子どもの頃に読んでこわかった絵本

「今でも暗いところが怖い…」子どものころに読んでトラウマになった絵本
http://news.ameba.jp/20130224-179/




やっぱり、「ハーメルンの笛吹き」はけっこうこわい話ではなかろうか。
幼心に、なんとも言えない気持ちがいつもした気がする。
長じて、あれが東方十字軍と関連があるとか、人買いと関連があるという説や、貧困の問題と関連付けられて論じられているのを見た時、小さい時に漠然と感じた哀れさみたいなものが、直感的には正しかったんだと思ったものだ。


また、白雪姫の七人のこびとが、大人になってから、子どものころから鉱山で重労働をして、発育不全で身体が小さいまま老人になった人々がモデルではないかという説を聞いて、夢も希望もなくなった気がしたものである。


安寿と厨子王」の話も、あまりにも悲しかった。


今考えてみれば、子ども向けの話というのは、意外と怖さや悲しさの詰まった物語が多かった気がする。
しかし、そういう物語を読んで育てばこそ、人はこの世の悲しさも人の身の哀れさもある程度心得た人間になれるのだろうか。


あと、たぶん自分が子どもの時に読んだらこわかっただろうと思うのは、大人になってから読んだのだけれど、ロブ・ゴンサルヴェスの「終わらない夜」や「真昼の夢」や「どこでもない場所」。
っというか、これがどんな子どもを対象にしているのかよくわからない。


極めつけは、「ジキルとハイド氏」の絵本。
いったいどんな子どもを対象につくられているのか、大人が読んでもこわすぎる。


たぶん、我々大人が日頃見ている世界というのは、この世界のほんの一部なのだろう。
児童向けの絵本や物語は、その中にある得体のしれないものをしばしばよく現している。
本当は、子どもの時のみならず、大人になってから、それらを時に感じたり、その意味を考え直すことが大切なのかもしれない。

雑感 光海君と仁祖

ふと、これはあくまで私の印象論に過ぎないのだけれど、李氏朝鮮の十五代の国王の光海君と、十六代の国王の仁祖を、今の日本の政治を見ていると、連想させられる。
このあたりの歴史は、よく韓国の時代劇であるせいでもあるけれど、なかなか考えさせられる歴史である。


光海君は、その名が「宗」ではなく「君」にされていることからわかるように、廃位された王である。
李王朝の五百年の歴史の中で、強制的に廃位された王は、光海君と燕山君の二人しかいない。
(端宗も事実上は廃位だが、一応自発的な譲位という形になっている。)


燕山君が史上稀なほどの暴君だったのに比べて、光海君は決して暴君だったわけではない。
むしろ、聡明な国王だったようである。


光海君は先代の国王の宣祖の時に豊臣秀吉に国土が蹂躙されて荒廃したのを、多大な努力で復興しようとした。
もともと、秀吉が攻めてきた時も、宣祖は国民を見捨てて明の国境を越えて逃亡したのに対し、世子として朝鮮に踏みとどまって抵抗の中心となった人物だった。


しかし、復興には莫大な資金がかかり、廃墟となった宮殿の再建にも巨額の資金がかかるため、重税を課すことになった。
しかも、そう一朝一夕に何もかもすぐに回復するわけではない。


そのうえ、当時は、明が衰退し、女真族の後金(のちの清)が台頭してきていた。
光海君はその情勢を的確に把握し、明と適度な距離を置きながら、後金ともうまくやっていく外交を心がけた。
しかし、そのことは、今まで明を宗主国として崇めてきた事大主義の朝鮮の両班たちには受け入れがたいことで、蛮族である女真族に媚び、宗主国の明に不実なろくでもない君主だと反発された。


光海君は、多大なストレスからか、やがて酒食に溺れるようになった。
また、信頼できる家臣があまりにも少なかったため、李爾瞻などの奸臣を重用し、それらの人々の横暴な振舞は、やがて光海君への怨嗟となった。


また、李王朝の毎度のことだが、王家の内部での骨肉の争いがあり、光海君には臨海君という兄と永昌大君という幼い弟がいたが、その二人とも、心ならずも殺すことになる。
永昌大君の母親の仁穆大妃(つまり光海君にとっては年下の継母)を十年間も西宮という宮殿に閉じ込めることになる。


こうしたことから、ついに家臣や国民の不満が噴出し、光海君にとっては異母弟の息子、つまり甥にあたる人物が担がれ、仁祖反正というクーデターが起こり、光海君は廃位させられ、済州島流罪となった。
光海君はそこで十九年間過ごした後、結局殺されることになった。


