エガワヒロシのブログ

2017-11-06

[]小説サイト

小説を小説サイトに投稿しました。

僕のサイトだとスマホで読みづらいみたいだったので。

こちらで読んでください!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884391842/episodes/1177354054884391877

2017-11-01

[]「小説を書きました」

前から小説書いてみたら?って言われることが多くて。ずっと頭にはあったんです。でも何書いたら良いのか・・・。

そこである人からの一言で書き始めたのが自伝。自伝と言っても何かを成し遂げた人ではないので、人生の流れを書く長いものではなくて、高校1年と2年の2年間だけを書くことにしました。ではなぜその2年をピックアップしたのか?

僕の高校生活は荒んでました。まさかの何も考えずに男子校に入ってしまい、友達もいない日々。その中で中学から引きずる恋と、そして音楽。これが見事に交差するのがこの時だなぁーって思ったのです。なので小説の初作品としてはこれが自分の原点なのでぴったりだろうと。そういうことで書いてみました。

まあ初作品ですから、表現も拙いし、自分がプロだとも思ってないので、優しい目で見てください。まあ書くのはなんとなく楽しかったので、また書いてみようとは思ってます。趣味なのか表現なのかは迷うところですが、いつも趣味が仕事になるので、何かに転がればよいなぁーと考えてます。次はファンタジックなのが書きたいかな。

それでは僕の処女作「ラバーソウル」お時間ある方は是非読んでみてください。よろしくお願いします!

https://egawahiroshi.wixsite.com/hiroshiegawa/blank

2017-02-24

[]「小説トレーニング#2」


将来小説を書くための、小説的表現のトレーニング。今回は昨日見た野呂圭都ちゃんのライブからインスパイアされて。彼女の音楽から受けるものを小説的に表現してみた。通常のライブレビューではない形で。



彼女は幽玄と言っても良い美しさでそこに立っていた。とても細い体で、静かな雰囲気を漂わせていた。だからと言って弱々しいわけではなく、芯の強さみたいなもの、体の奥底から湧き上がる野生のエネルギーのようなものもその細い体から発散していた。何と言ったら良いだろう。平凡な人間がその場の空気に溶けてなくなるのに対し、彼女はその空気の中で縁取りされて、切り取られたような、存在感という言葉だけでは括れない、なんとも言えない魅力を醸し出していた。

だから、隣に座った時に、そんな彼女が満面の笑顔で話し始めたのはびっくりした。その姿は気さくで、天真爛漫という言葉が似合うような、言ってしまえば「普通」の女の子だった。僕は「普通」という言葉が嫌いだ。「普通」という言葉は人と人とを断絶する。そこには大げさに言えば選民思想というか、グループ分け、いや、仲間外れの匂いさえ感じ取ってしまう。でもそんな僕が「普通」という言葉を使うしかないくらい、彼女はとても自然に笑っていた。

でもステージに立った彼女は別だった。薄暗いスポットライトの下、アコースティックギターをつま弾く。一音一音にしっかり思いが込められたその音は、鳴り響けば鳴り響くほど、その場を静かにさせた。静寂をステージにもたらした。そしてその静寂の中で響く彼女の声。余計なものをすべて省いた、純粋と言う名の大切な何かをそっと拾い上げたような、美しい声。その美しい歌声がつま弾くストーリーは、淡いようでいて、とても突かれたくない一点を真っ直ぐ射抜くような鋭さを持っていた。それはあまりに鋭すぎて、痛みを感じない完璧な刃物のようだった。観客はみな血を流し、その場に立ちすくむのだった。

彼女の歌を聴いた帰り道は、いつも決まって満月だった。いつも肌寒くて、誰かの温もりが必要に感じた。そんな時に帰って一人の部屋で寝るのはとても辛かった。でも翌日は、体の中にあった不純物が綺麗に洗い流されたように、少しだけ身軽になって新しい朝がやってきた。彼女が射抜いた場所には何があったのだろうか?あの流された赤い血には何があったのだろうか?それが何なのか、いつも気づかないまま、僕は日常に帰っていく。そう、「普通」の日々に。

