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2017-01-18

ドキュメント横浜路

・・そして だれもいなくなった・・
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横浜路周辺 革命家アジトから上海事変では戦場になり、現在は
第三の革命が終わったかのように みな立退き、解体が進んでいます。
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景雲里 1925年に建てられた石庫門里弄 この一帯だけが残っていました。
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魯迅寓所 35弄17号 後18号に魯迅が住んでいた。また前後して
茅盾、葉聖陶、そして柔石 など左翼文化人もこの敷地内に住む
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じつは この里弄は奥深く複雑にいり込み、身を隠すのに最適でした
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『 租界の越界築路地区と中国側の華界との境界あたりに位置し双方の
管理の手薄になる地域でもあった 』 歴史ガイドブックより引用
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奥にある住宅 二階にあがり 奥のドアを開けると 
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また階段があり屋根裏へ抜けられます。
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もし、踏み込まれた時  屋根伝いで外界へ逃げられます。
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私は隣の大興坊へ出ました。迷路の如く里弄は繋がっているのです。
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迫害に怯えながらも夢を語り合い 魯迅は約二年半ここで暮らしました。
この唯一残る 歴史を物語る建造物は今後どうなるのでしょう・・
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地下鉄三号明珠線の高架が見える ゆけば宝山路 曲がれば東宝興路
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第一次上海事変 1932年(昭和7年)1月28日勃発
東宝興路敵前50メートルの位置にて陣をひく日本海軍陸戦隊
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東横浜路にて解体作業中に 偶然、醤の文字が見つかった建物
長い年月改装はされているが面影が残る この前が陣地だったのか
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東宝興路駅 この線路 このクリーク この橋へ 戦火は広がりました。
奇しくも 今日1月18日は第一次上海事変のきっかけとなった
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・・・上海日本人僧侶襲撃事件から 85年目です。

いってきまーす! 一足 早いんですが春節のお休みに入ります。
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美味しい栗は好好栗子だね! 〜おじさん行って来ます!
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元気に戻って来いよ! ありがとう では旧正月明けまたね!新年快楽!

2017-01-15

謎があるから魔都である

虹口SOHO・2015年 虹口救火会・1915年 百年の時を越え 
租界と今を繋ぐ、 武進路(老靶子路)呉淞路の交差点 
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上海中部日本人学校 第四日本国民学校 1929年4月創立
拡張される人民病院の一部となるための工事がすすんでいます。
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外枠 基礎は当時のものを活用した(2015年12月、工事現場から撮影)
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四階建てだった校舎の面影が いまも残っています。
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クリークにかかる橋の手前から、流れに沿って建つのは第四国民学校
・・クリークの岸を目で追った 校舎の窓ガラスが見えた(林京子 上海より)
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戦後は虹口中学となり 地元の人の母校でもありました。
対岸からクリークに架かる橋を渡り通学した 思い出のみち
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SOHOを背に ぽつん建つのは旧・大和ホテル 1928年築
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台所部分だけが改装され、簡易寝泊りできるようになっていました。
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時を刻んでも 現役で活躍しています。
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SOHOができ消滅した海南路・・ ですが看板があり 
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ただひとつ この建物だけが 海南路の住所でした。
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じつは散策中に偶然会った日本人から ここは大和ホテルの一部で
情報機関だったとスクリーンばりの歴史秘話を話されていました。
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三角屋根が似てはいますが、それが事実なのか知る由もありません。
謎だけど・・ふたつの建物が未来へ繋がるといいなと思いました。
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謎があるから魔都である。そうか!だから魅力的なんだ!・・・感謝老師!

2017-01-11

再見マグノリア・テラス 

中共記念館に掲げ歴史認定されていた 麦拿里マグノリア・テレス41号室へ
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番号プレートは外されチョークで33,34と書いてある この奥だ・・
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創造出版部 1928年から、左翼文化運動の中心だったが翌年には
国民政権によって閉鎖された。まだ案内板はありました。
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旧址登録されていましたが建物ごと 撤去されるのだろうか・・
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大阪朝日新聞社の特派員 尾崎秀実と並ぶのは(魯迅博物館の展示より)
ジャーナリストの山上正義。柿木原豊子、トシ子母娘の開く美容院の2階に
住んでいた、その31号に奇しくも撤去工事のパネルがかかっていました
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NHkbs世界ふれあい街歩き・上海四川北路 辿った師匠の記事より
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18号の階段 ・・これが ほんとうに最後の一枚です・・
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悠々たる歴史を刻んだ麦豊里 さよならマグノリア・テラス
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在りし日の勇姿 私の思い出の場所でもありました。 
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ありがとうございました。再見マグノリア・テラス 

  ※ 麦拿里は危険なため立入り禁止です。