仁祖は、王位を継ぐ時は聡明な人物と思われ、皆から期待され、世も改まったと思われたそうである。
しかし、明に忠義を励み、後金を敵視する政策をとった結果、清(後金)の大軍に攻められ、二回も大敗し、特に二度目は自ら清の将軍の前で土下座し、五十万以上の国民を捕虜として連行され、世子まで人質に出して、やっと自分の命と王位だけはつなぎとめた。
人質となった世子の昭顕世子は英明な人物で、北京で清の高官とも人脈をつくり、当時北京に来ていたイエズス会の宣教師らを通じて西洋の科学技術の摂取にも努めたそうである。
しかし、その昭顕世子が帰国すると、蛮族にかぶれ、しかも王位を狙うと考えた仁祖は、自らの子どもなのに毒殺した。
国内は停滞し、荒廃したが、仁祖は自らの王位を守るのには長けていたようで、無事に天寿を全うし、通常の「宗」ではなく格別な功績のあった王にのみ贈られる「祖」の呼び名で呼ばれる王として歴史に記録されることになった。


だが、後世から見た時に、光海君と仁祖の、どちらが妥当な政治を行っていたかは、当時とはかなり異なる評価があることだろう。


どうにも、菅さんと安倍さんを見ていると、この二人の人物が私には連想させられる。
などと言うと、安倍さんの支持者からは激怒されそうだけれど、どうも最近は特にその感が強まってきた。


朝鮮の歴史には「事大主義」という言葉があるそうである。
要は、明や清などの巨大な中華に仕え、改革や新しいものを拒み、強いものに媚びへつらい、因循姑息なありかたを指すようである。
李王朝の歴史の基調は、この事大主義だったようだ。
もちろん、例外は時折はあったようで、その事大主義を変えようとする人物も時々はいたようだけれど、だいたい大勢としての事大主義にかなわず、いつも新しい芽は摘まれてきたようである。


日本は、江戸時代を見ると、相対的に、李王朝ほどは事大主義の風潮が強くはなく、朱子学に対して、陽明学や古学、国学蘭学などの、対抗思想や対抗文化が存在し続けた。
また、李王朝のように国王と両班のみに権力が集中せず、朝廷と幕府と諸藩とで適度に権威や権限が分割され、しかも富裕な町人や農民がそれなりの財力を持っていた。
李王朝のような科挙もなく、変な学歴主義が江戸期の日本ではそれほど幅をきかせることはなかった。


しかしながら、今の日本を見ていると、どうも江戸時代の日本よりも李王朝に似ている気がしてならない。
仁祖がどのような容姿だったのか、写真が当時はないのでわからないが、おそらくはそれなりにスマートで貴族的な顔立ちをしていたのではなかろうか。
ちょうど安倍さんのような。
そんな気がしてならない。

ヘミングウェイ 「老人と海」

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

この小説は、なんと言えばいいのだろうか。


読みながら、ひどく退屈なような気もしたし、一方で、とても面白かったような気がした。
深い内容な気もしたし、浅いような気もした。


なかなかうまく形容できないが、物語は単純。
ある年老いた漁師が、海で巨大な魚と格闘し、ついに仕留める。
その魚はあまりに大きくて船に引き上げることができないので、横に縛って港まで帰ろうとするが、途中で鮫に何度も襲われ、ついに骨だけになってしまう。


老人が渾身の力を振り絞って闘ったことは無駄だったのか。
また、魚の死も、その魚を食べようとして老人に殺された鮫の死も無駄だったのか。


徒労のような気もする闘いだったが、その一方で、そこには渾身の力をこめた、緊迫した生のドラマがあったことも事実。


思えば、人生というのも、そのようなものかもしれない。
長い忍耐や、必死の格闘。
そして、その成果たるや、束の間のもので、結局最後はすべて無に帰すのが、生れてから死ぬまでのこの人間の人生というものかもしれない。
必死に生きて戦っても、最後は手ぶらで死んでいかないといけない。
老いや生きるためのややこしいさまざまなことや病気や痛みも始終降りかかってくる。
運不運にも左右される。


しかし、にもかかわらず、この老人は、あえて闘った。
全力で生きた。
そのことを、ヘミングウェイは伝えたかったのだろう。


ほとんどの人は老人のこの格闘の意味もわからないし、覚えてもいない。
最後は、観光客が、やたら巨大な魚を、ちょっとだけなんだろうと思いながらも、あまり気にもとめない様子が描かれる。


しかし、老人と友達の少年だけは、涙を流して戻ってきた老人のために飲み物を用意し、疲れ果てて眠っている老人の介抱をする。
きっと、その少年の心の中だけには、老人は英雄として残っていくのだろう。


人間は、精一杯懸命に生きれば、決して多くの人の心にではなくても、ほんのわずかには、自分のことを理解し、心にその姿をとどめてくれる人がいるのかもしれない。
それだけで、その人の人生は十分立派なのだと思う。