いつも通る公園のブランコが、風もないのに、少しだけ揺れていた。少し哀しげな音を出しながら。少しだけ泣いているように。でもとても穏やかで暖かい朝がそこにはあった。僕は誰にともなく「行ってきます」と呟いた。

2017-02-22

[]小説トレーニング#1


小説を書けるようにトレーニングをたまにしてみることにした。まずはいつもの朝の風景を小説的に書いてみた。


眠い目をこすりながらベッドから起きて、まず音楽をかける。何を聴くか迷う日はいつも良い事がない。今日はブライアンフェリーのデビューアルバムをかけた。すごそこにあったし、朝からあの思わず笑ってしまうくらいにキメキメのダンディズムを感じるのも悪くないかな?と思った。迷うのは縁起が悪い。そして台所に向かい、前の夜にかけておいた食洗機を開け、食器をしまっていく。もうすべてどこにあるのかは頭に入っているので、眠い目をしたバレリーナのように、くるりくるりと食器を片付けていく。食器をしまい終わると、朝食の献立を考える。頭の中で冷蔵庫の中にあるものを洗い出し、種類ごとに並べていく。食パン、ベーコン、しめじ、トマト…。腐ってしまう順に使うのがいつものルール。まずはしめじが一番古いので、卵と合わせてキノコオムレツに。そして食パンとベーコンはチーズと合わせてホットサンド、あとはトマトを置けばバッチリだ。緑色がないと彩りが悪いな…と感じてキウイを切った。オムレツにはケチャップで「おは」の文字。完璧。これが幸せな子供の朝食。子供には幸せを感じさせなければいけない。ゲップが出るくらいの。吐き出したら問題だけれど。

こんな朝を過ごすようになって3年になった。自分の45歳がこんな風景で続いているなんて、ロックスターになるのが夢だった中学生の自分に教えてあげたい。あとは急にデヴィッドボウイが死ぬことも、その同じ年にプリンスとジョージマイケルが死ぬことも教えてあげたい。あとリックウェイクマン。

子供が起きてくるのでチャンネルを教育テレビに合わせる。今はEテレって言うんだっけか。テレがつくのは日テレしか馴染まない。東テレなんて以ての外だ。テレサンターナなら許してあげても良い。黄金の4人に免じて。ファルカンの髪型に免じて。あとテレは何かあったかな…。あ、テレサテン!いや、あれはテレサだから!と脳内で漫才が繰り広げられる。テレテレ…照れ照れぼうずもいたな。なんてことを、はなかっぱを見ながら考える。どうでも良い事が頭を駆け巡るのは小さい頃からの癖だ。こんなこと、大人になってもやってるとは思わなかった。大人ってしょぼい。

朝から元気な7歳児が起きて来た。今日もおきまりのCMソングだ。今は「キュキュット」にハマってるらしい。先週は「ジョイ」だった。将来は洗剤メーカーにでも就職するつもりだろうか?まあライザップで腹踊りされるよりは良い。とにかくご機嫌な朝だ。

そして最後に嫁が起きて来る。朝に弱い嫁だが、遅刻はほぼしない、ギリギリの時間に急に覚醒、神業のスピードのヘアメイクでいつも出て行く。早く起きても覚醒するタイミングは一緒。あのギリギリ癖は一生治らないと思う。

そんな朝が毎日繰り広げられて、我が家の日常は回っている。これを幸せと呼ぶならば、そうなんだと思う。これを退屈と呼ぶならば、それもそうなんだと思う。それを決めるのは自分であって、どっかの評論家でも、近所のおばさんでも、ネットの頭のおかしい誰かでもない。日常はそこにあり、我が家のリビングには日差しが射している。

ブライアンフェリーのアルバムが終わった。次はドノヴァンでも聴くかな。サンシャインスーパーマンが聴きたい。