象でない限り、あるいは、記憶力および理解力が極めて正確で、かつ極めて誠実な当事者自身でない限り、通常、不可能なことです。

冤罪事件や虚偽報道や共犯を避けるコツは、合理的な疑いを自ら設定し、潰せるか潰せないか、誠実無私に検証してみることです。

あとは、要所要所を確実に押さえてさえいれば、それでいいんです。
情報源そのものが虚偽の情報源でなければ、それでいいんです。
伝聞情報は、明確に伝聞情報として伝えればいいんです。
問題は、何と何がどういう理由で要所なのか、問題なのか、という記者さん自身の意見が的確(優秀)でなければならないというところにあります。

新聞作りで本質的に最も難しいのは、一コマ漫画、四コマ漫画です。

自分で作り続けてみれば嫌でも分かります。
漫画家に任せてしまっているから、報道・新聞・ジャーナリズムで最も肝心なことが何なのかが全然分からなくなってしまっているように見えます。

創作的な自由度が格段に大きい漫画、および、仲畑川柳や余録や発信箱や社説などのオピニオン的な記事以外の記事では、
『自分は完全無欠とは程遠い低脳ちゃんなのだ。猫や犬より大脳が発達してるだけなのだ』と自覚し(「無知の知」」)、
裏付け確認と情報源の秘匿義務を忠犬ハチ公のように固く守り続け、
具体的な意見や合理的な主張や関連情報を猫の目のように気まぐれに列挙さえしておけば、
読者の興味や信用を失うようなヘマをしないで済むと思われます。

読者が読みたい(知りたい)のは、(1)事実の具体的な概要と、(2)その事実の意味や関連性や問題点についての、その記者なりの、創作的価値のある意見です。端的に言えば、全体像の把握ぶりと、議員・判事・検事・大臣・競合他社との智慧比べぶりです。

(1)については、ただただ正確で詳細な「事実」が最優先される場合もありますが(e.g. 試合などの結果、判決文、会見内容など)、そういう場合でさえ、写真や(2)がなければ、、新聞記事は保護されるべき著作物ではないということにならざるを得ません。
日本の大手マスコミ人たちが致命的におろそかにしている部分は、この肝心要のはずの(2)の部分です。

ついでに言っておきますが、客観的事実だけをどんなに正確に述べようとしても、人間である以上、誰がいつ何の病気で死にましたというような記事の場合を除き、ほとんどの記事にその記者自身の意見・その社の風土がうっすらと反映されてしまっています(判例で、そういうことになっています)。

ところが、何でもかんでも「うっすらと」というような不誠実で臆病な態度では、報道機関・マスコミ人としての存在意義・信用性がどんどん失われていくだけです。それも致命的に。

『で、何が言いたいの?』『恐くて言えないの?』『恥ずかしいの?バカなの?』となってしまう報道・記事は、右左に関係なく、基本的にアウトです。

間違っている意見の場合でも、その論拠と論理がそれなりに示されてさえいれば、民主主義国の国民のあり方としては、それはそれで十分OKなのです。真逆のスタンスの第三者でさえ相手(記者さん)が言わんとしていることの理由をそれで十分理解できるわけですから。

具体的に言うと、私の意見と産経新聞の記者たちの意見は真逆なことがよくあるわけですが、最もチェックする価値があり、かつ、(反面教師として)最も栄養源となってくれているのが産経新聞の記者たちの本音の意見ということになります。

要は、本音の意見を、いかに正当な論拠で、いかに論理的に主張するか、です。
読者に対する説得力競争が報道機関の宿命なわけです。

イデオロギー闘争や私怨闘争や私的擁護やエゴ強要が簡単に見透かされてしまうことが多いのは、説得力の質に何らかの根本的な違和感を感じさせられてしまうからです。

事故当時のことも今後のことも東電と政府に分かり易く説明させるべき

#4 福島原発事故について、事故当時のことも今後のことも、東電と政府に分かり易く説明させるべき。

もう一方の吉田昌郎調書については、私は、とりあえず、全く信用不可!と即座に判断しました。
吉田昌郎氏自身が『これが公開されて事実として一人歩きされては困る』と判断したのも十分頷けるほど、自己矛盾ぶり、責任転嫁ぶり、混乱ぶりが酷いからです。

