ekureshiaの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

人気blogランキングへ 『 命の時計が止まる前に 』
 

2018-04-22 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人への手紙第一7章1節〜22節(心の洗濯機)

さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。

しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。

夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。妻は自分

からだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分からだについての権

利を持ってはおらず、それは妻のものです。互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに

専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいませ

ん。あなたがたが自制力を欠くときサタンの誘惑にかからないためです。以上、私の言うところは

容認であって、命令ではありません。私の願うところは、すべての人が私のようであることです。

しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があ

ます。次に、結婚していない男とやもめの女に言いますが、私のようにしていられるなら、それが

よいのです。しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚

るほうがよいからです。次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻

は夫と別れてはいけません。――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解する

か、どちらかにしなさい。――また夫は妻を離別してはいけません。次に、そのほかの人々に言いま

すが、これを言うのは主ではなく、私です。信者男子信者でない妻があり、その妻がいっしょに

いることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がい

っしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻に

よってきよめられており、また、信者でない妻も信者の夫によってきよめられているからです。そう

でなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現にきよいのです。しかし、

もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信

である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを

召されたのです。なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、

夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。ただ、おのおのが、主からいただい

た分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての

教会で、このように指導しています。召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはい

けません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。割礼は

取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。おのおの

自分が召されたとき状態にとどまっていなさい。奴隷状態で召されたのなら、それを気にしては

いけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召

された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷

からです。


***コリントの人々から手紙を見てパウロが返信している手紙の内容ですが、心にはさまざまな

   汚れ、こだわりがあり、それを綺麗にするには、効果のある洗剤となるような適切なことばが

   必要で、汚れがひどいほど、強く回す、何かいも洗う必要があります

2018-04-15 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリントへの第一手紙6章1節〜20節(この世の惑わし)


あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない

人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知ら

ないのですか。世界あなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさ

ばく力がないのですか。私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それなら

この世のことは、言うまでもないではありませんか。それなのに、この世のことで争いが起こると、教会

うちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っている

のです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとり

もいないのですか。それで、兄弟兄弟告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。そもそも、互

いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。な

ぜ、むしろだまされていないのですか。ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取

る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。あなたがたは、正しくない者は神の国相続

きないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像礼拝する者、姦淫をする

者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国

相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエ

ス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、きよい者とされ、義と認められた

のです。すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私には

すべてのことが許されていますしかし、私はどんなことにも支配されはしません。食物は腹のためにあり

、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされますからだは不品行のためにある

のではなく、主のためであり、主はからだのためです。神は主をよみがえらせましたが、その御力によって

私たちをもよみがえらせてくださいますあなたがたのからだはキリストからだの一部であることを、知

らないのですか。キリストからだを取って遊女からだとするのですか。そんなことは絶対に許されませ

ん。遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言

われているからです。しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。不品行を避けなさい。人が犯す罪はす

べて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分からだに対して罪を犯すのです。あな

たがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自

自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。です

から自分からだをもって、神の栄光を現わしなさい。


***この世は光と闇の戦いですが、闇が光のごとく私たちの心を惑わすことがあるので、惑わされない

   ようにしないといけません。あたかも光であるかのように近づき、みことばをもって惑わすので、

   しっかりと心を守り、さらに主と交わり、祈っていきましょう。

2018-04-08 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人の第一手紙5章1節〜13節(心のタンス)

あなたがたの間に不品行があるということが言われていますしかもそれは、異邦人の中にもないほどの

不品行で、父の妻を妻にしている者がいるとのことです。それなのに、あなたがたは誇り高ぶってます

。そればかりか、そのような行ないをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともな

かったのです。私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じよう

に、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。あなたがたが集まったと

きに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能をもって、このような者をサタンに引き渡

したのです。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。

あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体を

ふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除き

なさい。あなたがたはパン種のないものからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられた

からです。ですから私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正パン種を用いたりしないで、パン

種のはいらない、純粋真実パンで、祭りをしようではありませんか。私は前にあなたがたに送った手

紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪

する者、偶像礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、こ

世界から出て行かなければならないでしょう。私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ば

れる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者が

いたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです

。外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人た

ちではありませんか。外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除き

なさい。


***心の中のタンスを整理、整頓して、着飾るいらない洋服は捨てて、必要洋服だけをしまっておき

   ましょう。そうすれば必要でない人と付き合うことをしなくてよくなります。逆にそのような人たち

   に祈りが届くようになってきます。心の中のともしびを消さないように日々祈りを捧げていきましょう。

2018-04-01 礼拝

コリント人への第一手紙4章1節〜21節(導き)

