里中満智子 「フィガロの結婚」

フィガロの結婚 (マンガ名作オペラ (6))

フィガロの結婚 (マンガ名作オペラ (6))


この巻には、「フィガロの結婚」「魔笛」「ドン・ジョバンニ」「セビリアの理髪師」の四つの作品を、里中満智子が漫画化したものが収録されている。

どれも、とても面白かった。

映画「アマデウス」の中にも登場する、モーツアルトの傑作オペラの数々で、このうち、私は「ドン・ジョバンニ」だけ随分昔に劇で実際に見たことがある。
あとは、「アマデウス」の作中で少しだけ、またCDで聴いたことがあるだけだが、どれもこんな物語だったのか〜っととても面白かった。

特に、「魔笛」は本当に不思議な、魅力的な物語だと思う。
二河白道とよく似た箇所が出てくるのも興味深かった。

里中満智子 「椿姫」

この巻には、「椿姫」「アイーダ」「リゴレット」「マクベス」の四作が収録されている。

どれもとても胸を打たれた。

悲しい物語が多いが、それでも、人を愛することは美しいと思う。

また、愛や道徳を無視した場合、結局はむなしいのだろうとも思った。

中沢啓治 「ユーカリの木の下で」

ユーカリの木の下で (中沢啓治平和マンガシリーズ 3)

ユーカリの木の下で (中沢啓治平和マンガシリーズ 3)





とても良い作品だった。

広島で被爆したことを長く自分の子どもに語らずにいた主人公。
母が亡くなり、二十五年ぶりに広島に戻り、三十二年前の出来事を息子に語る。


当時、軍国少年だった主人公は、学校でもそのように教えられ、ガダルカナルで戦死した父の仇を討とうと思い、無邪気に日本の正義を信じていた。
しかし、中国大陸で二百人以上を殺したという町内の退役軍人の自慢話を聴いたり、同級生の朝鮮人の子どもの話を聴くうちに、また父の戦友から母が聞いたという父のむごい死に方を聞くうちに、少しずつ考えが変わっていく。


さらに、同級生の親友の父が、特高警察に捕まり拷問で殺され、その友人をユーカリの木の上にかくまって暮すうちに、大きく考えが変わっていくが、八月六日の原爆投下で、あとかたもなくその親友は死んでしまい、街は焼野原になってしまった。


主人公は、久しぶりに帰った広島で、半分は焼けた跡が残りながらも、なおユーカリの木が残って生きてくれていたことに感動し、自分の息子に当時の思い出を語る。


その親友が、かつて教えてくれた、平井鉄太郎という当時の特高から弾圧を受けていた思想家の言葉が、心に残った。


言論の自由なき世は
うばたまの
心の闇の牢獄とぞ思う
戦えば 必ず勝つと自惚れて
いくさを好むバカな軍人
我が力 かえりみもせで 
ひたすらに
強き言葉を民は喜ぶ」


昭和初期に、リアルタイムに、これほどの勇気ある言葉をいた人がいたということに驚くし、そのような言葉を言った時に、いかにひどい目に当時は遭ったかということにもあらためて考えさせられた。


良い作品だった。


また、この巻には、「チエと段平」という短編が収録されている。
目の見えない女の子のために、一生懸命尽くすチンドン屋の主人公の物語なのだけれど、この物語、どういうわけか、私は昔、誰かから聞いたことがあったような気がする。
読んだことはなかったと思うのだが、不思議なものだ。
短いが、心に残る物語だった。

