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2011-06-10

仏説文殊師利般涅槃経

「仏説文殊師利般涅槃経


西晋の居士、聶道真 訳す


かくの如く我れ聞けり。一時、仏舍衛国の祇樹給孤独園に在(ましまし)き。大比丘僧八千人と倶なり。長老舍利弗、大目連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延は、かくの如き等の衆の上首たる者なり。復(また)菩薩摩訶薩十六人等有り。賢劫の千の菩薩は弥勒を上首と為(せ)り。復(また)他方の菩薩千二百人有って観世音菩薩を而(も)って上首と為(せ)り。爾時(そのとき)世尊、後夜分において三昧に入れり。その三昧を一切光と名づく。三昧に入り已って挙身より皆な金色の光明を放つ。その光、大いに盛んに照らして祇陀林は猶お金色のごとし。迴旋宛転して文殊の房を照らし、化して七重の金台と為す。一一の台上に五百の化仏有りて台の中を経行せり。時に文殊師利の房の前に自然に五百の七宝の蓮華化生せり。円きこと車輪のごとく、白銀もて莖と為し、阿茂咤と馬瑙を以てその台と為し、雑色の真珠を以て花鬚と為り。その花に光有って仏の精舍を照らし、精舍より出でて還って文殊師利の房に入れり。爾時(そのとき)会の中に菩薩摩訶薩有り、跋陀波羅と名づく。この瑞の現れし時、跋陀波羅は即ち房より出でて仏の精舍を礼し、阿難の房に到り、阿難に告げて言(いわ)く、

「汝まさに時を知るべし。今夜世尊は神通の相を現し、衆生を饒益したまわんが為の故に妙法を説かん。汝、椎を鳴らせよ。」と。

爾時(そのとき)、阿難白して言さく、

「大士よ。世尊は今や深く禅定に入りたまえり。未だ勅旨を被らず、云何(いか)んが衆を集めん。」と。

この語を作(な)せる時、舍利弗、阿難の所に至って告げて言わく、

「法弟よ。宜しく時に衆を集めよ。」と。

爾時(そのとき)、阿難は仏の精舍に入り、仏のために礼を作(な)し、未だ頭を挙げざるの頃に、空中に声有あり、阿難に告げて言く、

「速やかに衆僧を集めよ。」と。

阿難は聞き已って即ち大いに歓喜し、椎を鳴らし衆を集む。かくの如き音声は舍衛国に遍じ、上は有頂に聞えたり。釈・梵・護世天王と無数の天子と、天の花香を将(も)って祇陀林に詣れり。爾時(そのとき)世尊は三昧より起って、即便(すなわ)ち微笑せらる。五色の光有って仏の口より出ず。この光の出でし時、祇洹精舍は変じて琉璃と成れり。爾時(そのとき)、文殊師利法王子は仏の精舍に入り、仏の為に礼を作(な)せり。一一の膝の上に五の蓮華を生ぜり。文殊、仏前にして指掌を合わせし時、手の十指の端、及び手掌の文より、十千の金色の蓮花を出だし、以って仏の上に散ぜり。化して七宝の大蓋と成り、諸(もろもろ)の幢幡を懸けたり。十方無量の諸仏・菩薩は蓋の中に映現せり。仏を繞ること三匝し、却って一面に住しぬ。

爾時(そのとき)、跋陀波羅は、即ち座より起って衣服を整え、仏の為に礼を作(な)し、長跪合掌し仏に白して言さく、

「世尊よ、この文殊師利法王子は、已曾(むかし)より百千の諸仏に親近し、この娑婆世界に在(いま)して仏事を施作し、十方面において変現自在なり。却後(これより)久遠にしてまさに般涅槃したもうべし。」と。

仏、跋陀波羅に告ぐ、

「この文殊師利は大慈悲有り、この国の多羅聚落なる梵徳婆羅門の家に生まる。その生るるの時、家内屋宅は化して蓮華の如し。母の右脇より出(う)まれ、身は紫金の色なり。地に堕して能く語(ものい)うこと天童子の如し。七宝の蓋有ってその上を随覆す。諸(もろもろ)の仙人のもとに詣でて出家法を求む。諸の婆羅門九十五種の諸の論議師は能く酬対すること無かりき。唯(ただ)我が所において出家学道し、首楞厳三昧に住せり。この三昧力を以ての故に、十方面において、或いは初めて生れて出家し、滅度し般涅槃に入ると現ず。舍利を分かち衆生を饒益しと現ず。かくの如く大士は久しく首楞厳に住したまえり。仏の涅槃の後、四百五十歳にして、まさに雪山に至り、五百の仙人の為に十二部経を宣暢敷演して、五百の仙人を教化し成熟して、不退転を得しむべし。諸(もろもろ)の神仙と比丘の像を作り、空中に飛騰して本の生地に至り、空野沢の尼拘樓陀樹の下において結加趺坐し、首楞厳三昧に入れり。三昧の力の故に身の諸の毛孔より金色の光を出だせり。その光は遍ねく十方世界を照らし有縁の者を度せり。五百の仙人は、各(おのおの)皆な光の身の毛孔より出づるを見る。この時、文殊師利は身、紫金山の如くにして、正長丈六なり。円光厳顕にして面(むか)うに各(おのおの)一尋なり。円光の内において五百の化仏有り。一一の化仏に五の化菩薩有り、以って侍者と為す。その文殊の冠は毘楞伽宝にて厳飾せらる。五百種の色有り、一一の色の中の、日月星辰・諸天龍宮あり。世間衆生の見ん事を希(ねが)う所なり。皆な中において現ず。眉間の白毫は右旋し宛転して化仏を流出して光網の中に入る。身を挙(おこ)す光明焔焔として相い次ぎ、一一の焔の中に五の摩尼珠有り。一一の摩尼珠には各(おのおの)異光有りて、異色分明なり。その衆色に中の化仏・菩薩は具(つぶ)さに説くべからず。左手に鉢を執り、右手に大乗経典を押覆気機砲音つ。この相を現じ已って光火皆な滅し、琉璃像と化す。左臂の上において十の仏印有り。一一の印の中に十の仏像有り。仏の名字を説きたまうこと了了分明なり。右臂の上において七の仏印有り。一一の印の中に七の仏像有り。七仏の名字は了了分明なり。身の内なる心処に真金の像有り。結加趺坐せり。正長六尺にして蓮華の上に在(いま)す。四方に皆な現じたもう。」と。

