現代語私訳『福翁百話』 第九章 「善いことは簡単で悪いことは実行するのが難しい」

現代語私訳『福翁百話』 第九章 「善いことは簡単で悪いことは実行するのが難しい」


世の中の人は、たとえ自分自身は善いことをしていないとしても、他の人からは自分に対して善いことをして欲しいと思うものです。


他人に悪口を言っているのに、自分が他人から悪口を言われたくはありません。
他人を叩きながらも、自分が他人から叩かれるのは嫌なものです。


この、して欲しくなく、嫌なことが、つまり善いことを善いこととし、悪いことを悪いことだと判断する本当の心ですので、もし善いことをしようと思う人は、ただこの人間の感情の自然に向かうところを観察して、この自然な傾向に従うだけで良いのです。


また、この人間の性質の自然な傾向に従うか従わないかは、一見それぞれの人の自由なことのようではあります。
しかし、その人が自分自身のためによく考えるならば、この世界の人間の感情の自然な傾向に従って善いことをすることこそ、自分自身が安心して気楽に生きるための最も良い方法です。
このことは、よくよく理解すべき事柄です。


一般的に、人間の性質は、苦痛や苦労よりも、幸福や気楽なことを好むものです。


では、そうであるならば、世界中の人が嫌がり憎むことを行う人と、世界中の人が好み喜ぶことに従っていく人と、どちらが大変な苦労を伴うものでしょうか。


他の人に対して何かを与えることは簡単なことですが、他の人から何かを奪おうとすることは難しいことです。
ましてや、他の人の家に忍び込んで盗むことはどれだけ大変なことでしょうか。
さらには、他の人を傷つけ殺すことはどれほど大変でしょうか。


本当に大変なことの極みであり、これ以上骨を折って苦労することはないことでしょう。
もし、他人の物を盗み、人を殺すということほどの大きな罪ではなくても、ちょっと人をだましたりちょっと人を悩まし、ちょっとのお金を横領し、一枚の紙をひとりじめすることも、どれもすべて悪いことは苦労の種にならないことはありません。


なぜならば、他人からだまされたり悩まされたり横領されたりひとりじめにされた人は、他の人によって侵害されたわけであり、そうされた人が立派な人がたいしたことがない人かにかかわらず、必ずその心に不愉快な思いを懐き、多かれ少なかれ腹を立てるだけでなく、場合によっては復讐しようと思う人もいることでしょう。


このように、何か悪いことをしてしまった犯罪者の身の上になってしまったら、本当に恐ろしい状態です。
なぜなら、その恐怖や後悔の思いは常にその人の本当の心を悩ますきっかけになるはずだからです。


ですので、人間の世界において、善いことを勧めて悪いことを懲らしめるということは、必ずしも他の人から教えらえる必要はなく、その前に、人間の性質の自然な傾向が、もともと苦しみや苦労を避けて幸福や気楽さを好むという心を、そのまま発達させて、善いことに従うという道があってしかるべきです。


無意味に悪いことをして無意味に苦しんで苦労している人は、道徳が不足しているというよりも、むしろ智恵が不足しており無知であると評価すべきものです。