小人閑居

世の中に貢献もせず害もなさず、常に出力50%。

いま、ほっとしていること

就職が決まって、思った以上に安堵している自分がいる。理由はいろいろあると思う。

内定をもらえなかった場合、理由の如何によらずなんとなく拒否された感がありどうしても傷ついてしまうだろう。就職活動を始めることさえしていなくて、周りの人が決めていっていて取り残された感があったけれど、ようやく自分もみんなと同じ船に乗れたという安心感。就職先が結構いいところですでにいろいろとプロジェクトがわたしを中心に動き出しているという優越感。就職先がちょっとかっこいいところで自分の虚飾が満たされる感。

自分の中にあるつまらない諸々の感情が満たされているんだろう。なんとつまらない感情の塊の矮小な人間なんだろう、って思うけれど、それで自己否定が入って落ち込むような若さはもうない。そうだね、わたしはそういうちっこい人間ですよ〜おほほ、と余裕ぶっこけるくらいの年の功は重ねた感がある。いーじゃん、人間なんてそんな崇高なもんではないんだし。崇高な精神が崇高なものを生むわけじゃなし。今夜は飲もうよ、ほらほら。

大事なことは、下品な発言に対して過度の反応をして自分は博愛主義者だ的な行動や発言をしないことだな、と最近のニュースを見て思う。「俺はあいつじゃない」ということを強調しすぎると、二元論的に世の中を見てしまう。貧困な類型に自分を押し込めていってしまう。そういうのって自分で自分の首を絞めることにしかならないしね。

そこでだ(脈絡なく話題を戻す)。自分が今、なんでこんなにほっとしているのかをよく考えると、そのほっとした気持ちの一番の源泉は、履歴書を1通書くだけで就職活動が済んだことだと気が付いた。これから10社に応募しないといけないとなったら、きっと就職をあきらめていた。もう、絶対、そう。自筆の履歴書、嫌い。

二元論はいけないと思うけど、履歴書に関してだけはきっぱりと二元論で、自筆=クソ・無能・意味のない権威主義、印刷=スーパーグッド・有能・言論の自由、だ。

などと乱暴な議論をしてしまうくらいに、履歴書作成が一通で済んでほっとしている。