城山三郎 「逆境を生きる」

逆境を生きる

逆境を生きる


とても良い本だった。

初心が魅力をつくるということや、魅力のない人というのは要するに型にはまった人だということ。

初心を持ち続けるとは、自分に安住せず、自分を無にして、人から受信し、吸収しようとする生き方であること。

その事例として、御木本幸吉や渋沢栄一らの人生が語られて、とても面白かった。

人は自分の性格にあった出来事にあうし、生き方の積み重ねだということも、なるほどっと思った。
今置かれた場所で、吸い取れる限りのものを一切合財吸収しようとする姿勢が、渋沢栄一らの大成の秘訣だったのだろう。

また、毛利元就を例に引いての「丁寧に戦う」ということも心に残った。

小説は描写がすべて、ということと、人と付き合おうが付き合うまいが最後は作品、というのもなるほどっと思った。

とにかく挑戦すること、準備を大事にすること、信用を大事にすること、というのも、なるほどーっと思った。

また、城山三郎さんが語るところの、広田弘毅浜口雄幸のエピソードは本当に胸打たれるものが多く、立派な人たちだったんだなぁとあらためて感心した。

人が折れずに生きていくには、セルフ(自分の世界を持つこと)、インティマシー(家族や親しい人の支え)、アチーブメント(目標を持って達成すること)の三つが柱となる、というのも、なるほどーっと思った。

人間の魅力は「その人の”強さ”」「強く生きること」というのも、なるほどっと思った。

そして、確かに、城山さんがこの本の中でいろんなエピソードとともに語っていた人々は、そうした心の強さを持っていた人たちだったと思うし、城山さん自身そうだったと思う。

本当の強さとは、おそらく、上記のことをひっくるめて、人間として高貴に、そして優しく、責任感をもって生きぬく中に生じてくるものなのだとこの本を読んでいて思えた。

とても良い一冊だった。

映画 「太平洋の奇跡 −フォックスと呼ばれた男」


昨日、テレビで映画『太平洋の奇跡 −フォックスと呼ばれた男』があっていたので見た。

良い映画だった。

竹野内豊がとてもよく大場栄大尉役に似合っていたと思う。

大場大尉は実在の人物で、本当に立派な陸軍軍人だったのだなぁと、映画を見ながら感動。

この映画によれば、大場大尉は、赤ん坊の命が助かるようにとりはからい、米軍には用意周到なトラップを仕掛けて翻弄しつつ、民間人の命を守ることを優先し、また部下の将兵にも決して無駄な死に方はしないように、米軍の捜索を避けながらサイパン島の山奥で巧みな戦術を繰り広げる。

医薬品が尽きて、民間人の命を守れなくなったと判断すると、部下の反対を押し切って民間人のみ投降させる。

その後も、米軍との戦いを続け、米軍から降伏を勧告されても断るが、上官の命令があれば投降すると述べる。

すでに日本が敗戦となってから四か月後、かつての上官から投稿するように書いた文書が届くと、部下の将兵を引き連れて一糸乱れず堂々と米軍に投降する。

本当に見事な、昔の武士を思わせるような水際立った出処進退で、とても感心・感動させられた。
男ならば、あのようでありたいものだ。

大場栄は、戦後も無事に生きて、会社の取締役や地元の市議会議員をしたらしい。

この作品を見ることができて良かった。

映画「エクレール お菓子放浪記」を見て

今日、近所の公民館で、映画「エクレール お菓子放浪記」の無料上映会があったので、母を連れて行ってきた。

本当、想像をはるかに超える素晴らしい名作だった。

思わず、不覚にも涙。

本当に、ひさしぶりにこんなに素晴らしい映画は見た気がする。


物語は、戦時中の感化院(少年院)から始まる。
主人公の少年がそこで大変な苦労をする。
しかし、そこで出会った先生の紹介で、個性の強いおばあさんのところに養子としてもらわれる。
束の間、いろんな人との出会いや心温まる時があり、映画館で働いたり、劇団と一緒に旅をしたりするが、空襲によって町は焼かれ、多くの人が死んでいく。
敗戦の混乱の中で、他の孤児たちとともに生きるために大変に苦労するが、やがて…。

