憲法九条、あしたを変える―小田実の志を受けついで

鶴見俊輔加藤周一大江健三郎井上ひさし、などの人たちが、小田実を追悼して書いた小文を集めた本で、なかなか面白かった。


その中で、沢地久枝さんの書いている文章の中にあったのだけれど、


小田実は、


「ひとりでもやる。ひとりでもやめる」


ということを言っていたらしい。


なるほどーっと思った。


これが大事な精神かもしれないなぁ。


あと、鶴見俊輔の書いている一文に、


小田実は、


「人間チョボチョボ」


ということをよく言っていたとのことが書いてあった。


いわば、人間というのは、よく間違える、たいしたことのない存在だから、いろんな批判を排除せず、失敗をきちんと受け入れ検討して、試行錯誤しながら進んでいくという、「常識主義」の哲学を持っていた、ということを述べていた。


なるほどーっと思った。


「人間チョボチョボ」ぐらいに思って、批判を排除せず、失敗を恐れず、失敗を生かし、試行錯誤しながら生きていくのが、一番大事な姿勢なのかもしれない。


あと、玄順恵さんが、小田実には三つの柱があった、それは「民主主義」と「自由と平等」と「戦争と平和」だったとして、


さらに、「民主主義」を、


「小さな人びとが力を持ち得ることを信じ、そのために、自分の精神を少しずつでも高めるように努力し、お互いに高めあって力を持ちうる」


ということだと述べていて、なるほどーっと思った。
たしかに、それが、本当の「民主主義」ということなのかもしれない。


「世直しの倫理と論理」「トラブゾンの猫」「河」「HIROSHIMA」といった小田の著作も紹介されていて、いつか読んでみたいと思った。


小田実は、憲法九条の会の発起人だったようだけれど、九条の会には、自衛隊反対の人も自衛隊賛成の人も両方いて、決してどちらかを排除しなかったそうだ。


箕輪登さんという、元自民党の代議士で、「我、自衛隊を愛す 故に憲法九条を守る」という本を書いた方も、九条の会の有力メンバーだったらしい。


憲法九条というと、どうしても理想主義的・空想主義的な非武装主義の主張が思い浮かぶけれど、条文解釈の問題として自衛隊を合憲とする意見は十分に正当性があるし、自衛隊合憲の見地から九条を支持して守ろうとしている人たちもいて、小田実はそういう人たちとも積極的に連携する懐の広さと視野の広さを持っていた、ということなのだろう。


私は、正直、九条については、護憲か改憲かはっきり決めかねるところがあって、理想はわかるけれど非武装主義は現実的には現段階では無理だと思うので、武装中立が一番望ましいと思っており、その武装中立を実現するのに護憲と改憲のどちらが良いだろうかと迷っているところだが、これ以上の対米追随に歯止めをかけ武装中立を目指すという点では、案外と九条の方が良いし、そうした武装中立主義を排除しないのであれば、九条の会とかも案外いいのかもなあと思った。


うすい冊子だけれど、なかなか面白かった。


本論とは離れるけれど、鶴見俊輔が、スティーブンソン(「ジキルとハイド」や「宝島」の作者らしい)が長州からの留学生から吉田松陰の話を聞いてとても感動して、世界で最初の吉田松陰の自伝を英文で書いている、というエピソードを紹介して、とても興味深かった。


ちょっと、幾人かの識者の方が、先験的・独断的に九条を正当化し、擁護しているような気は読んでて若干したけれど、仕方ないのかもしれない。
どうも私としては、いまいちあまりにも先験的・独断的に九条・非武装主義を絶対視するのは首をかしがさせられるのだけれど、鶴見俊輔小田実はそうした絶対視はぜんぜんなく、とても柔軟で深い知性と人間愛に基づいたところから言葉をつむいでいると思うので、とても納得する気がした。


小田実は、やっぱり大阪大空襲の切実な体験から平和や非暴力の志を持つようになり、身命を賭したわけで、そういうことは、ちゃんと受けとめて聞いていかないとなあと思った。

