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2011-06-01

大乗離文字普光明蔵経

『大乗離文字普光明蔵経』


 大唐天竺三蔵地婆訶羅訳す


 是(かく)の如く我れ聞けり。一時仏王舍城耆闍崛山の中に在(ましまし)て、大菩薩無量百千億那由他数と与(とも)なりき。皆是(こ)れ大智にして、善巧に精進し、無言法を証し、妙弁才を獲、是処非処相違反せず。善く身心を調(ととの)へ、諸の解脱を具し、常に三昧に遊びて大悲を捨てず。慚愧を身と為し、智慧を首と為し、饒益する所多く、大宝洲の如く、諸法の善不善の相を了知し、文字に著せず、而も言説有り。真俗門において洞達して礙無く、深く実際を明らかにして、其(そ)の中に住せず。善能(よく)分別して、而も所受無く、生死を厭ふといえども、常に世間を護り、十方に周遍して大名称有り。真妙蔵において寂然として宴息し、現に身を受くといえども、永く三界を出で、而も諸有に行じて勉めて衆生を済ふ。平等に教誨して志常に賢善、平等に憐愍して心に染著無く、能く自他をして清浄ならざるなからしむ。是(かく)の如きの無量の功徳を成就せり。其(そ)の名を勝思惟菩薩・法震音菩薩・妙身菩薩・法輞菩薩・弁積菩薩・持地菩薩・持世菩薩・大名称菩薩・具諸弁菩薩・千容相菩薩功徳菩薩・蓮華眼菩薩・蓮華面菩薩・珠髻菩薩・妙音菩薩と曰(い)ひき。是(かく)の如き等の菩薩摩訶薩、皆童子の如く、色相端厳にして、此の衆中においてしかも上首なりき。

 爾時(そのとき)観自在菩薩恒河沙等の尊位を紹(つ)ぐ者なる諸の菩薩と倶(とも)なりき。殊勝見菩薩、無央数の天帝釈と倶なりき。虚空蔵菩薩、無量の菩薩及び無量の四天王衆と倶なりき。大勢至菩薩、無量億の梵天衆と倶なりき。遍吉祥菩薩、無量の婇女と倶なりき。普賢菩薩・不空見菩薩・星宿王菩薩・離疑菩薩・息諸蓋菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩、各無量の菩薩衆と倶なりき。其(そ)の中にまた無量の諸仏あり。自からその身を変じて菩薩の像となる。尊者舍利弗・摩訶目乾連・摩訶迦葉、かくの如き等の大阿羅漢、各無量の声聞衆と倶なりき。那羅延等の無量の天衆、乃至恒沙の国土、日月諸天、威光照耀して悉く仏所に来る。仏所に至り已(おわ)るに、彼の天の威光復(また)現ずる能はず。猶し、聚墨の閻浮金に対するが如し。婆楼那龍王・徳叉迦龍王・阿那婆達多龍王・美音乾闥婆王・無擾濁迦楼羅王、各無量の諸眷属と倶に此の会に来入しき。十方世界の恒河沙の如き所有(あらゆる)菩薩、咸(みな)本土において如来を啓請し、諸の四衆と同時に此に到る。各種種世間を出過する殊好の供養を持して、仏諸菩薩に奉上し已(おわ)りて、即ち会中において蓮華座に坐す。

爾時(そのとき)、勝思惟菩薩摩訶薩、座より起ち、偏へに右の肩を袒(はだぬ)ぎ、右膝を地に著け、合掌を仏に向けて是の言を作さく、「世尊、我れ今、二字の義を請はんと欲す。惟(やや)願はくは如来哀を垂れて許されよ。」

 仏勝思惟菩薩に告げて言く、「善男子、問ふこと有らんと欲すれば、汝の意に随って問へ。如来は一衆生の為の故に世間に出現せず。無量の衆生を利益せんと欲する為に、しかも出現するのみ。」是において勝思惟菩薩、即ち仏に白して言く。「世尊、何者の一法をか是れ諸の菩薩まさに永離すべき。何者の一法をか是れ諸の菩薩まさに常に護持すべき。何者の一法か是れ諸の如来現に覚了する所なる。」仏の言く、「善き哉、善き哉、善男子、汝、如来威神の力を以て、乃ち能く我れに是くの如き深義を問へり。諦らかに聴き、諦らかに聴け。善く之を思念せよ。まさに汝のために説くべし。

 「善男子、一種法有り。菩薩まさに離るべし。所謂(いわゆる)、欲貪。善男子、是の如きの一法、是れ諸の菩薩のまさに永離すべき所。善男子、復(また)一法有り、菩薩まさに離るべし。所謂、瞋怒。是の如きの一法、是れ諸の菩薩まさに永離すべき所。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、愚癡。是の如きの一法、是れ諸の菩薩まさに永離すべき所。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、我取。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、疑惑。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、憍慢。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、懈怠。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、惛眠。善男子、復一法有り。菩薩まさに離るべし。所謂、愛著。善男子、是の如きの一法、是れ諸の菩薩のまさに永く離るべき所なり。