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい管理者には、

忠実であることが要求されますしかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決

を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは

少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから

あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた

事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さ

て、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなた

たが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反

対して高慢にならないためです。いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もら

ったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなた

がたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、

あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王

になれたでしょうに。私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして

引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちキリスト

ために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あ

なたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく

虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるとき

も祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの

世のちり、あらゆるもののかすです。私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子

もとして、さとすためです。たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずが

ありません。この私が福音によって、キリストイエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあな

たがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。そのために、私はあなたがたのところへテモテを送り

ました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、

キリストイエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。私があなたがたのところへ行

くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいますしかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのと

ころへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。神の国はこと

ばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きま

しょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

***今日復活祭の日です。テーマは導きです。イエス様パウロを通して回りの人々を導きました。祈りながら

   ことばも導かれながら、すべてを委ねて神に従う姿を、尊び、パウロに習う者となっていきましょう。

07:21 を含むブックマーク

コリント人への第一手紙4章1節〜21節(導き)

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい管理者には、

忠実であることが要求されますしかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決

を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは

少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから

あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた

事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さ

て、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなた

たが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反

対して高慢にならないためです。いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もら

ったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなた

がたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、

あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王

になれたでしょうに。私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして

引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちキリスト

ために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あ

なたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく

虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるとき

も祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの

世のちり、あらゆるもののかすです。私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子

もとして、さとすためです。たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずが

ありません。この私が福音によって、キリストイエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあな

たがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。そのために、私はあなたがたのところへテモテを送り

ました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、

キリストイエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。私があなたがたのところへ行

くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいますしかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのと

ころへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。神の国はこと

ばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きま

しょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

***今日復活祭の日です。テーマは導きです。イエス様パウロを通して回りの人々を導きました。祈りながら

   ことばも導かれながら、すべてを委ねて神に従う姿を、尊び、パウロに習う者となっていきましょう。

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コリント人への第一手紙4章1節〜21節(導き)

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい管理者には、

忠実であることが要求されますしかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決

を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは

少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから

あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた

事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さ

て、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなた

たが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反

対して高慢にならないためです。いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もら

ったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなた

がたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、

あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王

になれたでしょうに。私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして

引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちキリスト

ために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あ

なたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく

虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるとき

も祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの

世のちり、あらゆるもののかすです。私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子

もとして、さとすためです。たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずが

ありません。この私が福音によって、キリストイエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあな

たがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。そのために、私はあなたがたのところへテモテを送り

ました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、

キリストイエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。私があなたがたのところへ行

くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいますしかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのと

ころへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。神の国はこと

ばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きま

しょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

***今日復活祭の日です。テーマは導きです。イエス様パウロを通して回りの人々を導きました。祈りながら

   ことばも導かれながら、すべてを委ねて神に従う姿を、尊び、パウロに習う者となっていきましょう。

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コリント人への第一手紙4章1節〜21節(導き)

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい管理者には、

忠実であることが要求されますしかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決

を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは

少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから

あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた

事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。さ

て、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなた

たが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反

対して高慢にならないためです。いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もら

ったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。あなた

がたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、

あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王

になれたでしょうに。私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして

引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。私たちキリスト

ために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あ

なたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく

虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるとき

も祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの

世のちり、あらゆるもののかすです。私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子

もとして、さとすためです。たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずが

ありません。この私が福音によって、キリストイエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあな

たがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。そのために、私はあなたがたのところへテモテを送り

ました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、

キリストイエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。私があなたがたのところへ行

くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいますしかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのと

ころへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。神の国はこと

ばにはなく、力にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きま

しょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

***今日復活祭の日です。テーマは導きです。イエス様パウロを通して回りの人々を導きました。祈りながら

   ことばも導かれながら、すべてを委ねて神に従う姿を、尊び、パウロに習う者となっていきましょう。

2018-03-25 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人への手紙第一3章1節〜23節(水の流れ)


さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができない

で、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅

い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、

あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませ

んか。ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうこ

とでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう

あなたがたが信仰はいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのこと

をしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせ

なのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注

ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身報酬を受けるのです。私たちは神の協

力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のよう

に、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てていますしかし、どのように建てるかに

ついてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほか

に、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこ

の土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日が

それを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真

価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた

建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。あな

たがたは神の神殿であり、神の御霊あなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれ

かが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものからです。あなたがた

がその神殿です。だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思

う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだ

からです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」また、次のようにも

書いてあります。「主は、知者の論議無益だと知っておられる。」ですから、だれも人間を誇ってはい

けません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であ

れ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです

。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。


***水が流れるごとく、流れに添って生きることを、神様は望んでおられます。心の中の水も、こだわり

   や、妬み、怒りがあると、スム〜ズに流れません。心の中の水をきれい掃除しておきましょう。