小林よしのり 靖国論

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論


扇情的な表現はちょっと閉口するところもあるけれど、けっこう面白かった。


小林よしのりは、ちょっと扇情的に過ぎるところや、過度に攻撃的な表現が目立つために、多くの人の嫌悪も受けているようだけれど、おそらくは根はそんなに悪い人ではなくて、きわめて純情な人であるように、この本など読んでいると思われた。
真摯に、BC級戦犯として処刑された人々の遺書を丹念に読んで引用しているところなどは、大事なことだと思うし、共感できた。


ただ、読んでいて、いくつかの点は疑問。


まず、政教分離について、小林よしのりは、アメリカ型の政教分離を挙げて、アメリカでも完全なる政教分離などしていないのに、日本のみ厳格な政教分離を主張するのはおかしい、ということを述べているけれど、一切フランス型の政教分離については沈黙している。
単に知らないだけなのか、故意に黙っているのかはわからないけれど、本来ならばアメリカ型政教分離とフランス型政教分離と、両方について考察し、そのメリットデメリットを考察して、日本との兼ね合いを考えるべきだろう。

次に、小林よしのりが、死者の視線を大事にし、ABC級戦犯として処刑された千六十八名の人々に思いを寄せ、戦没者の遺書などを引用し、そうした人々の崇高な思いや志や後世の人々への大きな愛と期待を、ないがしろにしないようにと主張していることは、基本的には私は共感するし、賛成である。


ただし、それが、靖国神社公式参拝の主張に、ダイレクトに結びついているところに、若干の疑問がある。


小林よしのりは、靖国神社が日本の伝統であり、神道の精神に基づいていると主張していて、それはそうかもしれないが、一向専念無量寿仏を掲げる浄土真宗や、あるいはキリスト教などへの顧慮がまったく存在しない。


多数者の信仰や価値観としては、小林が言うとおりかもしれないが、日本は神道の信者だけのものではない。


少数者(といっても浄土真宗門徒は一千万以上だが)への配慮が欠如しているところに、多数者の主張のみダイレクトに振り回しているところに、疑問がのこる。


また、そこから派生することだが、小林よしのり無宗教の国立追悼施設を猛烈に批判して、無宗教での追悼はありえないと言っているけれど、かなりの誤解があるのではなかろうか。
無宗教の追悼施設というのは、要するに、個々人まで無宗教で追悼することを強制する施設ではない。
その逆で、その施設の前で、個々人が自分の信条や宗教にもとづいて、念仏でも題目でもキリスト教式でも神道式でも、いかなる参拝でもできるという、そういう意味での無宗教の追悼施設であって、いわば多宗教の施設のはずだ。
ただ、国家としては、特定宗教に加担するわけにはいかないので、ニュートラルな形での追悼をするというだけのことである。
実際、フランスのパンテオンなどはそうである。


どうも、誤解というか、認識の違いというか、そういう問題が国立追悼施設に対して小林よしのりにはあるのではないかと思う。
(あるいは、ひょっとしたら、それらは十分に知った上で、わざと無視して、扇情的に世論を一定の方向に誘導しようとしているのだろうか。どうもそうではないようだけれど。)


また、天皇靖国参拝を控えるようになった理由を、三木武夫が私的参拝ということを言い出したからであると主張しているけれど、富田メモが公表された今となっては、その意見はまったく成り立たないだろう。


でも、以上のことは相当な留保や批判的な検討が必要と思うが、そうしたことは割引くとして、


その他の部分の、BC級戦犯の遺書のいくつかの引用は、読んでいて私も胸が熱くなった。


もろもろの誤解や、認識の誤りを解きほぐして、戦没者の思いを本当に大事にし、多数者も少数者もともに戦没者を追悼し、日本の歴史や精神や先人の経験を大事に継承していくような、そういう場を考えていくことができたらなぁと改めて思った。

