アシスタント募集

なにぶん初めての事で試行錯誤になりますが、
映像制作独楽(koma)はアシスタントを募集いたします。

募集したい方は2つの方向性になります。
①ビデオグラファーとしてやっていきたい方
②広報的な活動に興味があって、映像に関わる業務を学びたい方
年齢、経験、未経験は問いません。
どちらかの方向性でも大丈夫です。

 

報酬などについて
月額最低13万円〜:案件数や稼働状況でプラスしていきます
交通費別途支払い:遠方の場合は要相談
勤務日数:お互いの状況を含めて要相談

 

正直、最低13万円からというのは厳しいと思いますが、この仕事は月の変動が非常に大きいものになります。
また、その人の力量や希望によっては案件をメインでやって貰って、そのギャラもプラスにしていきます。

 

 

映像制作独楽でのアシスタントの利点
まず映像制作独楽は高地寛(コウチ ユタカ)の個人事業の屋号になりますので、世にいうフリーランス、ビデオグラファーになります。
右も左も分からないなかで個人事業を始めてから、有難いことに9年目になりました。

一般にビデオグラファーとは単独で撮影、編集、監督、企画をする方になるかと思いますが、実際にはクライアントや代理店、制作会社、現場の人々など、様々な方とのやりとりや、スケジュール、予算などの調整、時には交渉をしていくこともあります。また映像はジャンルや規模によって、制作体制や立ち居振る舞いが変わってくるのでそういった事も肌で学べます。

 

お仕事先の例
AOI Pro、ビービーメディア、ブエノスフィルム、studio-L、ニッポン手仕事図鑑、WORLD FESTIVAL、etc

 

また②の方向性でアシスタントを探している理由でもありますが、映像制作独楽では『ALL IS YOUR LIFE』という「つくること・表現すること・時間をかけること」をテーマにした自主プロジェクトを行っています。他にもアートプロジェクトの協力やMVやショートフィルムの制作など、仕事以外の活動も活発に行っております。受け身的な姿勢での映像制作ではなく、積極的にクリエィティブに活動していくことによって、学べるもの、還元されてくるものも多いにあります。
そういったゼロからの立ち上げ、その見せ方、イメージの構築などを試せる機会があるとおもいます。
広報的な事に関して、是非一緒に出来ればとおもっています。

 

以上になります。

もしご興味ある方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
その際は簡単なプロフィールを記載(顔が分かる画像の添付も)か履歴書、もしあれば映像・写真作品(リンクアドレスも可)を下記のアドレスまでお送りください。

 

映像制作独楽
高地寛(コウチ ユタカ)
komaeizouseisaku@gmail.com

 

その後は大変申し訳ありませんが、こちらから選考させて頂いた方のみお返事させて頂きます。
最後に面談でお互いに良いと思えれば決定という流れになります。
よろしくお願いいたします。

 


映像制作独楽
高地寛

映像制作独楽 HP
http://eizouseisakukoma.com/index.html

ALL IS YOUR LIFE 
https://www.allisyourlife.com

独楽な寛容性

すっかりコロナ以前と変わってしまったんだなと思うことが増えました。
それでも日常の忙しさは変わらず、流されそうになるので、自分の為にも考えを整理しなきゃなと思いました。


一体何が変わったのかと考えると、ディスタンスや消毒、マスクだけじゃなくて、白黒がはっきりつけられなくなったことだと思います。正しい、間違っているといった言葉に言い換えても同じ。
 
白黒だけなら自粛するしかないと思います。
でも自粛だけじゃ生活が成り立たないし、今のままでも経済活動がもたない人が沢山います。
本来は国や行政がもっと力になるべきだと思いますけど、資本主義の大きな企業みたいになってるのが炙り出されたように感じました。結局は自分達、1人1人の問題だったのだなぁと思います(そういった国になったのも)。

 

個人的には、『感染=悪いこと』みたいな印象を受ける今の状況はナンセンスだと思ってまして、
無症状でも感染するもの対して、感染する、感染させる=悪いなんて、ちょっと厳し過ぎませんか?