そもそも吉田昌郎調書に書かれていないことで大きな疑問が3つあります。

疑問1.
曲がりなりにも電力会社に勤務している人たちが、なぜ、電線復旧という基本的な作業に即座に精力的に取り組まなかったのか。

疑問2.
曲がりなりにも電力会社に勤務している人たちが、なぜ、必要な発電機の仕様、プラグの仕様を自ら伝えなかった(伝えられなかった)のか。東電本社は必要な仕様を調べ各方面へ伝えなかったのか。

疑問3.
曲がりなりにも原子力発電所に勤務している人たちが、なぜ、チェルノブイリ原発事故の収束方法(水素爆発を防ぐための冷却水の排水+放射能被害を少なくするための鉛の投下+原子炉全体を冷却するための液体窒素の投下、石棺化、シェルター設置など)を全く考えていないのか。


結局、事故当時のことも今後のことも、いまだに分からないことだらけ。少なくとも信用不可だらけ。

教訓? それは、福島第一原発の、事故当時のこと、今後のことについて、東電と日本政府が日本国民に責任をもって明確に説明責任を果たせてからで十分なはずです。

但し、原子力村が、金とポストをもって暗躍し続けているので、今後も全く信用不可だらけの状況が有害無益に続く模様ですが。
日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの社会正義の無さぶり・狡猾さでは、もはや永久に解決不可能な問題のように見えます。

古賀茂明氏のように、ほんのちょっとでもまともな人間性を持っていると、そういうまともな人間を多勢に無勢で飼い殺しにし、弾き出してしまうというのが彼らの醜悪な実態だからです。

これらは、報道によって的確に問題視され続け、経済産業省が廃省され、東電が廃社されるにまで至っていなければならないほどの深刻な「事実」です。原子力工作員たちに騙されない癖を、いい加減、身に付けてください。

米国人の誰かに会ったら、日本を再占領して、今度こそ、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちを根こそぎ、例外なく公職パージしてくださいと頼み込んでみてください。そして、日本の全公務員に短期任期制を敷くように頼み込んでください。それほど絶望的な状況です。

少なくとも記者会見の度に、この日本の公務員の闇ぶりを、上手に突っついてやってください。

一見味方の左翼イデオロギストをも警戒すべきだった

#3 吉田清治氏は、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちや朝鮮人だけでなく一見味方の左翼イデオロギストをも警戒すべきだった。

(続き)吉田清治氏には、どんなに贖罪願望があったとしても、日本軍による計画的な性奴隷狩りを、史実通りに語れるはずがなかったということは極めて明らかであると思われます。

理由2.
山口県知事の命令(要請?)のため日本軍の性奴隷狩りに関する自身の証拠書類を既に処分してしまっていると吉田清治氏自身が元々語っていることもありますが、どっちみち、超人的な記憶力がない限り、いつ・どこで・誰が何をしたか、そして著作や講演で何を何に言い換えていたか、の全てを、全て正確に覚えておくことは不可能であるため。
(ていうか、元々、不可能と分かっているからこそ、人間は、公文書や記事などに、いろいろ記録を残す。)

理由3.
南鮮でさえ、1973年08月08日、金大中という韓国大統領候補を、日本国内で、田中角栄内閣の行政権を侵して、拉致・連行・虐待(拷問?)している。北鮮は、ご承知の通り、南鮮より野蛮。

多数の朝鮮人女性を組織的計画的に拉致・連行・強姦・殺害したと証言する以上、朝鮮人に明らかに虚偽と分かる内容に変更しておかなければ、南北朝鮮のいずれかに拉致・連行・逮捕・監禁され、「裏切り」や「名誉毀損」を避けた証言が却って相手を怒らせることとなり、自分だけが「死刑」その他悲惨な目に遭う危険性が高いため。


