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elm200 の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2010-03-15

日本に「明治維新」は再びやってこない


今年の NHK大河ドラマは、坂本龍馬が主人公らしい。そのせいか「私は坂本龍馬になりたい」とか言う政治家が出てきたり、龍馬の話題で日本はなかなかにぎやかなようである。私は、歴史小説家の司馬遼太郎のファンで、彼の作品「竜馬がゆく」は昔からの愛読書であった。

幕末の志士たちの、自己の利害を超えた清々しい生きざまは、多くの日本人たちを魅了してきた。いまの日本の経済的・社会的危機を幕末になぞらえ、ふたたび「明治維新」の出現を期待する向きもある。

だが、残念ながら、このままでは日本に「明治維新」はやってこないだろう

なぜか。

明治維新というは、一見狂った運動である。なぜかといえば、支配階級である武士たちが、自らその存立基盤である封建社会を破壊してしまったからである。(実際、そのことに不満をもった旧武士階層が、西南戦争を起こすに至るのだが)

そこには「天皇こそが日本の正当な統治者である」と主張する尊王論の存在がある。水戸学とも呼ばれる、幕末の知識人たちを動かした巨大なイデオロギーである。

幕末の下級武士たちは、天皇のほうが、世俗の最高権力者である将軍より偉いのだ、と心から信じていたから、彼らは自分たちの寄って立つ社会基盤を自ら破壊することができたのだ。*1

天皇の方が、将軍より本当に偉いのかどうか。それは科学的論証の対象というより、信念の問題で、やや宗教に似ている。だが、信念は、無から現実を作り出す力を持っている。それは、数千万の人たちを現実に動かし、社会を塗り替えていく。

もし尊王論がなければ、幕末の日本人たちは、置かれた社会的立場を乗り越えて一致団結することができず、中国朝鮮のように、なすすべもなく外国の植民地にされていたかもしれない。そういう意味ではこのイデオロギーは日本を救ったのである。

ところが歴史は皮肉なものだ。尊王論は、皇国史観という形で、戦前の学校教科書の中で具現化した。そのイデオロギーをたっぷり吸って成長した子供たちは、やがて、アジアへの無謀な侵略戦争を開始した。現実には、さまざまな政治力学が働いたにしろ、建前としては、戦前の日本社会で皇国史観に真っ向から反対することは許されなかった。天皇の名において、戦争は遂行された。それは、イデオロギーが常にそうであるように、現実に基づく計算において行われたものではなかった。戦争という巨大プロジェクトの資源配分に関して、空想的なほど甘い見積もりは、悲惨な現実によって報われた。日本は敗戦したのである。同じイデオロギーが今度は日本を滅ぼしたのだ。

戦後の日本は皇国史観を正式に放棄した。日本を占領したアメリカの意向に沿って、代わりに民主主義平和主義を新しいイデオロギーとして据えたはずだった。しかし、これは所詮は「舶来物」であり、日本人の心の深い部分まで根を下ろしたとは言いがたい。

むしろ、日本人の新しい心の寄りどころになったイデオロギーは、年功序列終身雇用の「会社主義」であったと思われる。そうでも考えないと、いまだに日本の学生たちが大企業に殺到している姿が説明できない。もちろん、大企業での仕事は他の仕事より金銭的な報酬は高いのかもしれない。しかし、それだけだろうか。日本人の多くが「いい大学を出て、いい会社に入って、昇給・昇進して、定年まで勤め上げ、幸せな一生を過ごす」という以外の成功の物語が思いつかないのではないか。

革命には、必ず説得力に満ちた新しい思想が必要である。外部の力によって旧権力が倒されるとき、そこには必ず内部の呼応者がいるのである。幕臣でありながら、倒幕勢力に深い理解を示していた勝海舟のような人物である。

今の日本には、既得権益層さえ、自ら権力を手放さなければならないと確信させられるような、新しい思想がまだ現れていない。もし、目先の物質的な欲望だけが問題であるというなら、既得権益層と窮乏する者たちは、永遠に争いを続け、決して新しい秩序を生み出さないだろう。

イデオロギーという物語は、時に人間を生かしもし、殺しもする。しかし、人間は悲しい生き物で、思想的真空に耐えられない。ならば、せめて古い物語を捨て、新しい現実に即した新しい物語を手に入れることはできないか。古い「会社主義」という物語を乗り越える、新しい物語の創造がいま求められているのではないだろうか。