仏、跋陀波羅に告ぐ、

「この文殊師利には無量の神通・無量の変現有りて具(つぶさ)に記すべからず。我れ今未来世の盲瞑の衆生の為に略説せん。もし衆生有りて但だ文殊師利の名を聞かば十二億劫の生死の罪を除却せん。若し礼拝供養せん者は。生生の処(ところ)恒に諸仏の家に生じ、文殊師利の威神の為に護られん。この故に衆生はまさに懃(つと)めて繋念して文殊の像を念ぜよ。文殊像法を念ぜよ。先ず琉璃像を念ぜよ。琉璃像を念ずる者は上に説かれたる如く、一一に之を観じて皆な了了たらしめよ。もし未だ見ることを得ずんば、まさに首楞厳を誦持し、文殊師利の名を称えること一日より七日に至れ。文殊必ず来ってその人の所に至らん。もし復(また)人の宿業の障り有らん者は、夢の中に見ることを得ん。夢中に見る者は、現在身においてもし声聞を求めんに、文殊師利を見るを以ての故に、須陀洹乃至阿那含を得ん。もし出家せる人にして文殊師利を見る者は、已に見るを得しが故に、一日一夜に阿羅漢と成らん。もし方等経典を深く信ずること有らば、この法王子は禅定の中において為に深法を説かん。乱心多からん者は、その夢の中において為に実義を説き、それをして堅固ならしめ、無上道において不退転を得せしめん。」と。

仏、跋陀波羅に告ぐ、

「この文殊師利法王子は、もし人有りて念じ、もし供養し福業を修せんと欲せば、即ち自ら化身して、貧窮孤独の苦悩の衆生と作(な)って、行者の前に至らん。もし人有りて文殊師利を念ぜば、常に慈心を行ずべし。慈心を行ずる者は、即ち是れ文殊師利を見るを得たるなり。この故に智者まさに文殊師利の三十二相・八十種好を諦観すべし。この観を作(な)さん者は、首楞厳の力の故に、まさに疾(と)く疾く文殊師利を見ることを得べし。この観を作(な)す者をば名づけて正観と為す。もし他を観ずる者は名けて邪観と為す。仏の滅度の後、一切衆生にしてそれ、文殊師利の名を聞くことを得ること有らん者、形像を見る者は、百千劫の中に悪道に堕せじ。もし文殊師利の名を受持読誦すること有らん者は、設(たと)い重障あらんも、阿鼻の極悪なる猛火に堕せじ。常に他方の清浄の国土に生まれて、仏に値(あ)い法を聞いて無生忍を得ん。」と。

この語を説きし時、五百の比丘は遠塵離垢して阿羅漢と成り、無量の諸天は菩提心を発し、常に文殊師利に随従せんと願えり。爾時(そのとき)跋陀波羅は仏に白して言く、

「世尊よ、これ文殊の舍利なり。誰かまさに上において七宝の塔を起つべきや。」と。

仏、跋陀波羅に告ぐ、

「香山の八大鬼神有り、自らまさに押覆気機砲乙遒辰胴畛鈎罎金剛山の頂上に置くべし。無量の諸天・龍神・夜叉は常に来って供養せん。大衆の集まる時、像は恒に光を放たん。その光は苦・空・無常・無我等の法を演説せん。跋陀波羅よ、この法王子は不壊の身を得たまえり。我れ今汝に語る。汝、好く受持して広く一切の諸(もろもろ)の衆生の為に説け。」と。

この語を説きし時、跋陀波羅等の諸の大菩薩、舍利弗等の諸の大声聞、天龍八部は、仏の説く所を聞いて、皆な大いに歓喜し、仏を礼して去れり。


仏説文殊師利般涅槃経





現代語訳 「文殊菩薩ニルヴァーナ経」

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111130/1322650576

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