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2011-11-28

ウルリッヒ・リンス「危険な言語」


エスペラントは、ナチスドイツからも、スターリンソビエトからも、過酷弾圧を受けた歴史がある。

この本は、それらの歴史、また東欧中国や日本におけるエスペラント弾圧の歴史も、わかりやすく記述されていた。

自由と民主主義のないところでは、真っ先に狙われるのがエスペラント語ということなのかもしれない。

とすれば、エスペラント語運動というのは、その社会や国家の、自由や民主主義の程度を示すリトマス紙のようなもの、と言えるのかもしれない。

なぜ、それらの権力がエスペラントを憎んだかというと、いくつかの理由が考えられる。

ひとつには、この本の末尾でも言っていたように、国家権力の管轄や管制を離れて、そうしたコントロールを受けずに、直接個々人が諸外国の個々人とコミュニケーションをとり、多様な情報を受発信するという事態を、情報やコミュニケーションを統制したい権力者は好まないということがあるのだろう。

また、その国の価値観やマインド・コントロールや支配文化を、エスペラントが強烈に相対化する役割があり、自立・自律した思考を可能にする点も、恐れられ、弾圧を受けた理由かもしれない。

エスペラント語自体に潜む、何か体制や権力者を畏怖させ恐怖させる、そうした理念や力があるのかもしれない。

「危険な言語」を読むと、エスペラント語というのは、決して好事家の遊びごとではなくて、命をかけた、真剣な営みなのだなあというのが、ひしひしと伝わってきたし、はじめてよくわかってきた気がした。

忘れてはならぬ歴史なのだと思う。

私のようなエスペラント語初心者も、きっとナチスソビエトでは粛清されたのだろうか。

そう思うと、自由に学べる今の日本はありがたい社会だなあと思う。

だし、その自由をきちんと生かして行使し、さらに高めて、そうした貴重な自由や民主主義が決して退歩したり窒息しないように、不断の努力をしなければならぬのだろう。

エスペラント語が危険というよりは、権力というものが危険なもので、もっと言うならば、人間や社会や国家というものは、本来的には危険なものであるということなのかもしれない。

そのことを照射する役割というのも、エスペラントにはあるのかもしれない。

エスペラント語に興味がある人にも、またそうでなくても人間の歴史や自由とは何かと考える人にとっても、必読の書だと思われる。

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