野口悠紀雄 「日本を破滅から救う経済学」

日本を破滅から救うための経済学

日本を破滅から救うための経済学


今の日本が抱えている問題は、デフレではない。
むしろ、将来のインフレの危険こそが問題である。


物価下落は海外要因によるものである。


この15年間の日本は、いわば「流動性トラップ」にはまりこんでいるため、金融政策は効かない。


諸悪の根源は、デフレではなく、流動性トラップである。


といった、一般的通念とはかなり違う説を、データをもとにガツンと書いてある。


ぜひ多くの人に一度読んで欲しい一冊である。


デフレについての経済運営の基本認識が誤っているため、日本が有効な政策が打てないできたこと。
アメリカは、新興国の工業化をポジティブに使っていること。


移転的支出(子ども手当等)を増やしても、消費は伸びない。


今起こっているのは、法人税税収の激減であり、40年体制税制の崩壊である。


国債はたしかに、国全体の資産は変わらないことになるが、国債で調達した資金を成長分野に投資しないと、結局将来を食いつぶすことになるし、納税の痛みを伴わない国債は放漫財政を招きやすい。


消費税は、インボイスの制度をあらかじめ導入しておかないと、生活必需品への非課税措置もできないし、輸出の際に本来ならば影響がないはずの消費税が悪影響を与えかねない。
インボイスを伴わない日本の消費税は欠陥税制である。


消費税の福祉目的税化は無意味で有害であり、議会の自殺行為である。


政府は円高を有利に使う政策に軸足を据えるべきで、円高を抑えるような為替介入はしないと明言すべきである。


などなど、今の日本に必要な提言がはっきり書かれている。


特にショックなのは、このままいくと2033年に厚生年金は破綻するというシュミレーションが書かれてあることである。


人口増というよりも、賃金上昇や運用利回りを相当高く想定していることが一番問題らしい。


賃金は近年下落傾向にあるぐらいなので、シュミレーションをもうちょっとリアルに修正して、国民にきちんと説明して制度の手直しをするしかないのだろう。


あらためて暗澹たる気分になるが、
野口さんが言うには、保険料率を一割引き上げ20%とし、マクロ経済スライドを物価動向にかかわらず継続すれば、破綻回避できるらしい。


そうした年金改革も今後必要だろう。


決して楽観視できるわけじゃないが、希望の種が日本にないわけでもない。


野口さんは、産業構造の転換を他の著作と同様にこの本でも信念を持って明晰に主張している。
また、教育をアメリカのようにきちんと前面に据えて、大学院や大学の教育のための税制優遇措置を設けるべきで、金融や情報産業などのスペシャリストの育成に全力をそそげば、日本は必ず大丈夫だと述べている。
さらに、人材のグローバリゼーションが日本ではいまだ全く不足しており、人材のグローバリゼーションの必要を説いている。


また、大企業の力が弱まり、価格体系が変わってPCが安価に利用できるようになった今は、起業のためのチャンスでもあることを指摘していた。


物事は考えようで、厳しい情勢だが、うまく状況を良い方向に転じていけば、日本もきっと大丈夫なのかもしれない。
しかし、そのためには、何が今の問題なのかを、国民の多くがきちんと認識し、必要な措置や対策をとっていかねばならないのだろう。

柴田トヨ 「くじけないで」

くじけないで

くじけないで

書店でふと手にとって、なんとなく気になって、買ってみた。

とても良い本だった。

買って本当によかった。

どの詩も、本当にすばらしかった。

この一冊にめぐりあえて、とてもよかった。

ブルース・リーの生と死

ブルース・リーの生と死 [DVD]

ブルース・リーの生と死 [DVD]


ブルース・リーの葬式の様子から始まって、主な映画の名場面や、ブルース・リーの生い立ち、いろんな人たちの回想などが織り交ぜて、その生涯を回顧してあった。

やっぱり、ブルース・リーは、別格だ。
かっこ良すぎる。

映画の前半では馬鹿みたいな三枚めの人の良い感じのが、映画の後半で戦闘シーンになると、人が変わったように真剣な表情になって、精悍この上ない様子になる、あのギャップが本当にしびれる。

ブルース・リーの人なつっこい笑顔は前から好きだけれど、この映画によれば、成功したあともとても気さくな性格で、撮影現場のエキストラの人々からも大変慕われたという。
ちょっと成功すると思い上がって傲慢になる話は、日本も含めて芸能界とかではよく聞く話だけれど、その点ブルース・リーって偉かったんだなぁと思う。

