フレデリック・ダグラス自伝 「数奇なる奴隷の半生」を読んで

数奇なる奴隷の半生―フレデリック・ダグラス自伝 (りぶらりあ選書)

数奇なる奴隷の半生―フレデリック・ダグラス自伝 (りぶらりあ選書)



フレデリック・ダグラスの自伝「数奇なる奴隷の半生」(原題は”An American Slave”)を読み終わった。


フレデリック・ダグラスは、十九世紀のアメリカに黒人奴隷として生れ、艱難辛苦ののちに独学で文字を身につけ、何度かの失敗のあとについに奴隷州から自由州への逃亡に成功し、そののちはアボリショニスト(黒人奴隷制廃止運動)の中心として活躍した人物。
この自伝では、生い立ちから自由州への逃亡に成功したところまでが描かれている。


南北戦争よりも前の時期の南部における奴隷制のひどさは、正直、想像を絶した。
ダグラス自身もそうだったのだけれど、黒人奴隷の子どもは、通常、生まれて一年以内に母親から引き離され、他の年老いた黒人女性に育てさせられたそうである。
親子の愛情が芽生え過ぎないように、また若い女性はすぐに労働力として働かせるためだったそうである。
ダグラス自身もそうだったが、当時は白人と黒人の混血の子どもが毎年数千人、南部では生まれたそうである。
黒人奴隷の女性への主人による暴行は日常茶飯事だったそうだ。


また、恒常的に黒人たちに振るわれた鞭と暴力のひどさは、本当に言語に絶する。
正直、この本を読みながら、かつてのアメリカの奴隷制における人権の無視の程度は、ナチスユダヤ人に対する態度とあまり変わらないと思えた。


そのような中、たまたま奉公に出された先の家で、少年だったダグラスは、比較的優しいその家の主婦から、アルファベットを少しだけ教えてもらった。
しかし、そのことを知った旦那が怒り狂い、黒人に文字を教えることは法律で禁じられているとその奥さんにやめさせ、その後はその奥さんも教えてくれなくなった。
だが、ほんの少し知った文字を手がかりに、ダグラスは近所の貧しい家の白人の少年たちと友達になり、さらに文字を教えてもらって、アルファベットを覚え、スペルも覚えていき、独学で文章が読めるようになっていった。


そうなっていったのは、ダグラスが、白人が黒人を支配する秘訣は黒人を愚かなままにしておくことであり、「自由への小道」は文字を知り知識や知恵を身につけることだと早くも気づいていたからだった。


ダグラスは、プランテーションで働かされることになると、自発的に日曜学校をつくり、仲間たちに文字を教えた。
しかし、そのことを知った白人たちに、日曜学校は強制的に解散させられてしまう。
しかも、そうした白人たちは、日ごろはキリスト教を熱心に信仰し、布教している人々だった。
ダグラスが描く南部のキリスト教の偽善というのは凄まじく、ダグラスの近所には牧師でありながら黒人奴隷を所有する人々がおり、しかもその黒人奴隷たちは鞭による傷跡が絶えなかったという。
また、白人たちが、黒人の赤子を売り払ったお金で海外の布教用の聖書をたくさん購入して教会に寄付し善いことをした気分になっていたということが記されているのを読むと、なんとも頭がくらくらしてくる気がした。


ダグラスは、別のプランテーションで働かされることになり、そこでは極秘裏に日曜学校をつくり、仲間に文字を教え続けた。
その仲間たちと、逃亡の計画を企てるが、密告者がいたために捕まり、別のところに売りさばかれ、また辛酸をなめることになる。


ダグラスは、白人の主人があまりに横暴だったために、ある時に相手に決然と抵抗し、二時間も格闘して相手を倒し、それからその主人は二度とダグラスを虐待しなくなったという。
それ以来、別のところに売りさばかれていっても、やられたらやり返すことを信条にし、そのために一対一では勝っても集団でリンチにされることがあったそうだが、ダグラスは誇りを失わずに生き続けたそうである。


やがて、ダグラスは船大工の技術を身に着け、造船所で働くようになった。
が、そこで稼いだ給料はすべて白人の主人に渡さなければならなかった。
ダグラスは、空き時間に自分で働いた分は自分の稼ぎにしてくれるように頼むと、主人は一定額を毎週支払い、そのうえ自分で食費や服代を稼いだ上であれば、そうして良いと約束する。
それはほとんど無理な話で、一定額を主人に支払い、しかも食費等を自分で賄うと、一週間働きづめに働いてもやっとその費用を捻出できるかどうかぐらいだった。
にもかかわらず、ダグラスは超人的な努力で地道に少しずつお金を貯めていった。


そして、ついにある時に、逃亡を決行し、無事に成功する。
逃亡先の北部の自由州では、はじめは途方に暮れていたダグラスにあたたかい支援の手をさしのべるアボリショニストたちがおり、ダグラスは結婚し、三年間ぐらいあらゆる仕事をした後、たまたま彼の雄弁が人々の目にとまり、請われてアボリショニストの集会で演説をしていくようになり、そしてこの自伝を執筆し、当時ベストセラーになり、黒人奴隷解放のための機運を高めるのに大きく貢献したそうだ。


ダグラスは自分が自由になった後も、南部の黒人たちの逃亡の手助けや逃亡してきた人々への援助をし続け、南北戦争後は、黒人の選挙権獲得の運動や女性の解放のために努力し続けたそうである。


つい百数十年前は、こんなことがこの地球上に平気で行われたということを、我々は忘れるべきではないと思った。
と同時に、この本の魅力は、そのような艱難辛苦にめげずに、自由を渇望し、希求し、信念を持って自由を求め続けたダグラスの不屈の精神と生き方なのだと思う。


もちろん、こんなにひどい状況に比べれば、現代の日本は、本当に恵まれた環境であるが、人々を無知や暗愚にとどめることが支配の秘訣だということは、また違った形で、現代社会にもともすれば巧妙に行われていることなのかもしれない。


「私は、満足した奴隷を作るためには、愚かな奴隷を作ることが必要だ、ということがわかった。奴隷の道徳的、知的洞察力を曇らせ、できる限り理性の力を消滅させることが必要なのだ。奴隷制に矛盾点を見つけることが可能であってはならないのだ。」(同書133頁) 


この洞察は、現代日本社会にとっても、ともすれば耳に痛いことではなかろうか。


「自由への小道」は学問であるというダグラスの認識は、現代においても本当に大事な知恵なのだと思う。