勿論、命の危険性は放置出来ないです。
そうなるとリスクのある状況で、どうバランスを取るかしかないんだと思います。 そのバランスを取る際に、自分は「寛容性」が一番大事なんじゃないかと考えました。


 

誰だって自分の行動で、人の命を奪いかねないリスクは取りたくないです。
でも、コロナ以前も同じような状況で生活はしていて、自分の何気ない日常の行動で、人の命を奪いかねないリスクは常にあったはずです。誰でも加害者になるし、被害者にもなりえる。ただ、コロナ以後はリスクの輪郭がぐっと強くなり、常に問われるようになりました。



でもそのリスクを1人で全部責任取ったら、とてもじゃないけど何も出来ないです。
自分も相手もそんなリスクを背負ってるとお互いに想像して、まずは責めるのではく、寛容にならないと話しにならないと思う。


立場や状況もそれぞれ違うのだから、その上で白黒ではなくお互いに歩み寄って、グレーゾーンに着地点をつどつど見い出していくしかない。とても面倒臭いけど、グレーゾーンはある意味余白でもあるのだから、逆に生きやすい社会を作っていく行為だと思います。

独楽なWEB映像

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


年末から帰省しまして、久しぶりにのんびり過ごす日々を送りました。
東京ではかれこれ8年近く、住まいにテレビがありませんので、実家でのんびりしながらテレビを見ると、妙に懐かしいやら、新鮮やら、面白いなぁ思う日々でした。と同時に仕事がら、構成や仕組みも凄く気になりまして、見ながら色々と考えることがあり、行き着くところは映像の長さだとおもいました。映像の長さが放送時間枠で決まっているということがテレビ映像の最大の特長なんじゃないかなとおもいます。


それに対してWEBの映像は長さのルールがある訳ではなく、一部のCM的な映像は決まっていますが、基本的には各々が自主的に決定しています。
個人的にはこの「長さの自由」というのが、WEB映像の最大の可能性だと感じています。
時間制限の中で語りきれなかったことや泣く泣く省いていたこと、逆にもっと短くした方が良いといったことだけでなく、今までとは違う表現、伝え方が産まれる可能性があります。だから是非、WEB映像はテレビのように時間を切り売りしないで欲しい。。


その一方で製作者の気になる点は見てくれる人の時間です。
時代と共にどんどん便利になっているのに、日々の暮らしは忙しくなる一方。この先、どんなにテクノロジーが進んでも、忙しさは変わらないような気がします。そんな日々で、見てくれる人に見続けて貰うためにはどうすべきか。一般的には3分が限界。30秒か1分で興味なければ見て貰えないと言われます。実際に自分のYOUTUBEチャンネルのデータでもそれに近いデータが出ます。なので映像のジャンルによってはそれに合わせることは大事だとおもってますが、この先は消費や効率だけじゃない、生き方の豊かさが問われる時代がくるように感じてます。

何をもって幸せなのか。生き方や豊かさにきっと正解はありません。その時に、映像の長さの自由はとても大事な要素になるとおもうのです。

独楽な、なんちゃって氷河

ときには気楽なエッセイもいいなと。
6年程前に天板が185×60というちょっと長めの机を作って、
編集作業やご飯を食べたりと、なんだかんだ多くの時間を過ごしてきました。

その机が狭くなりつつあります。その原因は一角にそびえる小山です。
参考書やら、フリーペーパー、小説、雑誌が積み重なって、油断すると雪崩がおきます。なのにふらっと本屋に立ち寄ると魅力的なものが多くて…小山は縦横にすくすくと成長中であります。

しかし、もういい加減にせな!となりまして、カバンの中に1つ、家で読むもの1つを決めて、隙間をみつけては読むようにしています。


ちなみに私は文字を読むのがかなり遅いです。あとなんか疲れやすい。
私は文字を読むと必ず声が聞こえるタイプで、説明書も辞書も声がきこえます。
だから自分は読むのが遅いのだというのが持論。だって聞こえる声のスピードは早くならないので…。

そんなこんなでじりじりと読んでいるのですが、ようやっと読み終わった雑誌の年月を見ると、半年前に発売。
カバンの中のは1年前の冬。。。

よくよく小山を見れば、なかなかどうして年月を感じる面々。
これはもやは只の小山じゃない。ある一角だけ時間の流れが違うような、堆積されたなんちゃって氷河のようにも見えてきました。南極の氷河は溶けてほしくないですが、自宅の氷河は溶けてほしい…そうおもった今日この頃です。

独楽な人

なんだかんだでブログの更新が停滞して、すっかりお正月ですが
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

私の方は年末に帰省して、実家で編集作業。
なので完全なお休みといった感じではありませんでしたが、
それでも実家のお陰でのんびりしながら、作業させて貰いました。
普段はほとんど見ないTVでお笑いや紅白を見たり、お墓参りをしたり、久しぶりの従兄弟と会ってゆっくり話しをしたり。年末年始らしさを味わいました。