そんな中でも、逞しく真直ぐに生きる主人公を、とても主役の少年が好演していた。


この映画では、「お菓子の娘」という大正十二年に西條八十がつくった歌が流れるのだけれど、本当にとても良い歌と思う。


それにしても、大正の時にはこんなに美しい歌があったのに、わずか数年で軍歌一色になったとは、世の中変わる時はなんと変わるのか、恐ろしいものだとあらためて思われた。


エクレールというのは、お菓子のエクレアのことで、おいしいお菓子が食べれるというのは、また美しい歌が自由に聞けるというのは、本当にどれほどありがたく、平和や希望そのものであるかということを、この映画で本当に教えられた。


映画を見終わった後、帰りがけ、近所のお菓子屋さんによってひさしぶりにエクレアを買って帰った。
本当にこの上ないおいしさだった。


エクレアを自由に食べることができるこの平和な世の中を、大切に守っていきたいと、あらためて思わされる一日だった。


公式HP
http://www.eclair-okashi.com/



王貞治・岡田武史 「人生で本当に大切なこと」を読んで


野球の王さんとサッカーの岡田さんの対談。
とても良い内容だった。
さすが、大変な苦労と重責を担う監督さんたちだけあって、なまなかな人生論を読むより、よほど良いことが書いてあった。


若者や子どもに向けてつくられた本のようだが、大人が読んでも相当ためになると思う。


特に、


「なにくそ」と思うか、「もういいや」と思うか。
そこに大きな違いが生じる。


「もっと良いやり方があるはず。もっとうまくなりたい。」という向上心と、「今度こそ必ず打ちたい、勝ちたい」という闘争心が、野球には不可欠ということ。


上手になる条件は、
一、好きになること
二、夢や目標を持つこと
三、自分で考え動くこと


不安がない人間はいない。
どんな深刻な悩みや不安でも命をとられるほどではない、餓死はしない、と思うと気が楽になる。


当たり前のことをあきらめないで粘り強くする。


小さな成功体験を積み重ねる。


「引きだし」を増やす。


この壁を乗り越えたら、すべてうまくいくんじゃないか、と思って見る。


人生はジグザグに進む。


ジャンプするには一度かがむ、と思って、退歩しているように感じられる時も前向きに考える。


迷う時があったら、ともかく一歩踏み出す。


練習は裏切らない。


出会いはきっかけ、生かすのは本人次第。自分で消化し、発展させる。


執念こそが勝ちにつながる。


達成感や感動こそが本当の報酬。


などなどのメッセージは、なるほどな〜っと思った。


軽くすぐに読めるので、多くの人におすすめしたい一冊。


やっぱり王さんは偉いなぁ。。

本当に野田政権を倒して政治が良くなる見通しはあるのか?

本当に野田政権を倒して政治が良くなる見通しはあるのか?


場合によっては、内閣不信任案が可決されるかもしれない情勢となってきた。


この二十年、短命政権ばかりころころ変えて、何かひとつでも良いことがあったろうか?
首相の首をすげ替えれば政治が良くなると思うのは幻想に過ぎないと、我々はもう十二分に知ってきたはずではないか?
愚かしい。


原発の観点から、野田さんに対し敵意を持つ人がどうも最近は多いようだ。
しかし、シリアやリビアのことを考えて欲しい。
デモに向かって発砲したり拷問を加える国など世界にはざらだ。
ましてや野田さんはデモの代表と対話すると言っている。
原発推進に熱心なのは首相というより、経産省官僚や経団連であることも忘れるべきではない。


