東西文明随想

「東西文明随想」



チャイコフスキーのイタリア奇想曲のCDを聞いていて、良い曲だとあらためて、しみじみ思った。
私の人生も、これぐらいの喜びや明るさが、日々にあるといいのだけど。
いや、あると思って、見つけていこう。
ともにこの曲を聴いて感動できる人も。


また、ひさしぶりに「ペール・ギュント」をCDで聴いて、いい曲だと感心した。
ペール・ギュント」は、小学生の時に音楽の授業でも習った。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」もそういえば習った。
あらためて聴いてみると良い曲だと思った。


そんなこんなで、ひさしぶりにクラシックのCDを聞きながら、ふと東西文明の優劣を考えてみた。


べつに西洋と東洋の優劣を決めようとは思わないし、一長一短あるのだろうけれど、こと音楽と科学について言えば、どうも西洋が文明の名にふさわしい気がする。


詩歌や宗教に関しては東洋にもすぐれたものがあるけれど、音楽と科学ばかりは西洋が断然歴史的にはすぐれている気がする。
いつかは東洋が乗り越える時も来るのかもしれないとしても。


音楽と科学とあともうひとつ、西洋が東洋に比べて優れていたと思うのは、政治についての制度や技術だ。
議会政治や民主主義の仕組みをつくりあげ、実際に運用できた点で、西洋は東洋に比べて段違いの成功をおさめてきた。
だが、だいぶ東洋も民主化が進んできたので、そのうち追い抜くかもしれない。


とはいえ、なかなか近代国家としての成熟や民主主義は、東洋が西洋の域に達するのはまだまだ難しい所も多々あるようだ。
いたずらに西洋を理想化するべきではないが、北欧などを見ていると民主主義の質が生活の質に直結していることを感じる。
音楽・科学・政治は、やはり西洋が文明だろう。


だが、福沢諭吉が言っているように、キリスト教はさほど感心する必要はなく、仏教の方が豊かな理にかなった内容だと思われる。
文明には、仏教こそ適合的でふさわしいものだと私は思う。
欧米でも近年は仏教に帰依する人も多く、かえって日本人よりも熱心な人もいると聞くので、洋の東西にこだわらなくてもいいのだけれど。


文学については西洋と東洋の優劣はどうだろう。
かつて魯迅は、中体西用説を明確に批判して、文学においても西洋の優位を主張し、中国の文学は読めば読むほど人生の真実から遠ざかると痛烈に述べた。
たしかに、人生の真実は、西洋の近代小説が深く描いている気もする。
詩歌はともかく、小説は西洋だろうか。
もちろん、西洋近代の影響を受けた、日本その他の近代小説は、非常にすぐれたものも多いだろう。


詩歌の場合は、どうだろう。
原語で読めば、どちらも良いと思うけれど、どうも西洋の詩は日本語に翻訳するとしっくり来ない気がする。
漢詩や和歌は、漢字や日本語で読んでこそだろう。
ただ、なんというか、生き生きとした空気は、日本も西洋文明の影響を受けた明治以降の詩歌にある気もする。


というわけで、福沢諭吉と同様、文明は西洋という気がしないわけでもない。
とはいえ、二十一世紀、二十二世紀となるうちには、東洋がかなり独自のものを新たに発揮できていくかもしれない。
ただし、その場合に大事なことは、夜郎自大にならずきちっと西洋によく学んだうえということなのだろう。


音楽・科学・政治については西洋に学び、文明の魂たる宗教については仏教を学べば、東西の良さを掛け合わせた最高の文明になると思う。
日本は元来それが最もできるポジションにあると思うが、どうも仏教は形骸化し、夜郎自大になって政治についても停滞してしまっているのかもしれない。


音楽を聴きながら、そんなことをあれこれと考えることも、また、東西文明の両方に気軽に接することができる日本人の特権なのかもしれない。

李王朝と今の日本と

韓国の時代劇を見ていると、また韓国の歴史の本をぱらぱら読んでいても思うのだけれど、李王朝はなぜ五百年間も続いたのだろう。


ろくな政治はしていない。
腐敗堕落して停滞している。
政治的には良いことがない気がする。
五百年続いたのはたまたまだったのか。
何か理由があったのか。
本当に不思議だ。


李王朝が五百年続いた理由の仮説を考えてみた。


1、外敵が多く内部が団結したため。
2、儒教によるマインドコントロール
3、明や清の保護を受けて、内部への正当化と外部からの守りができたから。
4、両班の搾取で民が疲弊して抵抗の余力がなかったから。
5、内部でクーデターが時々あってガス抜きができたから。


