仕事で行った先の駐車場で車の陰で子猫が昼寝をしていた。体が細くて小さくて、見るからにしなやかで、どう見てもうちのおかめと年齢の差が歴然としている。
若い。ものすごく若い。
年齢ってこんな風にして、猫でも歴然と見えるものなんだとびっくりした。
そうすると、子猫が気が付いてパッと起き上がりわたしを見た。その動作の素早さにも若さがあふれている。うちのおかめだと、起き上がるのに時間がかかり、そして振り向くことはないな…。
しばらく子猫と見つめ合っていたら、子猫が目を何度か細めた。子猫に呼応してわたしも目を細めた。しばらくおかめとこんな風にコミュニケーションをとっていない。なんでだろう。仕事が始まってあまり一緒にいることができなくなってしまったからだろうか。
違う。おかめは目が見えなくなったんだから。だから、目が合うこともないし、ましてやコミュニケーションの一環として目を使うこともなくなったんだ。
おかめの失明は緩やかにやってきて、おかめもわたしもそれにすっかり慣れてしまっていたけれど。
おかめが寝ているときに近くに行ってもおかめは気が付かない。わたしが触ると近くに人がいることに気が付いて、ニャーと鳴く。触っている手のにおいをかいだりするけれど、わたしの目を見ることはない。わたしのほうも振り向かない。もしかして、おかめに触れていないとき、わたしはおかめにとって存在していないのかもしれない。そして、わたしの存在は、おかめに触れている部分のみで、それ以外の部分はおかめにとって虚無なのかもしれない。
年老いた猫のそばに座る。わたしの体は一部のみが存在して、それ以外の部分が緩やかに消えていく。夏の幽霊みたいに。わたしが誰なのか、なんなのか、年老いた猫の隣で曖昧になっていく。
そんな夏は今年で最後かもしれない。
…ここ5年くらい、毎年、今年の夏が最後かもって思い続けてるんですけどね。
最近は、おかめはすっかり自分が目が見えないことに慣れて、目という器官の存在すら忘れているらしく、目を開けたままで寝ていたりします。怖いのでやめてほしい。