野田さんを反民主主義だなどと言っている人々は、一度シリアか北朝鮮に行ってきた方がいいのではないか。
カンボジアでは今でも、何か政府を批判すると、いつの間にやら姿を消すことがざらにあるという。
言論の自由と対話の機会が我々にはある。
敵意や対立を煽るのでなく、理性と対話で政策を実現すべきだ。


ちなみにほとんどあまり知られてないみたいだけれど、野田さんは、これから独立行政法人を四割減らし、特別会計を17から11に減らし勘定も半分に減らすと明言している。
むしろこの言質をとって、特別会計のメス入れや改革を野田政権に進めさせた方が、行政改革のためにも良いのではないか。


小沢派は、特別会計の改革と口先では言うが、では具体的にどこがどう問題でどう変えるべきかということは全然言わないし、答えない。
それに比べれば、これから独立行政法人を四割減らし、特別会計を17から11に減らし勘定も半分に減らすと明言している野田さんの方が、余程特別会計改革も期待できる。


野田さんに明言してたとおりきっちり特別会計の改革をやってもらおう。
また、つい最近、野田政権で閣議決定された「日本再生戦略」も、ほとんどマスコミ等では取り上げられないが、明確に原発からグリーンへ移行することが説かれている。 
http://www.npu.go.jp/policy/pdf/20120731/20120731.pdf
菅さんの新成長戦略等を継承し、明確に原発からグリーンへ、グリーンイノベーションが記されている。
これの実現と、あと脱原発基本法の早期実現を図るためには、安易な短命政権化がいいのか私は疑問。


菅政権を無責任に叩き降ろして、何か一つでも日本にとって良いことはあったろうか?
かえって脱原発は減速し遠のいた。
同様に、野田政権を壊しても、良くなるどころかかえって悪くなる可能性も高い。
野田さんが言っている特別会計改革も遠のく。
政治の混迷も続く。
政治的麻痺が深刻化する。


政治とは、悪さ加減の選択の問題であり、無責任に見通しもなく何かを破壊すことは絶対に避けるべきであるという、最低限の政治的センスも慎慮も持たない国民は、主権者の資格ははっきり言ってほとんどない。
少なくとも、善き主権者とは言い難い。


無責任に反権力のポーズをとる方がカッコいいという感覚は、もういいかげんに卒業すべきだろう。
何かの政策を実現するためには、単なる反権力ではなく、緻密な情勢分析と、具体的な政策や目標が大事だ。


脱原発派が今すべきことは、脱原発基本法を実現することだ。
そうすれば、日本は変わる。
脱原発基本法の草案では、「政府は、毎年、国会に脱原発基本計画の実施状況に関する報告書を提出しなければならないこと。 」と年次報告が義務化されている。
この法案をなんとか実現すれば、国民や国会の監視が脱原発のプロセスについて行きわたるようにすることができる。


野田政権に、民主党に、今民主党内で提案されている脱原発基本法をしっかりと立法化してもらおう。
内閣不信任案が通って、選挙となり、また政界再編ごっこが続けば、それらはいったいいつになったら実現するのか。
大事なのは政局ではなく政策だ。


「安定した政治的統合を築くこと」これは誰かがやってくれることではない。
他ならぬ国民自身が、自ら心がけ、築かなければならないことだ。
そのためには、多少不完全な政権であっても、良いところがあればそれを伸ばし、支えるべきだ。
無責任な破壊は、政治的統合の不安定化と政治的麻痺を招くのみだ。
政局よりも政策。
まずは”脱原発基本法”の実現を目指そう。
特別会計の改革を支持しよう。
我々はこの国の部外者ではなく、当事者だ。
統治を批判すればいいものではなく、統治に参加している一員だ。
民主党であろうと、自民党であろうと、生活党であろうと、共産党であろうと、どの党派であろうと、我々は日本という国の一員だ。
もういいかげん、不毛な政界再編ごっこはやめて、政策を進めよう。
それが我々の同時代と、そして将来世代への責任だ。