2012年02月09日
釧路のフィレンツェとリリー
釧路川河口
雄阿寒岳(1370.5 m)
旅先では昔ながらの喫茶店に立ち寄って、長年にわたって街や人の変化などをいわば定点観測してきたはずの店主や他の客、特に地元の客と話をするのがひとつの楽しみである。かりに誰とも話せなくてもいい。そういう喫茶店の少々草臥れた椅子に腰掛けて店内や窓の外をしばらくぼーっと眺めているだけで、その街の歴史が複雑にブレンドされた匂いを嗅げるような気がするのだ。まあ、ほとんど錯覚だろけどね。釧路を去る日、二軒の喫茶店に立ち寄った。一軒目に立ち寄らなければ、二軒目には立ち寄ることはなかった。
喫茶店フィレンツェ、末広町5丁目、昭和46(1971)年創業。
末広町の繁華街の入口で「フィレンツェ」の文字が目に飛び込んで来た。吸い込まれるように入店した。掃除と手入れの行き届いた店内は少しも古さを感じさせなかった。ダイヤル式のピカピカの黒電話はなんと現役だった。故障してから使っていないという古風なイタリアのガジア(GAGGIA、「アカシアの花」の意)製のマシーンも綺麗に手入れされてまるで新品のようだった。四十年間変わらないことがむしろ時間の丁寧な積み重ねによって非常に新鮮な表情を獲得しているように感じられた。濃厚なイタリアンコーヒーを飲みながら先客の地元のお爺さんと世間話をしている間、二代目店主の美しい銀髪の上品なマダムは手を休めることなくカウンターの上に置かれたものを拭いたり、二階へ通じる木製の階段の窓際や壁龕(へきがん)のような棚に置かれた鉢植えの手入れをしていた。最近は客足も遠のいてめったに使われないという誰もいない二階も見せていただいたが、やはり隅々まで綺麗に掃除が行き届いていて、古風なデザインのソファとテーブルが、四十年前をつい昨日のように記憶しているかのようだった。母さん(現在の店主の母親)の代から常連だったという先客のお爺さんは釧路の不況を嘆げきながら、元気なのは釧路コールマインくらいだと語った。釧路コールマインは2002年に閉山した太平洋炭礦をその年に引き継ぎ、540名を再雇用して採炭を開始した会社である。海底に広がる炭層を坑内掘りする日本で唯一の鉱山であるという。この店もママも俺も骨董みたいなもんだ、と言ってお爺さんは笑った。気になっていた店名「フィレンツェ」の由来については、先代がイタリア製の機械が気に入って導入したのがきっかけで命名したというが、それ以上詳しいことは分からなかった。マダムに記念撮影をお願いしてみたが、とんでもない、こんな婆さんを撮ったらカメラが壊れるわよ、と逃げられた。私が昔ながらの喫茶店が好きだと知って、マダムは七十年以上続いている喫茶店リーリーがあると教えてくれた。ここよりずっと広くてグランドピアノも置いてあって、時々シャンソンのライブも行われるという。フィレンツェはイタリア風で、リリーはフランス風なわけだ。
釧路新聞社、黒金町7丁目、昭和21(1946)年創刊。This Isを始める前の小林東さんが勤めていた。石川啄木が明治41(1904)年に二か月間勤めた釧路新聞社(北海道新聞社の前身)とは別の新聞社。
喫茶店リリー、北大通4丁目、昭和10(1935)年創業。
リリーは地階にあった。階段をゆっくりゆっくり降りているうちに、正に七十年以上の時間の地層を潜って行くようでゾクゾク、ワクワクしてきた。店内には他に客はいなかった。美しい短い黒髪が若々しく印象的な店主のマダムは広い店内の床の掃除をしていた。地上の凍てついた歩道に撒かれた滑り止め用の砂が、ちょっとした風で地下の店内にまで吹き込んで来て大変なのよ。札幌から出張で来たと言うと、マダムはついさっきまで東京から来た客がいたと言う。こういう古い喫茶店が残っているのは嬉しいという言葉を残していったらしい。なるほど。しかし私は「古い」という言葉にかすかなひっかかりを覚えた。フィレンツェもそうだったが、ここリリーも決して古くはない。長年使い込まれた床やカウンターのテーブルや客席のテーブルなどはたしかに表面は傷つき摩耗しているが、掃除と手入れが行き届いているおかげで、控え目に備え付けられた照明を反射して目に優しく深い輝きを放っている。