写真集 「神の島 沖ノ島」

神の島 沖ノ島

神の島 沖ノ島


玄界灘に、沖ノ島という絶海の孤島がある。

そこは、海の正倉院といわれていて、古代に祭祀が行われた聖なる島である。

神主だけが渡ることができ、一般人は一年に一度、あらかじめ申し込んだ人だけ、行くことができる日があるが、それ以外は行くことができない。
未だに女人禁制である。

かれこれ十年以上前、私も一度だけ、その島に行ったことがある。

この写真集を見ながら、とてもなつかしかった。

とても美しい自然と神々しさがある、不思議な島だと、写真集を見ながらあらためて思った。

日本には各地に良いところや聖なる場所があるけれど、この島は、その大切なひとつだと思う。

これからも、ずっと大切にされて欲しいものだ。

絵本 「海時計職人 ジョン・ハリソン」

海時計職人ジョン・ハリソン―船旅を変えたひとりの男の物語

海時計職人ジョン・ハリソン―船旅を変えたひとりの男の物語


すばらしい絵本だった。


18世紀まで、世界中の船は、海の真ん中を航海している時には、正確には自分たちがいまどの場所を航海しているかわからなかった。


太陽の観測などで、いちおう緯度は割り出せたものの、経度の割り出し方が存在しなかったのである。


もし、正確な時計があり、出発地点の時刻がわかれば、現在地点の時刻を太陽の観測から割り出して、その差で経度を割り出し、緯度と合わせて現在地点を正確に割り出すことができる。


しかし、当時の時計は振り子時計だったため、船の揺れにより狂いやすく、とても正確な経度は割り出せなかった。


小さい頃から器用だったジョン・ハリソンは、そのことを知り、四十年もの歳月を、正確な時計づくりに費やした。
ひたすらその研究にすべてを捧げて、四十年間でわずか五個の時計をつくった。


その間は、助成金が出ることもあったが、出ないこともあり、貧しい中で、コツコツと努力した。


ついに、非常に正確に動く懐中時計を開発し、長年の労苦が報われた。


そのおかげで、正確な地点を割り出しながら航海ができるようになり、オーストラリア等を探検したキャプテン・クックは、ハリソンの時計のおかげだと述べていたそうである。


18世紀イギリスは、多くの偉大な人が生まれたが、その中でも、実は一見目立たない、このジョン・ハリソンこそ、最も偉大な人物だったのかもしれないと、読んでいて思った。

絵本 「米百俵の心 小林虎三郎の決断」

ビジュアル絵本 米百俵の心 ~小林寅三郎の決断~ (ビジュアルふるさと風土記)

ビジュアル絵本 米百俵の心 ~小林寅三郎の決断~ (ビジュアルふるさと風土記)


小林虎三郎の「米百俵」の物語を描いた絵本。


有名な物語だが、あらためて絵本で読むと、胸を打たれた。


小林虎三郎は、幕末の長岡藩の人物で、佐久間象山の弟子で、吉田松陰のライバルだったほどの優秀な人物だった。


しかし、ペリーの黒船来航に関して藩主に意見をしたため、長い間、小さな部屋から一歩も出れない生活だった。
その間も、その部屋を「求志洞」と名付けて、ひたすら学問をして過ごした。


やがて、戊辰戦争が起こり、幕府方となった長岡藩は、戦争に敗れて焼野原となった。


その時、藩の教育を担当することになった小林虎三郎は、どんなに苦しくても教育こそが将来の国を支えることをみんなに説得し、貴重な百俵分の米を、すぐに食べてしまわず、学校づくりの資本金とした。


その結果、多くの人材が長岡から育ったそうである。


苦しい時に、目先のことを考えるのではなく、教育を大切にした小林虎三郎は本当に偉大だと思う。


この「米百俵」のエピソードは、今から十数年前、小泉さんが首相になった直後に国会の演説の中で引用し、当時は多くの人の胸を打ったものだった。


ただ、あれから十数年が経った今、振り返ってみると、本当にその後の日本は、この小林虎三郎の「米百俵」の精神を実現してきたのか、むしろ正反対のことばかりしてきたのではないかという気がする。
今は、奨学金を返済できず、苦労している学生が多い。
銀行の不良債権原発事故を起こした電力会社には政府が公的資金を注入したり、土建には多額の公共事業を行うのに、はるかに金額が少ない学生の奨学金は、厳しく取り立てる。
また、正社員の採用を減らし、スキルの身につかない非正規雇用ばかりを増やす。
これらは、どう考えても、米百俵の精神の正反対だと思う。


本当の意味で、小林虎三郎米百俵の精神を生かす日本になって欲しいと、あらためて思ったし、そのためにも、多くの子ども、そして大人に読んで欲しい絵本だと思った。