しっかし、彼の映画は、だいたい、日本人や欧米人が最期の方のボスキャラないし手ごわい相手で、それをブルース・リーが次々に倒すのだけれど、当時の(あるいは今も)、香港や中国やアジアの人々は、ブルース・リーのその姿に溜飲を下げて、拍手喝采したのだろう。
映画の中で、ブルース・リーは映画を通じて中国の民衆や伝統の守護者になった、みたいなナレーションを流してたけれど、大げさではなくて、そのように当時の人々は受けとめたのかもしれない。

とかく、強いものに虐げられ、ねじ伏せられ、泣き寝入りすることが多い庶民や社会的な弱者は、やっぱり、気は優しくて力持ちで、強きを挫き弱きを助く、そういったヒーローを、せめてスクリーンの上ででも、待望するものなのだろう。

ブルース・リーは、大学で哲学を専攻していたらしいし、日々の暮らしも鍛錬を欠かさずストイックで、武道を理念や哲学としてもとらえていたらしい。
そのせいか、顔がやっぱり知的で端正と思うし、その後のカンフー映画のヒーローと比べても別格と思う。
ジェット・リージャッキー・チェンも、見ている時は面白いけれどあんまり再び見ようとは思わないけれど、ブルース・リーは、また見たいなぁと思った。

にしても、この映画でブルース・リーの葬儀の様子が映っているときに、奥さんなどと並んで、「ターキー・木村」という人が、ブルース・リーの最も近しい人として、お焼香したり棺を運んでたのだけれど、ターキー・木村って誰?
日系人だろうか。

チャップリンも、ブルース・リーも、案外身近な秘書には、日本人や日系人の人がいたのかと思うと、なんだか興味深い。


(追記)

知人に教えてもらったところによると、ターキー・木村はブルース・リーノシアトルの後援者で、ブルースがジークンドーの道場を開く際に尽力した日系人だったとのこと。

善徳女王

全六十二話。
とても面白かった。

痛快娯楽時代劇。
てっきり史実性はほとんどないものと思って見ていた。

見終わったあと、調べてみたら、なんと、登場人物の毗曇と美室って歴史書に記録のある実在の人物だったのか!!
とても驚き。

もちろん、いろんな脚色は施されているようだが、美室が魔性の女性だったこと、および毗曇の反乱は、三国史記や花朗世記などにそれぞれ記載されていることらしい。

てっきり、善徳女王と金庾信、金春秋ぐらいが実在の人間で、毗曇は架空の人物だと思っていた。

いろんなフィクションで脚色されているのだろうけれど、ドラマの中の毗曇は本当に哀れで、最期は涙を誘われた。

ちなみに、なんと斯多含(サダハム)も実在の人物らしい。
もっとも、ドラマでは美室の若い頃の恋人という設定だが、実際はそんなことはないようだ。

ドラマでは、それぞれの役者さんが好演・熱演していたところも良かった。
オム・テウンが演じる金庾信も、本当に忠臣という感じだったし、美室も、悪役として本当に生き生きとしていて、このドラマの面白さはひとえに美室の強烈な存在感にあったと思える。
主役の善徳女王も好演していて、良かった。

もう十三年ぐらい前になるが、慶州に旅行に行った時に、新羅の遺跡を訪れて、とても興味深かった。
古代の石積みの天文台や、古代ローマとの関連を思わせる宝剣など、いろんな不思議なものがあった。
いつかまた慶州の新羅の遺跡を訪れてみたくなった。

高句麗を描いた『朱蒙』と百済を描いた『ソドンヨ』とあわせて見ると、だいぶ韓国の古代史に興味が湧いてくるし、面白いのではないかと思う。

ちなみに、善徳女王は、日本の推古天皇に次いで、東アジアで二番目の女性の王だったらしい。
古代においては、しばしば女王や女帝が現れて、非常に力を発揮したというのは、本当に面白い現象だと思う。