他にもあるかもしれないし、もっと詳しい方に教えていただきたいところである。


こうした仮説を立ててみて、ふと思った。


儒教をマスコミや世間の空気に、明・清をアメリカに、両班を官僚に、クーデターを派閥の交替や政権交代に、それぞれ置き換えれば、五つとも不気味なほど今の日本にあてはまる。
李王朝に比べればだいぶ今の日本はましだとは思うが、それでも、いくばくか、似ていなくもない。
アメリカの属国であり、そうでありながら、周辺諸国にいわれのない優越感や排外意識を持ち、内発的に変革することができないとしたら、ある意味よく似ているかもしれない。


もし今の日本に無意味なプライドや排外主義が蔓延し、変わるべき時に柔軟に変われず、狭い視野にたてこもるならば、まさに李王朝とそっくりと言わざるを得ないだろう。
幕末や明治の日本は、李王朝と比べれば、はるかに柔軟で進取の気象に富み、変なプライドを持たずに、謙虚で広い視野があったものだったのだけれど。


李王朝の歴史を見ていると、いつも四つの毒があると思う。
儒教の毒、宦官の毒、悪女の毒、両班の毒。


日本の江戸時代は、李王朝に比べれば、はるかにこれらの毒を免れていたと思う。
儒教は李王朝ほど江戸期の日本には深く浸透せず相対化されてたし、宦官はおらず、李王朝ほど悪女が跋扈しなかった。


かつ、日本の士農工商も不条理なことは多々あったろうし、武士にもどうしようもないものが多かったろうけれど、武士は基本的に軍人だったため、武道で心身を鍛え、かつ実力や武力が比較的重視されていた。
つまらぬ名分論にあけくれた両班に比べればはるかにマシだったろう。


だが、今の日本はどうだろう。
マスコミの毒、御用学者の毒、無責任な国民の毒、官僚の毒。
この四つの毒が案外と満ち満ちているかもしれない。
もちろん、中には立派な報道関係者もいれば、立派な学者や知識人もいるだろうし、責任感ある立派な国民や、立派な官僚もいるだろう。
だが、四つの毒はある。


両班の搾取に比べれば、日本の政治はマシだろうか。
年金積立金など、ずいぶん官僚に食い物にされて悲惨な事態になっているし、財政もここまで悲惨な状態になっているのだけれど。
マスコミや御用学者の虚偽は、311の原発事故で悲惨な結果を生じたし。
さらにそのあとの菅降ろしの過程でも嘘や虚偽が蔓延して、いつも短命政権ばかりころころと引きずり降ろしている。
そして、こうした官僚やマスコミや御用学者の跋扈は、無責任な国民が支えているわけだ。


この四つの毒がなければそもそも原発事故は防げたかもしれないし、毒がそこまで深くなければ、未曾有の国難に菅降ろしのような愚劣で卑劣なこともなかったろう。


そうこう考えれば、あまり平成の日本も、李王朝の腐敗堕落と停滞を笑えないのかもしれない。
不条理な社会にあえぎながら、自らそれを変えることができなかった李王朝の不甲斐なさを、笑うこともできないものなのかもしれない。


望みがもしあるとすれば、上の腐敗や無責任とは関係なく、庶民が逞しく、そして責任を持って生きていくことにしかないのだろう。
かつて、李王朝とは異なって、自発的に大きな変革を成し遂げた明治維新のようなことを、我々ができるかできないかも、ひとえに、つまらぬ排外主義や頑迷さを自ら乗り越え、柔軟に変化し、自らを外に開いていけるか、そういうことにかかっているのだろうと思う。
四つの毒をなんとか乗り越えることができたら、日本もきっと大丈夫だが、それとも四つの毒に溺れ続けるのだろうか。

脱亜入欧ということについて 


福沢諭吉が言った「脱亜入欧」とは、要するに、夜郎自大の排他性や半開レベルから抜け出て、普遍的な文明に入るという意味だった。


今の日本の一部のネトウヨのように、ろくな教養も道徳も持たず、偏狂な排他意識に落ち込むならば、実は「脱亜入欧」と真逆であり、文明から半開・野蛮に入るものだろう。


大半のネトウヨは、西洋文明への教養があるどころか、万葉集古今和歌集新古今和歌集すらろくに読んだことがない人間ばかりのようである。
和歌の教養もなく、日本への愛を語る資格があるのか、甚だ疑問で仕方がない。


