年末少考

  • 微差から大差

羽生名人と森内九段における2015年12月24日までの通算成績は、羽生善治名人が1332勝516敗、森内俊之九段が877勝515敗であり、両者の敗戦数はほぼ同じだが勝戦数は455も違う。両者の対戦成績は71勝54敗と大差はなく、特に名人戦では拮抗した対局を我々に見せる。両者は小学生からのライバルで現在に至るまでその実力差は羽生が上回るにしても微差である。しかし微差であっても積み重ねが長年にわたると大きな差(ここでは通算成績)となって実績に表れる。俺もここでモタモタしていると、現在同程度の能力を持つ同世代に大きく引き離されるかもしれない。


  • 発言内容と発言者

他人の受け売りだが、受け手側の判断は発言内容ではなく発言者に大きく依存するらしい。例えば(この例も他人から引用)、遅刻魔Aがその日たまたま遅刻したBに「遅刻はよくないぞ」と注意すると、恐らくAは「お前が言うな」と非難されるはずだ。しかし「遅刻はよくないぞ」というフレーズは誰が言っても常識的には正しいのであって、Aが避難されるのは論理的に考えればおかしい。また一介の柔道人である俺が日本トップレベルの高藤選手や原沢選手に、神から預言した肩車や大外刈りを正しくレクチャーしても取り合ってもらえないはずだ。このように受信者は発言内容よりも発信者自身に依存する傾向が強いが、俺は高校生あたりから、相手がだれであっても発言内容に耳を傾けようという意識を持ってきた。だから比較的受信した言葉を安易に唾棄することは少ないはずだが、一方で依然権威者の発言内容に弱い節がある。今年で言えば就活の時に雰囲気のある人がそれっぽいことを言っていたら無批判に受容することが多かった気がする。


今年はM-1グランプリを見た。最近の芸人のネタを見ること自体がかなり久しぶりだったが、正直内容は微妙だった。親がテレビをつけていてたまにバラエティ番組等が不意に入ってくることもあるのだが、言い回しや流れ(くだり)がパターン化・画一化されていてやはりあまり面白いと思えない。今年のM-1でお笑い脳みたいなものが一時的に覚めて、松本信者であった高校時代に買った「一人ごっつ」と「VISUALBUM」を最近見返したのだが、全盛期の松本が結果や評判を求めることなく好きにやっているのでとても面白い。(若い頃の)松本人志は歴代の中でも頭一つ抜けて天才だと感じる。「松本人志は天才と思わせるのが上手く、松本の笑いをわかる自分がすごいを思わせる芸人である」と評されることがあるが、そうしたことを勘定してもまだ世間に過小評価された芸人だと俺は思う。上に挙げた2作品では、一人ごっつ→「教えよう」「タイムスリップショッピングダンス」「力の抜ける服でおはよう」「ピー助」「面雀」、VISUALBUM→「診察室にて」「システムキッチン」「ゲッタマン」「マイクロフィルム」「げんこつ」「古賀」「寿司」あたりが好きだ。何か言ったあとに自分で笑う行為や演技力は好きではないが、構想力や言葉のチョイスが面白くてクセになる。