そんな日々でしたが、実家の周辺では数年前から少し離れたところに大型ショピングモールができました。ご多分に漏れず、ショッピングモールには大勢のお客さんで、実家付近の商店街は随分寂しくなりました。
最近ではどこかしこでも見る光景ですが、ふと感じたのは大型ショッピングモールでの店員さんや大勢のお客さんの雰囲気やリズムの違いでした。
大学生の頃に住んでいた岡山や、現在の東京近辺でも同じような光景はよく目にしていましたが、あらためてそれぞれの地域で違いを感じました。

如何に現在まで培われた風土や歴史、文化で人は育っているか。人という生き物は不思議なものです。そうおもうと、もっと旅や知らない場所で一定期間暮らすようなことをしてみたいとウズウズします。
まだまだそんな余裕はないのですが、いつか実現してみたいなとおもう正月三ヶ日でした。

独楽な冒険

突然ですが、人にお薦めを尋ねたりしますか?
美味しいお店だったり、本だったり、映画だったり、音楽だったり。

私は学生の頃、お薦めを尋ねるのが嫌いでした。
何でも自分で判断したいし、自分の中にある興味で一杯一杯だったので。

でも今は積極的に聞きたいと思ってます。
理由はお薦めを尋ねる意味が変わってきたからです。

例えば、食事が美味しいお薦めのお店を尋ねたとします。
その後、実際にお店に行って、美味しかったか、そうでなかったかは、私にとってはあまり重要ではありません。勿論、美味しいと嬉しいです。

私が一番興味があるのは、そのお薦めしてくれた人の心が動いた理由や要素です。
そこには自分の知らない価値や感覚があったりします。

自分の知らない価値や感覚に遭遇するのは、
小さな冒険に似ています。
リスクもありますが、喜びや出会いもある。

冒険家というと凄い人や、縁遠いイメージがあるのですが、
案外、私達だって小さな冒険家だったりするのではないでしょうか。

独楽な大地

好きなものは、すいすいと頭に入って、不思議なほど記憶にしっかり残りませんか。
それなのに年を重ねると、あんなに好きだったことが思い出せなくなったりします。
それは当たり前なのかもしれませんが、最近ふと思いました。
忘れないように努力するより、
興味をもって新しいことを覚えていくことによって、
過去に覚えたことも忘れなくなるのではと。
なんだかそんな気がします。

問題はどうやって興味を持つか、どうやって好きになるか、ということですね。
段々と色々な思考が身についてきて、若い頃のような無邪気に好き!というのは、なかなかなれません。
良いも悪いも含めて、どう肯定的になっていけるか、それが核のような気がしますが、精進精進。


そんな今日この頃、自主で動いているプロジェクトのために色々と本を読んでいます。
とにかく専門用語も多く、調べると更に知らないことが出てくるので、ひぃーとなりながら、グーグル先生のお世話になっています。

そんな中の一つに、とても面白い記事があったので、ちょっとご紹介。
アイヌの伝統民家「チセ」
http://www.chinetsu.jp/cise01.php

アイヌの住居は当然ですが、極寒の豪雪地域です。
今の私達の暮らしからは、現在のような建築ではなく、自然の材料だけで作られた住居でどうやって生きていけるのか、全くもって想像もつきません。せいぜい、昔の人は苦労してたんじゃない?とか。

上記の記事は実際にチセを建てて、寝泊りし、データを取りながら、アイヌの長老から聞いたことや、文献等の状況に近づけていく、そんな作業を10年ほどしたものになります。

本当に貴重な研究で大変感動しました。
そして永い歴史と地域風土に育まれた知恵というのは、想像を遥かに超えるものがありました。

色々と面白いので是非読んで貰いたいのですが、
私が特に感動したのは、大地の5m下では真夏と真冬の温度が反対になっているということでした。
夏の熱が地下5mに届くのに半年かかっているというのです。
それは大地が半年先まで、夏の熱や冬の冷熱を持ち越す力を持っているとも言い換えれます。
雪解けして直ぐに新しい芽が出るはそのお陰だと。
そしてアイヌの住居「チセ」はそのことを活用した作りになっていました。

丁度、読んでいる本にも、日本では竪穴式住居が長く一般的だったとあり、まさに目から鱗でした。
竪穴式住居も大地を掘って、そこを生活の場としているのです。

驚きじゃないですか?
何か言葉に出来ない感に打たれました。

私はその後、住居に床を作っていき、色々ありながらも、現在のような椅子生活がメインなった日本の文化も好きです。
ただ東京に住んでいると、本当に土をほとんど見ないのです。そして何か忘れものをしているような気がしてしまいます。単に過去に戻ろうという気持ちはないのですが、改めてスケールの大きい奥深さに出会う大切さはあるようにおもいます。