と言うと、今のネトウヨは、日々に「反日」と戦うために、悠長に和歌を読んでいるような贅沢な時間はないと言うようである。
幕末の志士たちは、あのように多忙な中でも、実に深い漢詩や和歌の教養を持っていたが、彼らは悠長で、贅沢に時間を使っていたというのだろうか。


また、明治の頃の歴史の本を読んでいると、自由民権の側も政府の側も、開国後そんなに時間が経っていないのに、実によくミルやルソーやトクヴィルの本などを活発に読んでいることに驚かされる。
かえって今の日本人の方が、ろくにそれらの古典を読まずに、政治を論じる場合が多いのかもしれない。


たぶん、高度経済成長で物質的に豊かになったこと自体は良いことも多かったのだろうけれど、スリランカブータンを見ていると、幸福や気高さというのは、物質だけでは得られないし、精神的な要素も大きいと感じる。
日本も、もうちょっと精神文明を自覚的に築いた方がいいのかもしれない。


福沢諭吉は、再三再四、文明は単に物質的なものではなく、むしろ精神的要素こそが重要であることを力説していた。
紙幣を通じて日本国民は皆福沢諭吉の肖像は日々に見ているはずだが、高尚な精神や道徳をこそ文明に求めた福沢の願いや思いはいったいどれだけ受けとめてきたのだろう。


せっかく、多くの先人のおかげで、和漢の書籍にも、西洋の文物にも、両方とも気軽に接することができる環境に現代の日本人はいる。
ろくな教養もたしなみも持たず、自分のことは棚にあげて俗悪に生きる現代の野蛮人になるのではなく、真の文明の精神を担い、深め耕す人間であってこそ、先人に恥じず、後世の模範となる時代や社会をつくれるのではなかろうか。


福沢諭吉が願い、またのちに丸山真男渡辺一夫らがそう願ったように、皮相な西洋文明の摂取ではなく、深く西洋文明の真髄を咀嚼するということを、今の日本はできているのだろうか。
さまざまな研究や知識や機会は増えたのだとは思うが、未だ真髄を咀嚼するということにはかなり程遠いのかもしれない。


明治以来の西洋文明の摂取の努力のおかげで、今は大抵の本は翻訳されているし、原文も気軽に手に入られられる。
音楽や絵画にも頻繁に触れることができる。
本当にありがたい。
江戸や明治以来の無数の翻訳者や紹介者の努力のおかげだろう。
杉田玄白前野良沢福沢諭吉らに感謝すべきだろう。


西洋文明の真髄を咀嚼し、和漢の雅な優しい心もたしなみ、野蛮や半開を去って文明により深く入り進むこと。
それこそが、福沢の言っていた「脱亜入欧」の真意であったとすれば、我々は未だに「脱亜入欧」が必要であり、そしてこの言葉の真意を全く理解せず、皮相な理解から逆に文明を去って野蛮に入るような人々こそ、「脱亜入欧」の敵であるということを、今の人はよく注意すべきなのかもしれない。

現代語私訳『福翁百余話』第二章 「風流なことも世俗のことも両方に博識であるべきです」

現代語私訳『福翁百余話』第二章 「風流なことも卑俗なことも両方に博識であるべきです」


博識であるということは、知識や見聞が広いということです。
必ずしも善いことだけを知っているわけではなく、悪いことも知り尽くしているのが、博識というものです。
そして、悪いことがどのように行われるかの方法を理解しながら、立派な人物はあえてそのような悪いことは行わないというわけです。
悪いことを知り、そして悪いことを行うのはつまらない人間です。
悪いことを行わない人が立派な人物です。


昔、花の都の京都に住んでいた伊藤東涯(江戸時代中期の儒学者伊藤仁斎の息子。福沢諭吉の父・百助は伊藤東涯の著作を愛読していた。)という先生が、携帯目的の分離式の接竿(つぎさお)三味線を入れるための三味線箱を買って、いつも傍らに置いて大切にしていながら、それが三味線箱だということを知らなかったそうです。
そのことは、伊藤東涯先生の品行方正さや徳の高さを現したエピソードとして、当時においてはおのずとその弟子達を感化した話だったことでしょう。
どういうことかと言うと、伊藤東涯先生は遊興の席の音楽などを一切耳にしなかったので、そもそも三味線に携帯用の接竿の三味線があるなどといいうことを知らなかったというわけで、清潔で無垢で徳が高い方だったというわけです。
私たちこそ、顔が赤くなることであろうと、東涯先生の評判はあちこちに伝わり、感化の範囲も広く、のちのちまでも大きな良い影響を与えたことでしょう。