理由1〜3.は、昭和戦前の亡国日本軍による性奴隷狩りを何らかの形で推進した全ての人に言える困った事情です。

かくして、彼らのほとんどは、犯罪隠蔽・犯人蔵匿という更なる犯罪を「沈黙は金」などとまことしやかに勘違いし続けることとなり、
裏切りや名誉毀損を虚構で避けただけの勇気ある証言者が、「虚偽」を「捏造」した「名誉毀損」犯の悪者であるかのように、全く不当に名誉毀損され続けてしまっているわけです。

日本社会では、こういったことが、特に「法」「政治」関係者および公務員たちの社会正義の無さぶり・狡猾さのため、頻繁に発生し、かつ、無思考に放置され続けてしまう傾向が大きいように思われます。

彼らをこそチェックすべきであった朝日新聞社も、あべこべに同類になってしまいました。
特ダネとして散々利用させてもらっておきながら、吉田清治氏の置かれている状況を何故か全く理解せず、不当なバッシングをろくに跳ね返そうとすらせず、恩人の吉田清治氏を、こともあろうに「虚偽」を「捏造」した「名誉毀損」犯の悪者であるかのように名誉毀損する集団の一員と自ら成り果ててしまいました。余りのバカさ加減に、残念を通り越して、ただただ呆れてしまいます。

左翼イデオロギーや旧幕イデオロギー(封建ファシズムあるいは反長州・反薩長・反維新)や靖国イデオロギー靖国史観・安岡正篤史観あるいは妄想的自国独善主義)に陥ってるらしき人たちは、自分たちに都合の悪い事実を言う人を無理やり抹殺しようとし、名誉毀損的な言動をしますが、彼らのようなイデオロギスト全員が吉田清治氏にとっては警戒せざるを得ない敵だったわけです。そして、それ故、今回、味方のような顔をしていたはずの朝日新聞社に恩を仇で返されてしまったわけです。


日本の社会では、
「法」「政治」関係者および公務員たちの社会正義の無さぶり・狡猾さのため、
内部告発的な勇気ある証言がどんなに難しいか、という問題について、

日本のマスコミ人たちは、性奴隷狩りの犯罪状況だけは十分信用可能な吉田清治証言のこの顛末などを参考にしつつ、少しは真面目に認識し直してみるべきだと思われます。日本は、米国の軽く十倍以上、証人保護プログラムが必要不可欠な国のように思われます。

また、朝日新聞社の幹部辞任についにては、あの謝罪会見での、あり得ない説明の下手さぶりからも、『吉田清治証言の全てが「虚偽」であるかのように言え。そうすれば、お前ら家族の命だけは助けてやる』などと誰かに脅迫されているんだろうと私は勝手に思ってます。実際、脅迫されてますし。


池上彰さんコラム不掲載問題? 

朝日新聞社のバカみたいな謝罪会見の後で、尻馬に乗って、正義面して、ワァーワァーバッシングするのは醜悪かつ滑稽。お里が知れる。
内容も、案の定、読む価値無し。その理由を、#1〜8で説明している。
この問題では、朝日新聞社も、池上彰も、いわば、完膚なき負け組。

と私は思います。

吉田清治証言の虚構部分は当然の自衛

#2 日本の「法」「政治」関係者の全滅ぶりを多少でも知ってれば、吉田清治証言の虚構部分は当然の自己防衛。

吉田清治氏は、昭和戦前の亡国戦争の協力者・体験者として、この、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの無思考ぶり・暴虐ぶり・狡猾ぶり・無責任ぶり・低能ぶりを生身でよ〜く知っていたと思われます。

忘れてはならないことは、昭和戦前の亡国戦争指導者・日本軍関係者の多くが、そして、彼らの子孫たちの多くが、「法」「政治」関係をはじめとする公務員になってしまっていることです。

また、吉田清治氏には、どんなに贖罪願望があったとしても、日本軍による計画的な性奴隷狩りを、史実通りに語れるはずがなかったということも極めて明らかであると思われます。

理由1.
日時・場所・部隊名・氏名を虚構にせず、正確な日時・場所・部隊名・氏名をそのまま明らかにしてしまうと、多勢に無勢で「裏切り者!」「非国民!」「誹謗中傷だ!」とヒステリックに罵倒され続け、脅迫され続け、疎外され続け、日本社会に居場所がなくなってしまう危険性が高いため。