生きることは大変だが、冒頭の方で、長く運に見放されていてなかなか漁がうまくいかない老人が、それでも自信に満ち溢れ、決してうなだれたりしない様子は、胸を打つものがある。
人は、どのような状況でも、たしかに自信を持って生きるべきなのだろう。
そして、全力を尽くして、生きて闘うべきなのだろう。


そんなことを考えさせられる作品だった。

絵本 「彼の手は語りつぐ」

彼の手は語りつぐ

彼の手は語りつぐ


南北戦争の頃にあった実話を元にした絵本。


主人公の白人の十五才の少年・シェルダンは、北軍の兵士となって戦場へ行くが、そこでひざを鉄砲で撃たれ、身動きがとれなくなり、部隊に取り残されてしまう。


そこを、たまたま通りがかった、同じく北軍の兵士で、部隊からはぐれてしまっていた黒人の少年・ピンクス・エイリーが見つけて、シェルダンを抱えて何日も歩き、自分の家まで連れて行く。
ピンクスの家では、ピンクスの母が、シェルダンのケガの手当を優しくしてくれた。


シェルダンは、徐々に回復するが、もう戦場に行くのは嫌だと思う。
しかし、ピンクスは、それでも自分は戦場へ戻るという。
シェルダンがどうしてそこまでと尋ねると、


「おれの戦争だからだよ、セイ。お前の戦争でもある。そうだろ?おれたちが戦わなければ、だれが戦うっていうんだ」


とピンクスは答える。
この国の病気である奴隷制を終らせるためには、自分たちが戦わなければならないと。


やがて、シェルダンは完全に回復し、二人で戦場に戻ろうと考えている矢先に、南軍の兵士たちがやってきて、間一髪でシェルダンとピンクスは地下室にかくれるが、ピンクスのお母さんは南軍の兵士に撃ち殺されてしまう。


二人は、嘆き悲しみ、出発して北軍に合流しようとするが、途中で南軍に見つかって、捕虜になり、シェルダンはピンクスと引き離され、アンダーソンビル収容所に入れられる。
そこは、多くの北軍の兵士がろくに食べ物も与えられず、多くが餓死で死んでいった収容所だった。


シェルダンは、南北戦争が終わり、ガリガリに痩せていたが、なんとか生きて帰ることができた。
しかし、ピンクスは、後から聞いた話では、引き離されてすぐに絞首刑になっていた、とのことだった。


シェルダンは、もう誰も他に覚えていないピンクス・エイリーを、自分だけは覚えていなければと思い、ピンクスとの思い出と、握手した時のことを、自分の子どもや孫に語り継ぎ、その子どもや孫はさらにその子へと語り継ぎ、ひ孫の子がこの作者だという。


歴史や、その中での勇気や思いは、本当に語り継ぐことこそが大切なのだろう。


とても胸を打たれる絵本だった。
多くの人に読んで欲しい。

メモ 判断の基準

何が良いか悪いか判断する時の基準。


一、自分にとって悪くないか良いか、他人にとって悪くないか、良いか、自他ともに悪くないか、良いか。
の三つの基準で考える。


二、結果を、法律・マナー・カルマの三つから考える。


三、そのもととなるものが何か、欲か怒りか判断し、対処する。

映画 「七つの贈り物」


自分がかつて交通事故で多くの人を死なせてしまった贖いのために、臓器をいろんな人に与え続け、最後は最愛の人に心臓まで与える男性の物語。


ウィル・スミスが好演していて、絵空事ではない、見ごたえのある作品になっていた。


ここまで、自分は人に与え続けることができるだろうか。
菩薩というのは、こういう人のことなんだろうなぁと思った。

絵本 「あなたがもし奴隷だったら」

あなたがもし奴隷だったら…

あなたがもし奴隷だったら…


圧倒的な迫力のある絵と、深い文章によって、深く心に響く一冊となっていた。


奴隷船の悲惨さ。
途中の海で投げ捨てられた多くの人々。


単なる商品として、労働力として、ひどい扱いを受け続けた、多くの奴隷にさせられた人々。
そのような立場に、もし自分がなったとしたら、どれほどの悲しみや嘆きや怒りがあるだろうか。


ただ、この絵本を読んでいて思ったのは、それほどの苦しみの中でも、しっかりと生き抜いた人々がいたからこそ、今もアメリカに多くのアフリカ系の人々がいるということなのだろう。
「気高さには無数の顔がある。」とこの絵本で語られるが、フレデリック・ダグラスのようなリーダーも、ほとんど歴史に名が残ることもなく、ただ黙々と耐えた人々も、それぞれに、本当によくぞ耐えて生きた人々だったと思う。


