クビダイ論争はどうでもいいから公立大学と税金について語ろう

R30氏がクビダイ論争に足を突っ込んで○○ガイどもの○違い攻撃を受けているわけだが、面白そうだから便乗してみよう。ただしどうでもいいクビダイ自体ではなく、税金で支えられる公立大学に関して。

私が読む限り、R30氏のスタンスは結局のところこの一文につきるんじゃないかと思う。


ていうか、「クビ大が、どのようにして終わっていくかの実証的な検証」なんて、マジでどうでもいいよほんとに。頼むからそういうくだらない後ろ向きなことに都民の税金使わないでください大学の先生方(笑)。
これは都に限らず、国の税金=国立大学にも言えることだ。"どうして誰も「民業圧迫」って指摘しないのだ"というコメントはさすがに煽りすぎだが(笑)、ここにケチつける奴はただの勘違いなので現れたら落とし穴に落ちた間抜けということで笑ってあげよう。え、それって私のこと?

閑話休題。osakana.factoryでも大学に費やされる税金に関するツッコミがあるわけだが、これらは的を射すぎていて痛いくらいだ。

結論を言うと昨今の国立大学はすでに「日本という社会資本主義国家において搾取側に立つ権力者に与えられる勲章」授与の場所であって、国立というお冠自体が勲章なのだ。そんなことは昔から誰もが分かっていながら誰もこれを壊してこなかった。何故か? そのほうが安易だからだ。すでに大学に関わらない人間にとって大学問題はテレビの向こうの世界であって、日常ではない。高校生以下の連中には切実な問題であり、受験勉強を避ける都合のいい建前だが、制度に従う以外のことが出来る身分ではない。そして当事者たちにとっては下手に世間を騒がせない方が食い扶持が長く続く領域だ。以上を考えると、国立大学制度を変化させる原動力は無い。だから今まで通り、当たり前のように税金が使われる。

少子化によって教育産業が「定員割れする赤字大学経営」よりも「大学に向かう過程で散々掠め取る受験ビジネス」あるいは「個性を謳う現代にふさわしいキャッチフレーズだらけの専門学校」となっている昨今、前者の受験ビジネス界にとって「エリートの証明:国立大学」というお冠が法人化することでネームバリューを下げてもらうことは困るのだ。だからといって別に手を回したり国立大学のお冠を支えたりはしないわけだが、自分から波風起こすほど彼らは馬鹿ではない。そしてマスコミはスポンサーのご機嫌に沿わないことは記事にしない。だから極東ブログが言う「当事者以外は騒がない」が成り立つのだ。知っている人間だけが草の根で問題を骨相学のように延々と吟味し、まるで真剣に取り組んでいるかのような錯覚に陥る。それで保守派は安泰だ。革新派は味方になってくれるスポンサーもないまま自分の無力に打ちひしがれるか、天上天下唯我独尊状態でわめきまくる。

多くの人間が勘違いしている原点にあるものは、教育が次世代を育てると言う崇高な理想の下にあるという妄想だ。教育は国民を国益のために使役する上での労働階層化制度、その布石に過ぎない。例外はあるがマクロ視点でそれを語るのはナンセンスなので黙殺する。というか多少社会と言うものをかじった時点でそんなことは明白なのだが、感情的・崇高な理想に支配された信教的理由からこれを否定する人間が未だに後を断たない。一部で騒がれる犯罪者よりお前らのほうが理想と現実の区別ができてねーよ。

それでも「それじゃダメなんだ!」と無根拠に叫ぶ方々への追撃は明日以降。構造と言う観点から教育がいかに権力や経済と切り離せないかを徒然に。

あ、あと税金についてはオチがありますから。尻切れ蜻蛉なのは出版業界で言う「引き」ってやつね。引きになってないとか言われると反論できないけど。解説しなきゃいけない時点でダメダメ。