*1:もちろん、幕末の指導者たちは革命のプロセスが進むにつれて、もっと現実的になっていったわけだが。少なくとも末端の志士たちは、もっと素朴に尊王論を信じていただろうし、そうでなければ、あれだけの力を動員できなかっただろう

FFFF 2010/03/15 21:49 会社主義の崩壊は既にはじまっています。あと20年もすれば日本は様変わりしているだろうと確信しています。ワクワクしますね。その時に痛い目を見るのは、今どき会社主義にしがみつこうとしているようなタイプの若者でしょう。

upixupix 2010/03/16 05:50 先日会社のミーティングで、自分の親が会社員もしくは公務員だったか、そのお父さんはどうだったかの質問をしました。おじいさんの代までさかのぼると会社員は半分以下になっていました。現代は皆会社員時代ですが、つい2世代前まではそうでもなかったという事実を考えると、自分たちの2世代後では、「昔はほとんどの人が会社員だったんだよ」と語る時代が来るかもしれません。その時がどんな組織に皆が属するのかまだわかっていませんが・・・。

tonbei5tonbei5 2010/03/16 06:52 明治維新を現在に当てはめようとする場合、何をもって維新的な改革の中身とするのかが問題でしょうね。
つまり、明治維新が現代では不可能という場合、今ならば何をもって明治維新に匹敵とする改革とするのかを
もって明確にすべきでしょう。
わたしならば、地方分権とします。地方分権が やりかたによって明治維新に匹敵する中身をもった改革になりうる。あくまでも、やり方によってはです。
明治維新が今は不可能という場合、私の考えからすると、地域主権改革は不可能と聞こえてしまう。
明治維新が 中央集権改革であったとすれば、 平成維新は その逆向きの改革でなければならない。
つまり、中央集権から 地域集権です。

tonbei5tonbei5 2010/03/16 06:54 訂正 集権 → 主権

んーんー 2010/03/16 22:57 新会社法施行による株式会社の最低資本規制撤廃をきっかけとして開業率が閉業率を上回っているときがあります。
実質的には資本金そのものは従来通り必要だから意味がないといえば意味がないのだけれど、ちょっとした制度の変更で事態がよくなる例です。
明治維新とまでいかなくても大きな変化を起こすだけのちょっとしたきっかけを作ることはできると思います。

たとえば、票の一票に地方格差が存在するように、年齢によって一票の大きさの重みを変えて若い人の声も届くような選挙システムを構築するプロジェクトとかプログラミングと政治と数学が好きならおもしろそうだと思うのですよ。

とりあえず、中小企業白書や経済財政白書のような原データに近いところでのまとめ記事を参考にしたものほうがネットの世界に流布しているまた聞きの抽象的な話よりも建設的な話ができると思うのですがどうでしょうか。

めざせ成金!めざせ成金! 2010/03/17 17:50 酒井さん、はじめまして。酒井さんのブログを最近知り、拝読させて頂きました。ベトナムでビジネスとはすごいですね。また、グローバル化と日本の問題(とくに教育など)をよくご理解され、私も同じような考えを持っています。今の日本は、ヤバイです。

ところで、日本は天皇を中心とした国家でも、官僚主導の社会主義国家でもありません。それは表面的なもので、本当はいまだに「武家社会」なのです。明治維新以後の日本の支配階級の人たちは薩摩・長州の武士の末裔たちです。つまり、鹿児島県、山口県出身の政治家、官僚、そして政商らが中心なのです。明治維新といっても、人口の1%のうちの士族の中で優秀なものを要職に登用することであり、平民が成り上がれるわけではなかったのです。その構造は今日まで変わっていません。実際、今の鳩山首相、麻生、安倍など、彼らの先祖をたどると士族の人間です。警察庁、防衛省に至っては、鹿児島県、山口県出身でないと出世できないと言われているほどです。経団連会長は商人階級の頂点で、士族階級に出入りすることを許された人間ということになります。このことは、苫米地英人氏の「洗脳支配」という本に詳しいです。

ですから、明治維新と同じ規模の革命が日本に起こったとしても、日本の支配階級の人間は変わらないと思います。もっとも、今の日本人の多くは教育とメディアによって精神的に去勢されているので変革は無理だと思いますが。

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