ekureshiaの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

人気blogランキングへ 『 命の時計が止まる前に 』
 

2018-08-19 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人への第二の手紙1章1節〜12節(耐え抜く力)

神のみこころによるキリストイエス使徒パウロ、および兄弟モテからコリントにある神の教会

、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵み

と平安があなたがたの上にありますように。私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべ

ての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくだ

さいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる

人をも慰めることができるのです。それは、私たちキリストの苦難があふれているように、慰めもま

キリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰め

と救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、

私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。私たちあなたがたに

ついて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにし

ているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。兄弟たちよ。私たち

アジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられない

ほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。こ

れは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。と

ころが神は、これほどの大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出

してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。あ

なたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りによ

私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。私たちがこの

世の中で、特にあなたがたに対して、きよさと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、

神の恵みによって行動していることは、私たち良心のあかしするところであって、これこそ私たち

誇りです。


***神様私たちをどんなことにも耐え抜く力を与えるために、試練という教材を用意し、私たち

   魂を清めてくださっているのです。人間的な知恵に頼らず、神様の恵みによって行動していきま

   しょう。

2018-08-12 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント手の第一手紙16章1節〜24節(心を磨く)

さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命

ます。私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、い

つも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。私がそちらに行ったと

き、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金エルサレムに届けさ

せましょう。しかし、もし私も行くほうがよければ、彼らは、私といっしょに行くことになるでしょ

う。私は、マケドニヤを通って後、あなたがたのところへ行きます。マケドニヤを通るつもりでいま

から。そして、たぶんあなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれませ

ん。それは、どこに行くとしても、あなたがたに送っていただこうと思うからです。私は、いま旅の

途中に、あなたがたの顔を見たいと思っているのではありません。主がお許しになるなら、あなた

たのところにしばらく滞在したいと願っていますしかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりで

す。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。テ

モテがそちらへ行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるよう心を配ってください。彼も、

私と同じように、主のみわざに励んでいるからです。だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安の

うちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちとともに来るのを待ち望ん

でいます兄弟アポロのことですが、兄弟たちといっしょにあなたがたのところへ行くように、私は

強く彼に勧めました。しかし、彼は今、そちらへ行こうとは全然思っていません。しかし、機会があ

れば行くでしょう。目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。い

っさいのことを愛をもって行ないなさい。兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ス

テパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。あなたがた

は、このような人たちに、また、ともに働き、労しているすべての人たちに服従しなさい。ステパナ

ポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。なぜなら、彼らは、あなたがたの足りない

分を補ってくれたからです。彼らは、私の心をも、あなたがたの心をも安心させてくれました。この

ような人々の労をねぎらいなさい。アジヤの諸教会がよろしくと言っていますアクラプリスカ

また彼らの家の教会が主にあって心からあなたがたによろしくと言っています。すべての兄弟たち

が、あなたがたによろしくと言っています。きよい口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい

パウロが、自分の手であいさつを書きます。主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来て

ください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛は、キリストイエス

あって、あなたがたすべての者とともにありますアーメン


***パウロはさまざまな地域を回り、福音を語りました。そんな中で助けてくれる人たちもあれば、

   反対者も大勢いて、思いどうりにならないこともしばしばあって、そんな中で、パウロ自身

   心も磨かれ、そのパウロ言葉によって回りの人たちの心も磨かれていったのです。

2018-08-05 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人への第一手紙15章38節〜58節(信仰勝利者)

しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります

。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。また、天

上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽

栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。死者の復活もこれ

と同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによ

みがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するから

によみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから御霊からだもあるのです。聖書に「最初の人

アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後アダムは、生かす御霊となりました。最初にあっ

たのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から

て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似

ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者のかたちを持って

いたように、天上のかたちをも持つのです。兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神

の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないもの相続できません。聞きなさい。私はあなたがたに奥義

を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに

、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるの

です。朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないか

らです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」と

しるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはど

こにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主

イエス・キリストによって、私たち勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く

立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむ

だでないことを知っているのですから


***この世の中での勝利というのは、敵がいて、戦って相手を倒したとき、また競争の中で一番になったとき

   そのような意味でとらえるでしょうが信仰勝利者とは、まったく違って、人を自分より尊い者として

   接する、一歩下がる勇気、全体の雰囲気をとらえ、最前の動きを最優先する、といった、神様が喜ぶ行動

   が出来る人は信仰勝利者となるのです。

2018-07-29 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリントへの第一手紙15章19節〜37節(死者の復活)

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来た

ように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト

によってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリスト

の再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのときキリストはあらゆる支配と、あらゆる権威

権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになりますキリスト支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められている

からです。最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた。」からです。ところで、万物が従わせられ

た、と言うとき万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。しかし、万物が御子に従うとき、御子自

身も、ご自分万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。もしこうでなかっ

たら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、

なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。また、なぜ私たちもいつも危険さらされているのでしょうか

兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリストイエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにか

けて、誓って言えることです。もし、私が人間的な動機からエペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者

の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」ということになるのです。思い違いをしてはい

けません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての

正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。ところが、ある人

はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」愚かな人だ。あなたの蒔く

物は、死ななければ、生かされません。あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。


***死者の復活に対してさまざまな意見の違いがあったようですが、どのような場合も、どんな出来事も、光と闇の戦いの

   

   繰り返しです。正しい知識を持っていない人は闇の力によって惑わされ、知らずにやみの勢力の中で奴隷となっていく

   のです。しっかりと正しい知識を常に吸収していきましょう。

2018-07-22 礼拝 このエントリーを含むブックマーク

コリント人への手紙15章1節〜18節(心の中の闇)

兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えもので、あなたがたが

受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら

、私の宣べ伝えたこ福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに

最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、

私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケ

パに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました

。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストヤコブ

現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてく

ださいました。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会

迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、

むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵み

です。そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなた

がたはこのように信じたのです。ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どう

して、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。もし、死者の復活がないのなら、キリ

ストも復活されなかったでしょう。そして、キリストが復活されなかったのなら、私たち宣教は実質のないものにな

り、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証をした者ということに

なります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、

私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。もし、死者がよみがえらないのな

ら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰

はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、

滅んでしまったのです。


***心の中に闇があるとき聖書を正しく理解出来なくて、自分の都合のいい解釈をしてしまいます。心のB中の闇に

   光を当てて、心の中をいつもきれいな状態にしておきましょう。聖書の言葉はなくてはならない魔法の薬のような

   もの、求める時に光となり、闇をも溶かすのです。