あと、この絵本に書いてあって、はじめて知ったのだけれど、逃亡した奴隷の中には、インディアンの住む土地に逃げ、そこでインディアンの人々にかくまわれた人々もいたそうである。
中には、インディアンと一緒に、さらに多くの奴隷を逃がすために引き返してきた人々もいたそうだ。


また、何もかも剥奪されている生活の中で、自分たちの物語を語り継ぎ、歌をうたいついだ人々の姿には、本当に胸を打たれる。


白人たちの暴力と残酷さにはただただ唖然とするほかないが、すべての白人がひどかったわけではなく、中には命がけで黒人奴隷の逃亡を助け、奴隷制廃止のために尽くす白人もいたことも、きちんとこの絵本は描いている。
奴隷を助けることを禁じる法律までのちにできたことを考えると、それでも命がけで黒人奴隷の解放のために尽くしたアボリショニストの人々の勇気は、本当にすごかったと思う。
自分が同じ立場だったとして、同じ事ができたろうか。


南北戦争では、多くの黒人が、北軍の兵士となって戦った。
リンカーンだけが自由を与えたのではなく、黒人たちが、自らのために、また国家のために、なしたことを忘れてはならないのだろう。
「自由は与えたり、与えられているするものではない。だれかが戸の鍵をはずすことはできる。戸を少し開けることもできる。だが、そこを歩いて出るのは本人だ。」
というこの本のメッセージは、本当にそのとおりと思う。


「自由。自分と自分の生き方に責任を持つこと。
自由。自分を所有すること。
自由。自分が自分の主であること。
自由。それは責任をともなうひとつの約束ごとだ。それをどう守っていくかのか、われわれは今なお学び続けている。」


ラストで語られるこのメッセージは、本当に考えさせられる。


おそらく、奴隷制を考えることは、自由とは何かを考えることでもあるのだろう。
そして、人間とは何か、人間の権利とは何かを考え、学ぶことでもある。


多くの人に、ぜひ一度は読んで欲しい一冊。

雑感 奴隷制等に関して

アメリカの奴隷制に関する本や絵本を最近少し読んでいて、ただただ唖然とする他ない歴史に、いろんなことを考えさせられる。


人間がどうしてここまで残酷になれるのか。
本当に不思議で仕方ない。


白人のすべてが悪いわけではなく、中にはアボリショニスト(黒人奴隷制廃止論者)の白人もいて、命がけで黒人奴隷の逃亡の手助けや奴隷制廃止のために尽くしていた歴史もある。


とはいえ、ちょっと他の人種は、ここまで残酷にならないのではないかという気がしてならない。
オラウダ・イクイアーノが自伝の中に書いているけれど、アフリカの内部でも奴隷制はあったが、白人の奴隷制ほど冷酷ではなかったようである。


とはいえ、他国の欠点は見えやすく、自国の欠点は見えにくいのかもしれない。
日本の歴史も、ひも解けば、おそらくはまた違った形で、いろいろ負の側面もあったのだろう。
戦国時代なども結構奴隷制があったようで、大坂夏の陣のあとは何千人という人が奴隷として売られていったという。
遊郭の女郎も一種の奴隷のようなものだろう。
金や銀の鉱山労働者も、まぎれもなく一種の奴隷のような状態だったらしい。
地域にもよるのだろうけれど、ひどい藩の場合は、重い年貢のもとに喘いで、抵抗もままならなかった百姓も、一種の奴隷や農奴みたいなものだったのだろう。


近代に入ってからも、女工哀史や吉原や炭鉱労働者や小作人など、いろいろな歴史があったろう。
国内においてもそうだったし、朝鮮や中国からの労働者の置かれた状況も、ひどいものだったろう。


もうだいぶ前に見たNHKスペシャル番組で、在日朝鮮人の若い大学生ぐらいの人々が、たしか福岡の赤池あたりの山の方だったと思うが、自分たちの祖父母やその兄弟などが眠っているという墓地に行くのだけれど、日本人の墓石のある墓地のはずれに、犬猫の墓と一緒に、墓石などなく、ただごろごろと少しだけ石が置いてあるだけの場所があって、「鮮人の墓」という標識がちょっとだけあるだけの場所で、そこがお墓だと聞いて、その若者たちが絶句して涙を流していたのを見て、私もテレビを見ながら絶句した記憶がある。


どの国にも、それぞれに、ひどい歴史や悲しい歴史があるのだろう。
大事なことは、忘れないことなのかもしれない。


今私たちが享受しているいろんな権利や生活というものは、一朝一夕にはできない、過去のいろんな人々の苦労や苦闘や涙の上に築かれてきたものなのだろう。