(ていうか、「裏切り者」になりたい人間は、通常、いない。「裏切り者」になりたくなければ、これこれこういう犯罪があったという犯罪状況以外は、当然、極めて言いにくい。

つまり、全国各地の捜査機関が即座に吉田清治氏からの真の証言に基づいて全国規模で捜査・起訴に動いていない限り、かつ、事前に吉田清治氏が国から免責と証人保護プログラムの確約を与えられていない限り、吉田清治氏が自身を含めて多数の日本軍関係者を犯罪者と特定してしまうことになる部分については、真実をそのまま証言できなくても何ら不思議ではない(e.g. 取り調べや法廷の場でさえ、自己に不利益な供述を拒否できる)。

また、仮に、そういう捜査および起訴が全国で行われていたとしても、全て時効であるので、裁判は事実認定の場としかならず、誰も処罰されず、かつ、昭和戦前の日本軍の性奴隷狩りに関する真相も、司法の場で多少は明確になっていたはず。


日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/touch/20121213/

慰安婦の被害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120314/p1


よって、この、吉田清治証言の顛末も、昭和戦前と変わらぬ、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの自己保身甚だしい狡猾ぶり・無責任ぶり・怠慢ぶり・低能ぶり、総じて社会正義の無さぶりがいかに酷い低レベルにあるかを明々白々に示している証拠です。)


#2 日本の「法」「政治」関係者の全滅ぶりを多少でも知ってれば、吉田清治証言の虚構部分は当然の自己防衛。

吉田清治氏は、昭和戦前の亡国戦争の協力者・体験者として、この、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの無思考ぶり・暴虐ぶり・狡猾ぶり・無責任ぶり・低能ぶりを生身でよ〜く知っていたと思われます。

忘れてはならないことは、昭和戦前の亡国戦争指導者・日本軍関係者の多くが、そして、彼らの子孫たちの多くが、「法」「政治」関係をはじめとする公務員になってしまっていることです。

また、吉田清治氏には、どんなに贖罪願望があったとしても、日本軍による計画的な性奴隷狩りを、史実通りに語れるはずがなかったということも極めて明らかであると思われます。

理由1.
日時・場所・部隊名・氏名を虚構にせず、正確な日時・場所・部隊名・氏名をそのまま明らかにしてしまうと、多勢に無勢で「裏切り者!」「非国民!」「誹謗中傷だ!」とヒステリックに罵倒され続け、脅迫され続け、疎外され続け、日本社会に居場所がなくなってしまう危険性が高いため。

(ていうか、「裏切り者」になりたい人間は、通常、いない。「裏切り者」になりたくなければ、これこれこういう犯罪があったという犯罪状況以外は、当然、極めて言いにくい。

つまり、全国各地の捜査機関が即座に吉田清治氏からの真の証言に基づいて全国規模で捜査・起訴に動いていない限り、かつ、事前に吉田清治氏が国から免責と証人保護プログラムの確約を与えられていない限り、吉田清治氏が自身を含めて多数の日本軍関係者を犯罪者と特定してしまうことになる部分については、真実をそのまま証言できなくても何ら不思議ではない(e.g. 取り調べや法廷の場でさえ、自己に不利益な供述を拒否できる)。

また、仮に、そういう捜査および起訴が全国で行われていたとしても、全て時効であるので、裁判は事実認定の場としかならず、誰も処罰されず、かつ、昭和戦前の日本軍の性奴隷狩りに関する真相も、司法の場で多少は明確になっていたはず。

日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
http://d.hatena.ne.jp/dj19/touch/20121213/

よって、この、吉田清治証言の顛末も、昭和戦前と変わらぬ、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの自己保身甚だしい狡猾ぶり・無責任ぶり・怠慢ぶり・低能ぶり、総じて社会正義の無さぶりがいかに酷い低レベルにあるかを明々白々に示している証拠です。)