 「善男子、汝復(また)我に問へり。何者の一法をか是れ諸の菩薩まさに常に護持すべきと。善男子、諸の菩薩と謂(い)ふは己れが所安を非として、物を加えず。若(も)し諸の菩薩此(こ)の法を守護せば、即ち是れ能く諸仏如来の一切の禁戒を持す。何を以ての故に。自から身命を愛してまさに殺生すべからず。自から資財を重んじてまさに偸盜すべからず。自から妻室を護りてまさに他を侵すべからず。是の如き等の行、皆一法と名づく。善男子、若し如来の語を敬順する有らば、此の一法において常にまさに憶念すべし。何を以ての故に。衆生の苦を愛楽する有ること無し。凡(およ)そ作す所あらば、悉く安楽を求む。乃至菩薩阿耨多羅三藐三菩提を求むるも、また自他皆楽を得んがための故なり。善男子、是の如きの義を以て我れ此の言を説く。己れが所安を非として、物を加へずと。是の如きの一法是れ諸の菩薩のまさに常に護持すべし。

 「善男子、汝の所問の如き、何者の一法か是れ諸の如来の現に覚了する所なる。善男子、少法も是れ如来の覚あること無し。何を以ての故に。如来の覚は覚する所無きが故に。善男子、一切法無生は是れ如来の覚、一切法無滅は是れ如来の覚、一切法二辺を離るるは是れ如来の覚、一切法不実は是れ如来の覚、善男子、諸業の自性は是れ如来の覚、一切法因縁より生ずるは是れ如来の覚、因縁の法猶し電光の如しとは是れ如来の覚、因縁を以ての故に而も諸業ありとは是れ如来の覚、善男子、一切法性普光明蔵は是れ如来の覚なり。善男子、何が故に法性を普光明蔵と名づくる。善男子、世出世の智はこれに依りて以て生ず。母の子を懐くが如し。故に名づけて蔵と為す。若し智生ずる時、反(かえ)つてその本を照す。是くの如き法性は般若波羅蜜の摂蔵する所となる。是の故に名けて普光明蔵と為す。善男子、一切法は幻の如く、焔の如しとは是れ如来の覚。善男子、諸法実性一味解脱は是れ如来の覚。一味解脱は是れ即ち名づけて普光明蔵と為す。善男子、一相法は是れ如来の覚。云何が一相なる。所謂、諸法は不来・不去・非因・非縁・不生・不滅・無取・無捨・不増・不減なり。善男子、諸法の自性本と所有無し。喩(たとへ)と為すべからず。是れ文詞の弁説する所に非ず。是の如きの一法は是れ諸の如来の現に覚了する所なり。」仏の此の荘厳王離文字普光明蔵法門を説きたまふの時に当り、十地の菩薩所見の微塵数の衆生有り。悉く阿耨多羅三藐三菩提の心を発(おこ)しき。復(また)是の如き微塵数の衆生有り。皆声聞辟支仏の心を発しき。復是の如き微塵数の衆生有り。地獄に在る者、皆苦を離れて人天中に生ずるを得たり。無量の菩薩、初地に入るを得、無量の菩薩百千の三昧を得。無量の衆生、悉く利益を蒙り、空しく過ぐる者無し。

 爾時、仏羅睺羅に告げて言く、「善男子、我が此の法要を汝まさに受持すべし。」是の語を説きたまふ時、会中に九十億の菩薩摩訶薩有り。仏の威神を承けて、即ち皆座を避け、仏に白して言く、「世尊、我等も誓つてまさに如来所説の法要を受持すべし。此の娑婆国土において、最後の時の中に、其の人有るを見ては流通して為に説かむ。」

 爾時(そのとき)、四天王仏に白して言く、「世尊、若し能く此の経典を持する有らば、我れまさに擁護すべし。其の志願をして皆満足することを得しめむ。所以は何(いかん)。能く此の経を持するは是れ法器なるが故に。」爾時に世尊、普ねく衆会を観じて是の言を作さく、「諸仁者、我が此の所説の甚深方広希有の法門、諸の衆生の少善根有りて而も能く聴受するに非ず。能く聴受する者は即ち我に承事し供養すると為す。また無上菩提を荷擔すと為す。是の人まさに弁才無礙なるを得べく、決定して清浄仏土に生ぜむ。是の人臨終に定んで親しく阿弥陀仏菩薩大衆と而も現じて前に在るを見るを得む。我れ今此の耆闍崛山に在りて、諸の菩薩の衆に共に囲繞せらる。彼れ臨終の時、また是の如く見む。まさに知るべし是の人即ち已に無尽の法蔵を得と為す。まさに知るべし是の人宿命智を得む。まさに知るべし是の人悪道に堕せず。善男子、我れ今此の一切世間難信の法を説く。設(も)し衆生有りて五逆罪を作らむ。是の経を聞きて已りて、書し、持し、読誦し、人の為に解説せむ。所有(あらゆる)業障咸(みな)消除するを得む。終に悪趣の苦を受けず。斯の人即ち諸仏菩薩の護念する所と為らむ。在在所生、諸根具足し、仏の灌頂を蒙り、五眼清浄ならむ。善男子、要を取りて之を言はば、我れ是の人を已に仏道を成ぜりと見む。」

 仏、此の経を説き已りたまふに、勝思惟等の一切の菩薩、及び諸の声聞、天龍八部、皆大に歓喜して信受奉行せりき。




(『大乗離文字普光明蔵経』 現代語私訳)

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110602/1306986870

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