私はもちろん、こうした種類の感化の力をないがしろにするわけではありません。
しかし、社会の文明はだんだんと進歩して、世の中は忙しく煩雑なものとなるようになってきて、そのため人の心の変化もめまぐるしい今の時代においては、若者を道徳に教育するための方法も、自然と様子が昔とは変わらざるを得ません。


道徳教育の方法には、若者を道徳に導くものと、不道徳の中から救い出すものと、二つの方法の区別があります。
つまり、道徳に導くための方法は、年長者がまず自ら自分の身を修養して、全身一切何の汚れも留まっていないようにし、口に道徳の議論をしゃべりまくるのではなく、実際の事実を自分の行動で示し、知らず知らずに道徳の決まりに若者が従うようにすることです。
家族が仲良く一家だんらんの中で、子どもが両親のしていることを見習うようになることは、最も有効な道徳的な教えであり、伊藤東涯先生の弟子に対するものも、こうした種類の感化の方法です。


ですが、若者がだんだんと成長して、だんだんと不道徳や不品行に傾いて、すでにそうしたことに深入りしてしまったとしたら、その人を救い出して正しくさせるためには、単に不言実行の感化という方法によるだけでは十分ではないことが多いものです。
そうした若者に対して向かい合うためには、あたかもの自分の側の身も不道徳や不品行の境遇に置いて、その楽しさの深さや浅さを探り、その楽しみに向かう熱心さや気持ちをよく測って、一切のあらゆることについて、その本人の隠れた事情を知り尽くして、本人の不道徳や不品行が本人とって、またその家族にとって、そして社会にとって、利益か不利益か、損か得かということを明らかにして、その利害がどこにあるのかを示すという方法があるだけです。


たとえば、女遊びに耽る者がいれば、風俗業界の事実を話してあげ、賭け事の勝負に凝っている者がいれば、その賭け事の種類に応じて、それぞれの手練手管やテクニックを語り、秘密にすべき事柄の中でも特に秘密となっている事柄や、場合によっては本人にっても意外なほどの大きな秘密を明らかにして、その度胆を奪って、そののちに徐々に本人のために賭け事の勝負が不利益であることを語ってあげるべきです。
ギャンブルにはまっている人に意見してもらうのにはギャンブラーの親分の人に限るし、道楽息子を強く諌めるには遊びごとに精通した苦労人に任せるべきだというのも、偶然のことではありません。
学校の生徒を取り締まるのには、かつて貧しくて元気な学生時代を送った人間でなければできません。
軍隊において一軍を率いる人物には、下士官や一兵卒から出世した人であってこそ大きなことができることでしょう。
こうした種類の辞令を数えるならば枚挙にいとまがありません。
要するに、事柄の良し悪しや美醜に関係なく、その事柄の内実を知っていなければ一緒に相談するには不十分だということで、そのことは経験上間違いないことです。


人は場合によってはこう言うかもしれません。
若者の不道徳や不品行を救うために、その悪いことの内実を詳しく把握しようとするならば、自分自身がまず同じような悪いことをしなければならないということになる、それではこの世の中に一つの悪を除こうとして逆に一つの悪を増やすのと同じことになると、と。
ですが、そのような説は、人間は智恵の働きを狭く推し量ったものです。
仮にも、人間として才能や力量があり、そしてまた根気がある人であれば、人間のあらゆる物事は、風流なことも卑俗なことでも、知りたいと思えば知ることができないものはありません。
自分自身が時計づくりの職人でなくても、時計がどのような仕組みで動くかの方法は知ることができます。
自分自身が弁護士でなくても、弁護士が論じる法律の筋道は理解することは決して難しくはありません。
ましてや、悪い若者たちが、遊び耽って、酒を飲んだり花札で争ったり、風俗で遊んだり、借金に心をくだいているような内情は、理解することはごくごく簡単なことであり、自分自身が自分で実際に試してみる必要はないことです。
短歌を詠む歌人は、いながらにして名所を知っていると言います。
少しばかり心を用いれば、若者たちのしている悪いことを探り、その内実の秘密も見破って、かえってその本人たちがまだ思い至っていないところまで論じてあげて、若者たちが驚くこともあることでしょう。
こうしたことは、ただ世の中をよく知った博識な立派な人物であって、はじめてでき、この任務にあたることができるものです。
今の社会においては、伊藤東涯先生のようであるだけでは自分で満足してはならない時代です。