再び 3月11日を迎えて - 来たるべき日本の危機に備えよう

去年(2011年)の3月11日の午後3時前、私は横浜のとあるスターバックスでコーヒーを飲んでいた。そのとき読んでいた本が、これ。

岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁

岐路に立つ中国―超大国を待つ7つの壁

私はベトナムから帰ったばかりで、新興国に蔓延する制度的な政治腐敗について、頭を悩ませていた。私の好きなベトナムという国をどのように解釈すべきか、そのヒントを現代中国の問題点を鋭く指摘する上記の本を通じて学ぼうとしていた

スターバックスに到着して、この本を開いて10分くらい経過しただろうか?足下が突然揺れ始めた(もちろん地震はいつでも突然始まるものだが)。それでも最初の15秒間くらいはいつもの中規模の地震だろうとたかをくくっていた。だが揺れは時間が経過するにつれて、ますます強くなる。私は次第にかつてない恐怖に囚われ始めた。ふと窓の外に目をやると、対面の近代的なビルの窓ガラスが、まるで風に吹かれた障子のように波打っていた。私は、店員の誘導に従って、屋外に出た。まだ揺れが続いていて、まっすぐ立っているのも困難なくらいだった。

私はさっそく Twitter のリアルタイム検索サービスで「地震」をキーワードとして検索をかけた。錯綜する情報。それでも3分もしないうちにどうやら震源地は東北のどこからしいということが見えてきた。不安げにささやき合う通行人たち。電車が止まってしまったので、私は一駅分歩いて帰宅した。テレビをつけるとそこには、家や畑や車などの全て呑み込みながら突き進む巨大な津波の様子がライブで中継されていた。そのとき日本の歴史にない何かとてつもないことが起こったことを思い知らされたのだ。

引き続き起こった福島第一原発事故。迫り来る放射能におびえた日々。テレビの情報統制。原発の是非を巡ってネットで巻き起こる大論争。自然発生的な数々の脱原発デモ。醜い政治闘争…。去年の震災から半年間ほど極めてアクティブに震災と原発事故に関して発言し行動していた。

さよなら原子力発電
オーストリアの研究機関による福島原発の放出放射能の推定
原子力発電という欠陥技術
松本純代議士に脱原発の要望書を渡してきました
菅直人首相を応援しよう
女川町の震災の惨状と原発
原発は非倫理的な技術である

だが、最善でないにしろ、懸命の努力を重ねていたように見えた菅直人氏が首相の座から引きずり下ろされたあたりから、私は、すっかり日本の政治に幻滅し、関心を失ってしまった。政治家もマスコミもマスコミに煽られた「世間」も現状を直視せず、機械的に物事を過去に引き戻そうとしているだけではないのか。

日本人は「フクシマ」の再来を回避できるのか

で書いた懸念が現実のものになりつつあるように思える。

タブーを犯して敢えていうけれども、いま日本政府がやっている、いわゆる「東北の復興」には無駄な投資が多数含まれている。

たとえば私は今日の漁業政策の延長戦上で三陸海岸の漁業が産業としてこれから成立するのかたいへん疑問だ。

SYNODOS JOURNAL : いま漁業を改革しなければ、魚が食べられなくなる!?〜豊かな漁村文化と食卓を取り戻すために 勝川俊雄
日本の漁業が壊滅的ってホントなの?

勝川氏が述べるように、漁業もまた商売であるがゆえに、健康的な利益を上げ続ける体制が作れなければ必然的に衰退していく。勝川氏は必死になって、漁業既得権を打ち崩し、「高く売れる漁業」を目指すべきだと主張しているが、日本政府が耳を傾ける気配は見えない。

この20年間ほど、日本は同じことを続けていた。心ある人たちが合理的な問題解決方法を提示しても、既得権益者たちがことごとく無視しつづけてきたのだ。ときどきふと耳にする日本の中枢部での議論の多くが、あまりに「昭和的」で、過去に引き戻すことだけを最大の目標にしている。私たちはいま21世紀にいるんだよ?昭和が終わってもう何年経ったんだい?聞こえてる?

最近どういうわけか私が昔書いたこの記事が人気のようだ。

15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ

これを書いたのは2年前。残念ながら、

日本社会はこの20年間、驚くほど変化しなかった。この巨大な惰性が向こう数年で大きく変わるとは思えない。日本がよい方向に変わるだろう、という可能性に賭けるのは危険すぎる。

という言葉のとおりになってしまった。日本の政界・財界・学界は、まるで20世紀が永遠に続くように振る舞っているように見える。たぶんそう信じることが彼らに最大の個人的利益をもたらすのだろう。

私も、一人の日本人として、胸が引き裂かれるような思いだ。日本は、氷山に向けて突進を続けるタイタニック号のようなものだ。氷山にぶつかることが分かっていても私には止める力がない。操船する人々には近く訪れる巨大な悲劇が理解できているのかどうかも定かではない。

私は、もう日本社会を変えようとは思わない。私は、自分と家族と友人だけでも、近い将来の日本の危機から救い出せないか、日々考えている。私は薄情だろうか?そうかもしれない。だが結局それ以外に私に何ができるというのだろうか?この文章を最後まで読んでくださった読者の皆さんにも、どうか日本の既得権益者たちの言葉を鵜呑みにせずに、ご自分の身は守ってほしいと思う。

P.S.
ただ、「自分の身を守れ」といって投げ出してしまうのも、やや無責任に思えるので、補足しておく。

一言でいえば「英語を身につけるべき」ということだ。なぜ英語か?というと、英語ができれば海外の事情に対する感覚が研ぎすまされるからだ。そして海外の事情に明るくなれば、日本の進む方向も自ずから見えてくる。仮に一時的にでも日本を脱出しなければならない事情が発生しても、迅速に対応できる。私も英語についていろいろ書いているので、「elm200 英語」のキーワードでGoogle で検索してみてほしい。