現代語私訳『福翁百話』 第四十一章 「独立する方法」

現代語私訳『福翁百話』 第四十一章 「独立する方法」



人には、自分を信じ自分を重んじる心(自信自重の心)がなくてはなりません。


自分にはこれぐらいの智恵や道徳が備わっており、世の中に恥じるような非は何もない、だから自分の身は尊いものである、と自分を信じ、自分を重んじるということです。


この心は、独立心が生じる源ですので、あらゆる人間の物事に通底して瞬時も離れるべきではない本当に大切なことです。


ですが、では、独立の心を持っていても、独立するための方法を得ることができていないならば、その心はいつも寂しいもので、人生の苦痛はこれほど大きなものはないという状態になってしまいます。


では、何を独立するための方法と言うのでしょうか?
衣食住の生活手段のことです。


「天のはからいは人を殺さない、正直に努力さえすればこの世の中を生きていくことはそんなに難しくない」とは言いますが、別の側面から言えば、利益を好むのは昔も今も変わらない一般的な人間の感情の傾向です。
一万人の人がいれば一万人の人がちょうど申し合わせをしたように、ほんの少しでも利益がある所に群れ集い、その群衆の中に我先に割り込んで、自分もまたその中で少しでもと利益を求めようとするものです。
このことを名づけて、競争と言います。


本当に殺風景なもので、立派な人格者の心にはあんまり面白くない状況ですが、かといって衣食住の生活費は天から降っても来ないし地面から湧くわけでもなりません。
木や石ではない生きたこの身体を持って家に生活し社会の中で過ごし、他の人の世話にならずに独立という大事なことを達成しようとするには、この競争社会の中でせっせと休みなく苦労して努力しなければなりません。
人生の道のりは困難なものだと言えます。
ですので、私たちの独立心を、ただ心の中だけでなく、現実的に実際的に独立を達成させるものは、形のある物質的な財産や生活手段であり、この財産や生活手段を得るための方法はとても難しいとすれば、この財産や生活手段を得ようとすることに努力すると同時に、消費する方法についてもまた考えるべきです。


ここで、けちと倹約の二つの区別をどうつけるかという問題が生じます。
慈悲の心が乏しく廉恥心を失い、道理をはずれて財産を貪るものを「けち」と言います。
一方、自分や家族の生計を緻密に考え、無用な外面的な虚飾を張らないものを「倹約」と言います。


本当に簡単で明白な区別であり、少しでも立派な人物であろうという心がある人は、けちであろうとしてもできないことですので、人間は独立すべきだという考えを達成しようと思うならば、けちを避けると同時に節倹・倹約を常に心がけるべきです。


家の生計を綿密に計算して、省くべき浪費を省くことは、金銭にけちであることではありません。
独立の根本をしっかりさせるためのものです。


一晩の豪遊に大金を投げ打ち、冠婚葬祭などの儀式に虚飾を張り、それらによって周囲の人々や友人たちの眼や耳を驚かすようなことは、愉快と言えば愉快ですし、家計が許す範囲ではこうした愉快をお金で求めるのも人間の気持ちとしては当然のことなのかもしれません。
しかし、家の本当の生計において不自由があるのに、分不相応なお金をまき散らし、あるいは将来に現実的には希望すべきではない希望を空想して、まだ得ていないお金をすでに得たお金として計算し、一時的な借金と称して他人のお金を借りて、その理由を尋ねると自分や家族の体面を維持するためにやむを得ない費用だと言います。
そのような理由は、全然理由となりません。
私が思うに、体面を維持するとは、外聞を憚るという意味であり、外聞を憚るとは世間に恥とならないようにという意味でしょうが、このように無理な散財をして無理な借金をして周囲の人々や友人たちの耳目を欺きながら、後日に至ってその友人に相談してあわれみを乞い、借金の返済を迫られても申し訳に窮するようなことは、世間における恥の最も大きなものではないでしょうか。


そもそも、大金持ちの人々が大いに散財して直接間接に世の中を潤すことは本当に望ましいことですが、現実には普通の財産の持ち主でありながら、大金持ちに倣いたいと思ってそうなれなかった人が、外聞を憚ると称して、世間の評判がどうかと心配して、分不相応な無理を実行するようなことは、自分を信じ自分を重んじるという最も大切なことを忘れたことであり、世間の評判の奴隷と言うべきです。


勢い良く変化している通俗的で凡庸なこの世界を眺めれば、若い書生たちがとかくお金をみだりに使って人から嫌われたり、あるいは政府の官僚や実業界の中で立派な人物だと呼ばれる人々が、家計がきちんと管理されておらず立ち行かない惨状に陥って、人生において大事な節義を曲げて、思ってもみないことを行ったりして、心中に苦しみを嘆く人も多いものです。
しかし、これは本はと言えば、人生独立の現実的な方法手段をおろそかにし、世間のちっぽけな評判や外聞を恐れて、自分本人の大きな恥を忘れていたがためです。
人生を生きていく上での本当の勇気に乏しい、世間の奴隷と言うべきものです。