秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

祝200回目 大好き楊樹浦

秘境 上海情報は今回で200回目を迎えることができました!
いつも応援してくださるみなさんに心から感謝申し上げます。

今回はプラタナスの並木が美しい 地下鉄十二号線の隆昌路から
租界の雰囲気が色濃く残る 私の大好きな楊樹浦 笑顔のお届けです。

楊樹浦一帯は 日系の紡績関係の社宅が数多く現存します。

明治の末から終戦まで中国に進出した日本の紡績工場を在華紡とよび
大いに繁栄しました。緑豊かな広大な敷地にその社宅が残っています。

優美な姿で頑丈な造り 今住んでいる人も穏やかで優しい人ばかり

楊樹浦は従来 産業工業地帯 住民の多くが 工場で働いていた人と
その家族でした。現在も いわゆる社宅になっていたんですね。

おばあちゃんは激動を生き抜いた96才 お元気で矍鑠としています。
帰る時に優しく手を振ってくださり 感動しました。

隆昌路を もう少し歩くと梅州路へ 

住む昔ながらの下町の雰囲気です。面白熊の乗り物に出会いました。

ここにも面白乗り物が 女の子楽しそうだなぁ〜笑顔が非常可愛!

カメラを向けると 

みんなが笑ってくれる 明るく楽しい フレンドリーな場所なのです。

一本道を反れます。ここは杭州路 同じく庶民のまちです。 
向こうに見えるは 黄浦江にかかる楊浦大橋 共同租界の東端部

上海語でやんじっぽ 当時の日本人も親しみ込め そう呼んでいました

みちを渡ると また歴史建造物が 1931年築 聖心教堂 杭州路349号

中華系の社宅が並んでいたのは眉州路 ここから楊樹浦路へ

楊樹浦港から 租界部隊巡捕房址 1920年築租界救火会(消防隊)が

そして この先を行くと急ピッチで開発が進む 新生楊樹浦がみえます

虐げられていた歴史を忘れない 苦力と共に生まれ変わってゆく

キューポラのあるまち 楊樹浦を支えた工場 造船所は

すべて閉鎖され オブジェと化し

老船排広場として 展示されました。

19世紀以来 血と汗の労働で 産業をささえ続けた

平等という名の船出

・・私が大好きな楊樹浦はどう変わっていくのだろう

  ※申し訳ありません、コメントは最終日記にて