エリザベス ゴールデン・エイジ

エリザベス女王を描いた作品。

スペイン無敵艦隊の襲来やメリアー・スチュアートの処刑、ウォルター・ローリーとのことなどなど。

エリザベスも苦悩の多い人生だったのかもしれないなぁと見ていて思った。

ゴールデン・エイジという言葉とは裏腹に、全体として暗くて苦悩の多そうな時代の映画だけど、いつの時代も実際はそんなものかもしれない。

ウォルター・ローリーの本でも、そのうち読んでみよっかなぁ。

クイーン・ビクトリア

クイーン・ヴィクトリア?至上の恋?【字幕版】 [VHS]

クイーン・ヴィクトリア?至上の恋?【字幕版】 [VHS]


この前録画していた映画「Queen Victria 至上の恋 」

http://movie.goo.ne.jp/movies/p31285/

を見た。

アルバート公の死後、ヴィトクトリア女王に仕えた侍従のジョン・ブラウンが主人公。

ディズレーリなども登場。

この映画だと、ヴィクトリア女王ジョン・ブラウンは、なんというか、ストイックな恋仲だったように描かれている。

当時、実際にそのような噂もあったようだ。

アルバート公の死後もヴィクトリアがずっと公の死を悼んで喪に服していたのは有名な話だが、そのあとの長い人生には実際はどのような思いや出会いがあったのだろうか。

うーん、本当はどうだったのだろう。

ディレーリ役の俳優さんがえっらいディズレーリが似合っていた。

なんというか、イギリスってこんな感じなんだろうなあと、見ながら思った。

原題は「ミセス・ブラウン」らしい。

そんなタイトルでつくるところも、イギリスらしいよなぁ。。

前略、人間様。―長渕剛詩画集

前略、人間様。―長渕剛詩画集 (新潮文庫)

前略、人間様。―長渕剛詩画集 (新潮文庫)

ちょっと心がくさくさした時に読んだら、また元気が出てきそうな本。

そういえば、長淵はこの前、被災者の方や自衛隊のためのコンサートやったらしいけど、男だよなあ。

以下の言葉の数々が、心に響いた。

「生まれかわるなら 生きてるうちに」

「おい。人間様よ。貴様らも泥噛んで生きてみい。命かけてや。」

「空に吠えろ 風にうろたえるな 火よりも熱く 水にのみこまれず 土をしっかり 踏みしめて」

「気張れ気張れ 気張いやんせ。一度どま、け死ん限ィ、気張いやんせ。」

「にがい涙を かじっても ほほえむ優しさが欲しい。君が愛に しがみつくより 先ずは 君が強くなれ。」

「傷つき打ちのめされても はい上がる力が欲しい。HOLD YOUR LAST CHANCE.」

「俺のひまわりは、でっかいぞ。俺のひまわりはぜったいに 太陽に背を向けたりしない。」

「俺は 血まみれになったけど 恨みはしない。強く育ててくれた この日本(しまぐに)を愛してる。」

クィーン


先日、テレビであっていたので見たのだけれど、ブレアや英王室の人々が本当にそっくりで笑えた。

ダイアナさんの死をめぐる当時の様子も、そういえばこうだったなあと思い出された。

英王室の雰囲気ってたぶんこんな感じなんだろうなあ。
そして、国民も、さんざん皮肉ったり批判しながら、でも本当は王室が大好きなのがイギリスという国なのだろう。
「ユニークで複雑」という言葉は、ダイアナさんにもあてはまるように、エリザベス女王にも、イギリスの国民気質にも、あてはまる言葉かもしれない。
もっと言えば、人間とは、誰であれ、そういったものなのだろう。

にしても、こんな映画をつくってしまうイギリスという国と、その撮影許可を出す英王室がすごいと思う。
日本でこんな風な映画をつくることは、ちょっとまだまだできないだろうなぁ。。

ギリシア・ローマ名言集

ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)

ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)

ギリシア・ローマ名言集 (ワイド版岩波文庫)

ギリシア・ローマ名言集 (ワイド版岩波文庫)


今日、岩波文庫の『ギリシア・ローマ名言集』を読んだ。
とても面白かった。
はっとさせられる、考えさせられる、深いことばや機知や智慧がそこにはあった。

古代ギリシャ・ローマに学ぶことは、やはり今もってはかりしれない。

時折読み返し、またいろんな他の本も読んでみよう。



「一羽の燕は春を作らず」
古代ギリシャのことわざ)

