介護保険との併用プランについて

先日地域のケアマネ研修がありました。
お題は
身体障害者福祉制度について」
介護保険身体障害者福祉制度の併用について〜

なぜ、身体障害だけ???
と思いつつ、期待して受講してまいりました。
初めに障害福祉課職員による制度の仕組みや併用できるサービスについての説明があり、障害福祉サービスのケアプランについて実際のプランを使用して学習しました。
初めて知りましたが、ケアマネも相談支援専門員受講資格の実務経験に見なされるんですね。
参加メンバーでは、在宅支援センターの主任ケアマネが一人だけ受講していましたが、登録はしていないと言ってました。
研修に使われたプランは介護保険の単位数が足りない場合に補完的に障害福祉サービスを利用している特に目新しさはないもので、他に重度訪問介護やオーダーメードの福祉用具の説明などがありました。
ケアプランに障害福祉サービスを位置付けても、障害福祉サービスの支給決定の根拠になるような説明がありましたが、「その場合、給付管理は誰がするんですか?」など、出された質問も互いの知識不足は否めないものばかりで、当然障害者側の視点はありませんでした。
障害福祉サービスに精通したケアマネがいればより手厚い支援ができるのは確かですが、それにしても知的障害者や精神障碍者の支援は難しいですね、
だから、あえてタイトルに「身体障碍者」と限定したのでしょうか。

市長との面談

私たち白井市心身障害児者父母の会は、年に1度市長と面談し要望書を提出します。

現市長は介護保険が施行された激動の時代に介護保険課長として現場の最前線で指揮を取り、また約6年前、障害者支援センターができる時には健康福祉部長として私たちの願いを聞き届け、今指定管理を受けているNPO法人が指定されるように、道筋をつけて下さった方です。
当初、指定管理の公募にあたっては「ちゃんとした社会福祉法人で実績がある法人が我々としては、一番安心できる。」と仰ってましたが、議論を重ねるうちに市内を拠点に活動し、当事者から熱い信頼を得ている法人が運営することが、地域の福祉向上につながると理解して下さったのでしょう。
とはいえ、どんなに行政が好意的でも議会では様々な意見がでます。
議員さんの中には残念ながら、未だに措置の時代から抜け出せずに色々意見を仰る方もいて、何かを作ることの大変さとともに市民を巻き込んでいく大切さを学びました。

市長との面談では、ここ数年の地域福祉向上のお礼を申し上げると「(先のNPO法人の)林さんがよくやっているから。」と何度もおっしゃっていました。
6年間で次々事業を拡大し、来月には市内初のグループホームが完成します。

多くの支援を必要としながらも、制度に取り残されがちな最重度の障害児・者と家族の生活も大きくかわりました。

以前、育成会の研修で「地域で熱意のある人が一人出てくると、その地域の福祉は変わる。」をいうお話を伺いましたが、まさに・・という思いです。

久しぶり

久しぶりに更新しようとしたら、やたら広告が多くなってる(´゚д゚`)
改めて読み返すと、色々なことが思い出され泣けてきちゃった。
写真もなにもなく、ただひっそりと気持ちを整理するために綴ってきたけど
ようやく、誰かに読んでもらいたいと思えるようになったので、フェイスブックにアドレスを載せます。

ついに、グループホームができる。

ずいぶん長くかかったけど、ついに地元にグループホームができる。
来週、その説明会がある。
もう、行動障害のあるオーイを見ていくことは、とうに限界にきていたけれど、何とか、地元でこれからも暮らしていけそう。
よくぞ、ここまで。

久しぶりの更新です

何だか何もかも投げ出したくなって。
あんなにオーイが自分らしく生きていけるようにと願っていたのに、とにかくオーイから逃げ出したくなった。完全に心が折れて迷走している。自覚はある。
何とか持ちこたえて・・・今もオーイは我が家で暮らしている。

仕事に逃げてる。

仕事はやりがいがあります。
充実感も達成感もあります。
ミスをして落ち込むこともあるけれど職場の人間関係も楽しんでます。
でも、これってやっぱり仕事に逃げてることなんだと思ってしまう。
限られた時間の中で、子どもたちにもっと手をかけたほうがいいんだと思う。
私ってホントダメな主婦でダメな母親。
オーイの世話なんて母親でありながらちきんと出来てない。その能力もない。それがわかっているから逃げている。どうしたらいいんだ。いったい。

ケアマネがんばってますよ〜

4月から地域包括支援センターでケアマネを始めました。
社会福祉法人が委託で行っているところで、社会福祉士、主任ケアマネ、保健士、ケアマネ2名、事務職員2名の小さい事務所。専業主婦歴20年近くでヘルパーと言っても主婦業の片手間のような短時間労働しかしていない私にケアマネなんて勤まるのだろうか?しかも最重度の障害者を抱えて・・・と思いつつ挑戦してみたかった。
今までの子育てや親の会の活動、もちろんヘルパーの仕事、障害福祉サービスの知識を生かした仕事をしてみたかった。
職場での私は専門職に囲まれたケアマネ1年生、教えられることばかり。家庭内でも親の会でもPTAでも見せたことのないしおらしさ・・・。
自分でいうのもなんだけど・・。
まあ周りはそうも思ってないかもしれないけど。でも、相談支援の専門職集団の中で1主婦だった私が仕事ができることがうれしくてあっと言う間に半年が経ってしまった。利用者、家族、事業者、行政、医療従事者など様々な人たちとの関わりながら仕事ができるのが楽しくて仕方ない。あまりにも長いこと母親業ばかりやっていた私にとって、この生活は人生の中でスポットライトを浴びている瞬間のように一時的なものに感じられる。
この感覚、以前にもあった・・・。
そう、バンコクで現地の養護学校にオーイと通っていたころ。
一日一日終わりが近づいているのが実感できて、あとになって絶対宝物のような思い出になるって思いながら過ごしていた日々。
あの時の感覚に似ている。
大変なことばかりのオーイィだけれど、健康で毎日安心して通わせてもらえる場所があることに感謝。