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2013-06-19

ラビ・トケイヤー 「ユダヤ製国家日本」


タイトルだけ見ると、トンデモ本の一種かと思いきや、内容はとても興味深いものだった。


この本には、ユダヤと日本の、あまり知られていない、面白い歴史の逸話がたくさん載っていた。

私も知らないことが多々あり、へえ〜っと思うことがいっぱいあった。

著者はユダヤ人で、ユダヤ教のラビである。


たとえば、

種子島に鉄砲をもたらした最初期の人間の中に、メンデス・ピントというマラーノ(改宗ユダヤ人)がいたという話は、私はよく知らなかったので、とても興味深かった。

メンデス・ピントは膨大な旅行記も書いているそうで、日本語訳も出ているそうである。


また、明治期のお雇い外国人の二割ぐらいはユダヤ人であり、大日本帝国憲法の起草に大きな影響を与えたアルベルト・モッセや、日本における歴史学の父のリースらもユダヤ人だったという。

アレクサンダー・マークスという成功したユダヤ商人は、明治のかなり長い期間、オーストラリアにおいて日本の領事として働いたそうだ。


さらに、『坂の上の雲』にも登場したので知っている人も多いかもしれないが、日露戦争の時に膨大な日本の戦費を分担したのは、ヤコブ・シフというユダヤ人だった。

ヤコブ・シフは全世界のユダヤ人たちにも呼びかけ、日本の戦時公債の半分以上は、ユダヤの人々の資金で賄われたそうである。

明治天皇はそのことに深く感謝し、ヤコブ・シフを宮中に招いて労をねぎらったし、昭和天皇は戦後になっても、赴任してくるイスラエル大使には必ずヤコブ・シフへの感謝を口にして謁見したそうである。


また、シェル石油創業者のマーカス・サミュエルは、もともとは横浜起業して成功した人物で、最初に商売として手掛けた日本の貝がら細工から、あのシェルのマークをとっているというエピソードも興味深かった。


また、ソニーニコンが世界的に成功することに大きな助けとなったユダヤ人エピソードも紹介されていた。


著者はまた、シベリア鉄道によって満洲国境のオトポールというところまで二万人ものユダヤ人が逃れてきた時に、東条英機と安江仙弘と樋口季一郎という三人の軍人の決断によって、満洲の国境を開いてそれらの人々を受け入れ、それらの人々の命が助かったことを特筆している。

著者は、安江と樋口はユダヤ人の感謝名簿であるゴールデン・ブックに名前が記載されているが、本来は最終的な判断者であり、ドイツ圧力に屈せずに人道的判断からユダヤ人を受け入れることを決断した東条の名が載っていないことを、とても残念がっている。

歴史にはいろんな側面があるが、東条にはこのような面もあったのかと思うと、たしかにその点に関しては立派だったと思えた。


さらに、第二次大戦の後の占領期、GHQの中で大きな影響力を持ったGSのケーディス大佐もユダヤ人だったという。

GHQの中で、農地改革の指揮をとったウォルフ・ラジンスキーも、民法改定を担当したアルフレッド・オプラーも、労働法を担当したセオドア・コーエンユダヤ人だったそうだ。

さらに、日本国憲法の起草者の一人で有名なベアテ・シロタもユダヤ人だったそうである。


こうやって見てくると、日本の歴史には非常に大きくユダヤ人の人々が関わっているものだとあらためて驚かされる。

この本には書かれていないが、そういえば、戦国時代に日本で多くの外科手術や医療を行って人々の命を救ったアルメイダ神父も、もともとはマラーノ、つまり改宗したユダヤ人だったという話を聴いたことがある。


この本で、もう一つ面白かったのは、日本とユダヤの関係は、日本がユダヤから影響を受けるだけでなく、日本がイスラエルに大きな影響を与えたこともあったというエピソードである。


イスラエルでは、知らない人がいない建国の志士の一人に、トランペルドールという人物がいる。

そのトランペルドールは、元々はロシアの貧しいユダヤ人だったが、ユダヤ人への迫害や差別をなんとか改善したいと思い、軍隊に志願して、日露戦争に出征したそうだ。

そして、旅順要塞で勇敢に戦い、片腕を失ってもなおかつ勇敢に戦い、ユダヤ人としてはじめてロシア陸軍少尉にまでなったそうである。

旅順要塞が降伏したあと、トランペルドールは日本に数千人のロシア捕虜の一人として渡ったが、そこで卓越したリーダーシップを発揮して多くの捕虜たちをまとめ、収容所の中で学校をつくり、多くの人に慕われたそうだ。

さらには五百人ほどいたユダヤ人出身の兵隊たちとも固い結束をつくり、その人々とともに、ロシアに帰国を許された後、イスラエルの地に渡って、最も最初期のユダヤ人農業共同体をつくり、それが中核となって、のちのイスラエルに発展していったそうである。

しかし、トランペルドールは、志半ばで、1920年アラブの武装集団に銃で撃たれて死んだそうだ。

ランペルドールは、日本で捕虜となっていた時に、「国のために死ぬほどの名誉はない」と収容所の世話をしているある日本の兵士から言われてとても感動し、折々にこの言葉をユダヤの人々に語り、銃で撃たれて死ぬ時も、この言葉を遺言して語ったという。

ランペルドールが死んだ後、その腹心だった人物がトランペルドール運動(BETAR運動)というトランペルドールの精神を引き継ぐ運動を起し、のちのイスラエル首相や指導者たちが、この運動に参加していた若者の中から輩出したそうである。


私は恥ずかしながら、トランペルドールのことは全然知らなかったので、とても興味深かった。


歴史について、通常の切り口とは違う、非常に面白い角度とエピソードの詰まった、とても面白い本だった。

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