蜂太郎日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

 昌子讃歌・・・森昌子を聴きながら

2011-01-17

時代7、森昌子と劇場(2)

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3、久保講堂

1972年「ファーストコンサート」

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  • 正式名称:久保記念講堂
  • 所 在 地:東京都千代田区霞が関 3-3-4
  • 完  成:1958(s33)年10月
  • 閉  館:1984(s59)年3月
  • 収容人員:1000人強
  • 設  計: (株)村田相互設計
  • 跡  地:新霞が関ビル

参考、虎ノ門ホール

 森昌子「ファーストコンサート」の場所は久保講堂だと思うが、「ポニーキャニオン」に虎ノ門ホールとあったので参考までに記す。この虎ノ門ホールのあった国立教育会館の建物は久保講堂の直ぐ近くにあったが、2005年に「霞が関R7プロジェクト」で解体され、その跡地は「霞が関コモンゲート」と名付けられた地区の一部になっている。

霞が関R7プロジェクト概要」

  • 地区名称:霞が関コモンゲート
  • 目  的:市街地再開発事業と中央合同庁舎第7号館整備事業
  • 場  所:霞が関3-2-1〜3
  • 着  工:2005( h17)年 1月7日
  • 竣  工:2007( h19)年9月28日

 このプロジェクトによってこの地域には2棟の高層ビル(東舘、西館)が建ち、外堀通り沿いの旧文部省庁舎はその一部が保存された。東舘には文部科学省会計検査院、西館には金融庁や民間各社が入り、旧文部省庁舎には文部科学省文化庁が入っている。また国立教育会館の建物のあった辺りはこのエリアの導入部で、民間商業施設霞が関コモンゲートアネックス(地上2階建て)が建っている。

 虎ノ門ホールは国立教育会館 の建物にあり、教育会館での歌謡曲のコンサートはどうなのかと思うが、何れかの教育機関の推薦により行われた言えば、それらしくはある。彼女のキャッチフレーズは「あなたのクラススメート」であったらしいから…。

 1972年には勿論、両方とも存在したが、しかしここは本人の言葉の通り久保講堂だろう。久保講堂でのコンサートの履歴を調べた人の記録がウェブにあったが、それは1977 年以降のもので、それ以前については記されていなかった。1972年森昌子「ファーストコンサート」は、この講堂でのコンサートとしては早い時期なのかもしれない。ステージと観客席が近いというここの造りがフォーク系の歌手にはやり易かったのだろう、フルバンドよりもこじんまりとしたバックのコンサートが多い。


 久保講堂は霊友会の創立者久保角太郎の13回忌記念事業として建てられ、社会福祉法人社会事業会館に寄贈された。寄贈の理由は「宗教の本願は社会事業である」との久保角太郎の言葉にあるという。そして、社会事業会館は1970年社会福祉法人全国社会福祉協議会合併し、以降、この講堂は民間社会事業の様々な活動、催しの中心的拠点として活用された。閉館は「新ビル建設計画」が決定された1984年3月であり、現存しない。跡地には1987年3月竣工の新霞が関ビルが建っている。

 この「ファーストコンサート」からは野口五郎の「悲しみの日曜日」を。この投げつけるよう歌唱は若さの証で、なかなかのものである。別の箇所で、ささらのリズムと音を「砂袋を打ちつけるような」と書いたことがあるが、実はささらはそんなに強い音ではない。砂粒を板塀に投げつけたときの音、と言ったほうが正しいかもしれない。この彼女の歌にそのささらの軽快なリズムを感じた。それ故の「なかなかのもの」なのである。そして次に「久保講堂だと思います」の言葉のある当時の芸能ニュースの映像を、共に60morimoriさんの動画でご覧下さい。


森昌子「悲しみの日曜日」(1972年

http://www.youtube.com/watch?v=neDm9zuBlDM

芸能ニュース「森昌子と仲間たち」(1972年

http://www.youtube.com/watch?v=pN4LqUZMb54