晴釣雨読

As the train goes through the mountain path, leaning on the lightcyan window, only I would think about my fun.

「ハムはさあ、殺すんだよね」

私「ちょっとまって、あんた今なんて言った?」
委「ハムはさあ、最初に肉を殺すでしょう?」
私「待ってよ。殺すって言ったの誰?誰がそんなこと言った?」
委「うーんと忘れた」
私「忘れたじゃないっ!あたしは教えてない。誰が教えたか思い出しなさいっ」
委「うーんとね」
私「間違ってんのよそれは。肉を殺すんじゃない」
大「ねえちょっと。そんなに責めなくてもいいじゃない」
私「いや、よくない。今のは親の顔が見たくなるセリフだった」
委「ねーえ。そうだよねーえ。おやのこが見たいよねえ」

「みんな仲良くね」

というのは、暴力を振るう巨漢も陰湿な嫌味ばかり言うひねくれものも愚痴ばかり達者な偽善者もひっくるめて全員と仲良くすることだとあたしは思うから、委員長には決して「みんなと仲良くしなさい」などと無理なことは言わない。
「別にキライなものはキライでいいけど、それでどうなっても自分で責任取りなさいよ。今日はAくんがキライでもう一緒に遊ばないのはいいけど、明日はBちゃんがキライであさってはCくんがキライでだからってやっていくとそのうちあんたと遊んでくれる人なんか一人もいなくなるってことでしょう?−1/dayの減算ぐらいできるでしょう?あんたのクラスには何人のクラスメイトがいるんですか?」
と粘着質にやっていると、愚息なんか簡単に根を上げる。
野球阿呆の小学生*1を見てその場で、彼らを見据えて、
「どうしてこんなところで野球やってんの?」
「親の顔が見たいもんだわ」
「こんなとこで野球やらせて知らんぷりの親なんて、人の子に怪我させた時責任取ってくれるのかしら」
とはっきり聞こえるように言ってやった。

*1:常習犯

なぜならだ。

そのまま通れば委員長は「ボクも野球やりたいな」と言い出すし、かといって自分が陰で人を非難することをまずしたくない。迷惑なものを迷惑だと言うとき、目の前に相手がいなきゃお話にならない。
すると、余計な一言のために、子供にはまだ意味のわからない皮肉を教えてしまった。「親の顔が見たい」というのは間違いなく余計だった。

今日遊んだ友人T宅。

小学校1年生の長男はキレ者だ。幼稚園児の次男とよく喧嘩する。腕力で勝ってしまうから、いつも最後は長男が怒られる。
私「あのさあ、ちょっと教えてほしいんだけど、人のおなかって蹴っていいものなの?」
長「・・・」
私「蹴っても相手が何も言わなきゃ、蹴っていいものなんだ」
長「・・・」(かすかに首をふっている)
私「じゃああたしも、今あんたのおなか蹴り上げてあげるから、シャツめくりなさい。今すぐ」
長「・・・」(かすかに首をふっている)
私「蹴りたい。蹴らせなさい」
長「・・・ダメ」
私「自分にダメなことでも、人にはいいんだ」
長「・・・ダメ」
私「自分にダメで人にダメなことしても、笑っていられるんだ」
長「・・・」(かすかに首をふっている)
私「悪いことしたと思ってんだったら、謝りなさい」
長「・・・」(目が真っ赤になってくる)
私「悪いと思っていないんだったら謝らなくていい!あたしに蹴らせなさい。あたしも悪いと思わない。あたしも謝らない」
長「ごめんなさい」
私「あたしに謝るんじゃないでしょうっ!!!!!」

失敗した。

どうして蹴ったのかを聞かなきゃいけないんだった。見てなかったけど、次男が何か気に入らないことをしたから、とっさに蹴った。
多分これからもっと賢しくなって、親がわからないところで色々するようになるだろう。と友人Tは心配していた。