「一羽の燕、ある一日が春をもたらすのではなく、同様に至福な人、幸福な人は、一日で作られるわけではない。」
アリストテレス

「事はまったく剃刀の刃に乗っているようなものだ。」(ホメロスイリアス』)

「食わんがために生きるのではなく、私は生きんがために食う。」(ソクラテス

「煙を逃げて、火に飛び込む」(古代ギリシャのことわざ)

「賢人は敵から多くのことを学ぶ」(アリストパネス

「人の性格は言葉から知れる。」(メナンドロス)

「言葉は行為の影である。」(ソロン)

「言葉に打たれぬ者は、杖で打っても効き目はない。」(古代ギリシャのことわざ)

「現在の難儀もいつの日か良い思い出になるであろう。」(ホメロスオデュッセイア』)

「堪え忍べ、わが心よ、おまえは以前これに勝る無残な仕打ちにも辛抱したではないか。」(ホメロスオデュッセイア』)

「愚者は打たれてはじめて知る」(ヘシオドス)

「悩みによって学ぶことこそ、この世の掟」(アイスキュロス

「始めは全体の半分」(古代ギリシャのことわざ)

「必要なことは二度でも言うがよい」(エンペドクレス)

「一人は無人」(古代ギリシャのことわざ)

「貧乏だけが技を呼びさます。」(テオクリトス)

「陶器づくりの術を学ぶのに、大きな甕から始めようとす」(古代ギリシャのことわざ)

「竪琴を轢くことを学ぶ者は、竪琴を弾くことによって、竪琴を弾くことを学ぶ。」(アリストテレス

「何事も無からは生じない」(ルクレティウス

「昔、ミレトス人は勇敢だった。」(アナクレオン

「怒りは一時の狂気である。」(ホラティウス

「喜んだ人は喜びの種を忘れるが、悲しんだ人は悲しみの種を忘れない。」(キケロ

「われわれは、教えることによって学ぶ」(古代ローマのことわざ)
Docendo discimus.

「機会は容易に与えられないが、容易に失われる。」(プブリウス・シュルス)


「生きている限り私は希望を抱く」(ことわざ)
Spero dum spiro  (息ある間は希望を抱く)

「友よ、われわれはこれまでに不幸を知らずにきた者ではない。ああ、もっと辛い事にも耐えてきたのだ。これにも神は終わりを与えよう。…辛抱せよ、幸せな日のために自重するのだ。」
ウェルギリウス『アエネイス』)


「人生は人間に、大いなる苦労なしには何も与えぬ」(ホラティウス

「後の日は前の日の弟子である。」(プブリウス・シュルス)

「幸運の女神は、自分が大いにひいきにするものを愚かにする。」(プブリウス・シュルス)

「私は生きおえた、運命が私に与えた筋道を、私は歩きとおしたのだ」(ウェルギリウス『アエネイス』)

「何を笑うのか?(登場人物の)名を(お前の名に)変えれば、この話はお前のことを言っているのだ。」(ホラティウス
Quid rides? Mutato nomine de te fabula narratur

「遅れは危機を引いてくる。」(古代ローマのことわざ)

「多読より精読すべきだと言われている。」(小プリニウス

「力があると思うゆえに力が出る。」(ウェルギリウス『アエネイス』)
Possunt, quia posse videntur

「喉が渇いてからやっと井戸を掘ることになった。」(プラウトゥス)

「髭は哲学者を作らない。」(古代ローマのことわざ)

「確実な平和は、期待されるだけの勝利にまさり、かつ安全である。」(リウィウス)

「すべての日がそれぞれの贈り物を持っている。」(マルティアリス)
Omnis habet sua dona dies.