日本の「法」「政治」関係者の超長期の全滅ぶり

#1 まず、日本の「法」「政治」関係者の超長期の全滅ぶりをいい加減ちゃんと認識すべきです。

(仮想)憲法9条 3項「前二項の条規にも拘わらず、日本国民は、国会の承認あるいは未承認によって、生得的な自衛権のための内外の戦力の保持あるいは不保持を期間限定で選択することができる。」

こういう加憲が、独立した1952年04月28日以降、ずっと欠落したままです。

また、こういう加憲がない限り、在日米軍日米安保条約も論理的・字義的には違憲無効であり、国会や内閣レベル、即ち、国家レベルでで自衛権行使が可能であるかのように考えていること自体が違憲無効かつ法的には全く不可能なままです。

これを理解し、言うためには、中学三年程度の日本語読解力があれば十分過ぎるほど十分だと思われます。

ところが、いまだに、どこからも、全く聞こえてきません。

これも、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの全滅ぶり、言い換えれば、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの自己保身甚だしい狡猾さおよび無責任ぶりがいかに酷い低レベルにあるかを明々白々に示している証拠です。

この遅くとも昭和戦前から延々と続いている病気は、エボラ出血熱よりも遙かに本質的に悪性です。御嶽山の悲劇とは比較にならなくらい大悲劇です。あるいは、後世、「一億総白痴」と失笑されて当然のような大喜劇です。

集団的自衛権」をあれほど論じておきながら、『土台が滅茶苦茶だからまともな議論が全く不可能なのだ』と一体どうして気付かないでいられるのでしょうか。毎日新聞日本経済新聞東京新聞沖縄タイムス琉球新報ぐらいには気付いて欲しかったです。

2014年06月04日、毎日新聞日経新聞だけが、安倍晋三内閣が「集団的自衛権」を、collective自衛権の意味ではなく、 unit自衛権の意味で使っているらしいことを極めてうっすらと報じています。

本来、大殊勲の大スクープのはずなのですが、そして、この時点から「集団的自衛権論議は、仮に国家レベルで自衛権行使が可能だとしても、「集団的自衛権」という誤訳による混乱の問題ぐらいは整理されていなければならなかったところです。ところが、あべこべに、全く音沙汰無しになってしまいました。どこからか理不尽な言論弾圧でもあったのでしょうか。

collective自衛権は、「集団的自衛権」と誤訳され続けて来ておりますが、加勢的自衛権、参集的自衛権と訳されるべきものです。米国一国の、無人攻撃機による爆撃という加勢だけでも、立派に collective自衛権 行使だからです。そもそも "collective" には「集団」「集団的」という意味はありません。中学生でも分かることです。

unit自衛権は、日本語では「集団的自衛権」「集団自衛権」としか訳しようのないものです。一個人の正当な防衛権を一集団に拡大したようなものです。当然、個別的自衛権の一形態であり、国家単位の「個別的自衛権」もその一形態です。

ややこしいことに、何らかの条約や決議に基づく multilateral unit (多側面集団。 ≒ multinational unit 多国籍集団 ≒ coalition 有志連合。 joint unit 含む)による collective defense (加勢的防衛、参集的防衛。 e.g. NATO )は、終始 unit自衛権の発動となるため個別的自衛の範疇です。

collective defense (加勢的防衛、参集的防衛。 e.g. NATO )は、
right of collective self-defense (加勢的自衛権。誤訳で「集団的自衛権」)による他国防衛とは、

1. 被害当事国からの支援要請の代わりに「平和への脅威」が関係国間で認定されることが必要になること
2. 国対国の戦争ではないこと
3. 指揮権が、関係国の国家ではなく、 multilateral unit そのものにあること

などの根本的な違いがあります。

これらの自衛権・加勢的防衛・加勢的自衛権についての常識が日本国民には全く浸透していないことも、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの全滅ぶり、言い換えれば、日本の「法」「政治」関係者および公務員たちの無思考ぶり・怠慢ぶり・不誠実ぶり・自己保身甚だしい狡猾ぶり・無責任ぶりがいかに酷い低レベルにあるかを明々白々に示している証拠です。