「下流志向」

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

2月16日読了。2013年11冊目。
非常に良かった。最後のほうに出てきた文化資本の議論で思うところがあったので別の記事にしたい。


「等価交換」「消費主体と労働主体」「経済合理性」というキーワード。
幼いころに刷り込まれた「消費主体」としての人格を確立させたことで、「経済合理性」という枠でモノを考えるようになり、「等価交換」で割り切れないことを拒否してしまっているので、若者たちは学びからも労働からも逃走している、という論理。日常的な生活において等価交換はありえない。といのも等価交換とは時間を捨象することとイコールだからだ。不合理が人間生活の本質であるにもかかわらず、合理的な、言い換えれば等価交換というシンプルな見方が浸透していること、これが労働からの逃走なのであろう。

学びからの逃走は、日本に根を張った自己責任論と深いかかわりがある。学びによって得られる利益を自己責任の下で拒否していることで学びからの逃走が起きているのである。

教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育課程が終了するまで、言うことができないということにあります。(P55)

自分自身の価値判断を「かっこに入れる」ということが実は学びの本質だからです。(P179-180)


引用したこの2つの文章好きだわ。あとぜんぜん違う箇所だけど「文化資本は統計的には正規分布してない」という文章も良かった。