ソポクレス 「オイディプス王」

オイディプス王 (岩波文庫)

オイディプス王 (岩波文庫)

ソポクレス オイディプス王 (ワイド版岩波文庫)

ソポクレス オイディプス王 (ワイド版岩波文庫)


エディプス・コンプレックスの語源として、ストーリーは知らない者はいない著名な作品。
話のあらすじはもちろん私も聴いたことはあった。
しかし、実際に読んでみると、想像以上に本当にすごい作品だった。
圧巻。
悲劇の神髄、名作中の名作と言えようか。

たとえて言うならば、ミケランジェロの彫刻はすごいけれど、なおその上をいく奇跡のような作品にラオコーンがあるように、シェイクスピアの悲劇はすばらしいけれど、なおその上をいくのがソポクレスの『オイディプス王』と言えようか。
ラオコーンといい、『オイディプス王』といい、古代ギリシャのすごさにはただただ驚嘆する他はない。

さまざまな天災に見舞われるテーバイの様子が、読みながら今の震災と原発事故に苦しむ日本に重なって見えて、それで一層感情移入しながら読めた。

シェイクスピア劇が、劇のストーリーだけでなく、その中に散りばめられる無数の格言や台詞が何よりも面白く心に残るのと同様に、ソポクレスの『オイディプス王』もその中にいくつも印象深い台詞がある。

「堪えるに難き苦しみも、正しきかたへとなり行くならば、すべて幸いに終わるであろう」

「この地(くに)には、ひとつの汚れが巣食っている。
さればこれを国土より追いはらい、けっしてこのままその汚れを培って、不治の病根にしてしまってはならぬ。」

「人がおのれの持つ力によって、世のためにつくすのは、何よりも美しいつとめであろうに」

「わが内に宿る真理(まこと)こそ、この身を守る力なのだから」

「ただ、不確かな憶測により、勝手に罪を着せるのだけは、やめていただきたい。
故なくして悪人を善人とみとめ、善人を悪人とみなすのは、共にこれ正しからざるところ」

「げに何ごとも、潮時が大切」


不確かな憶測により、勝手に人を罵倒するのをやめて、原子力政策のありかたを見直し、不治の病根とならぬように、この国のありかたそのものを改めていくことが、これからの日本はできるだろうか。

そんなことを考えさせるのも、この作品が並外れたパワーと新鮮さを持つからなのだろう。
話しの筋は知っているから、などという思い込みは捨てて、一度は読んでみるべき作品と思う。

柳田邦男 「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」

とても深いメッセージの、人生についてあらためて問い直させる本だった。

本書は、著者の柳田さんの次男の洋二郎さんが、自殺を図り脳死状態になり、亡くなるまでの十一日間のことについて書かれている。

洋二郎さんは中学時代に目に大きな傷を負った出来事がきっかけとなり、神経症や対人恐怖症に十二年間苦しみ、その中で必死に生きようと努力したが、最終的には25歳の時に自死の道を選んだという。

洋二郎さんのありし日の話は、どれもとても生き生きとしていて、本当に深く人生や生きるとは何か考えさせるエピソードが多かった。

そして、自死の試みのあと脳死となった洋二郎さんが、骨髄ドナーに登録していたことから骨髄移植を実現させてあげようと柳田さんが考えて医師に相談し、骨髄の移植は実現できなかったが、腎臓移植を決断し実現したことには、本当に胸を打たれるものがあった。

「一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れ去られ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独」
(21頁)

たしかに、人間には、このような悲しみや孤独があるのかもしれない。

しかし、そうであればこそ、人生の残りの時間をいかにして納得できる意味のあるものにするか、そのためにどうやってお互いに助け合うか、

そして、この人生は、「名も知らぬ人間の秘かな自己犠牲」に支えられているのではないか、そのことにどれだけの想像力や感受性を持つことができるか、

そうした、人生の深い深いテーマに、この本は気付かせ、思いを致させてくれる。

「まっすぐにこれから受けとめていく」

「魂の再生」

「より良く死ぬこと」

そうしたこの本の中の言葉が、とても胸に響き、印象に残った。

私も大切な家族を亡くしたことがあるので、著者の柳田さんのメッセージや物語は、他人事には思えない、深く胸に響くことだった。

人生とは、生きるとは、いのちとは、

そして、脳死とは、臓器移植とは。

それらについて、深く考えさせられる、本当に「魂の本」と言ってよい、貴重な一冊。

多くの人に一度は読んでもらいたい。