こんな空間は何年経っても古びない。むしろ非常に新鮮で、空間全体が非常に座り心地のよい椅子のようにさえ感じられる。そんなことを口走ったか、内心思っただけだったかかよく覚えていないが、自然な成り行きのように、マダムはリリーと共にあった小さな歴史について語ってくれた。札幌で生まれ育った彼女はおよそ半世紀前に釧路に嫁いで来た。リリーの二代目店主だったご主人を二十年前に亡くしてからは、彼女が一人で店を守ってきた。その間ずっと年中無休で働いて来た。この歳になって夕焼けも一度も見たことがないのよ、と言って笑った。ちなみに、一説には釧路市の夕日は、インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラとともに「世界三大夕日」と称される。そこで来客があり、話は途切れた。店名「リリー」の由来は尋ね損なった。
リリーを出た後、彼女の分まで夕日を堪能した。
釧路川河口
釧路駅
釧路の豊文堂とThis Is
豊文堂での掘出し物
十年ぶりに仕事で訪れた釧路の街で思いがけない出会いに恵まれ、懐かしい再会を果たすことができた。仕事に関しては、先方の都合で予定は部分的に変更を余儀なくされたが、同行した若い同僚の臨機応変な働きのおかげで予想以上にうまく運んだ。Yさん、Mさん、ありがとう。
豊文堂・北大通店
仕事を終えてから黄昏の街を歩いた。駅前通り(北大通)にある古書店の豊文堂に立ち寄った。店内に足を踏み入れた途端、ここは本当に本が好きな人がやっている店だなということが分かる雰囲気に溢れていた。いわゆるジャンルをゆるやかに横断してまとめて置かれた本がまるで小さな島のようにあちこちに出来上がっていた。店内には静かにジャズが流れていた。一通りゆっくりと見て廻った。店主が先客のご婦人と串田孫一や橋本治のエピソードについて楽しそうに語り合う抑えた声が優しく耳に入ってくる。手は何冊もの本に伸びた。その中で小さな写真集ビル・ビンツェン『十番街』(Bill Binzen, TENTH STREET, Grossman pub. New York, 1968)一冊だけが最後まで手を離れなかった。それを持ってレジの店主に声をかけた。店内のユニークなレイアウトを褒めた。まだ若い店主、川島直樹さんは少々照れながらも、穏やかな語り口で店の成り立ちや駅裏(駅の北側)に四十年続く豊文堂の本店の存在について教えてくれた。ここは問題にならないくらい凄いですから、是非訪ねてみてください。川島さんは地図まで描いて熱心に勧めてくれた。
Largo
ところで、豊文堂・北大通店の二階には喫茶ラルゴが入っている。店内の階段で古書店と繋がっている。ラルゴは豊文堂の喫茶部ということで、本店を守り続ける豊川俊英さんのご子息である豊川大輔さんご夫婦がやっているということだった。ラルゴには釧路を離れる日に立ち寄り、豊川大輔さんが腕によりをかけた鱈と海老のグラタンを戴いた。旨かった。店が女性客で賑わっている理由の一端が分かった。私が座ったカウンター横の壁には豊文堂本店の絵が飾ってあった。
豊文堂・本店
豊文堂北大通店を後にした私は氷点下十数度の風に身を硬くしながら、釧路駅北側の白金町にある本店に向かった。川島さんが言っていた通り、本店は凄かった。北大通店が本の群島のような雰囲気であるとすれば、本店は本の密林だった。店主の豊川俊英さんの姿はうずたかく積まれた本の陰になってなかなか見えなかった。先客のお爺さんと会話する声が本の木立の隙間から聞こえてるような具合だった。かなり広い店内をゆっくりと見て廻った。掘出したい獲物はたくさんあった。井上孝治の『こどものいた街』もあった。細江英公の写真集もあった。北大通店でもそうだったが、本店でも、本と寄り添うように何気なく置かれたLP版やSP版のレコードも目を惹いた。そして小さな棚の上段に立てかけてあったCDが目にとまった。ポルトガルのマドレデウスのアンソロジー(MADREDEUS, ANTOLOGIA, 2000)だった。北の港街の古書店で、写真でしか見たことのないポルトガルの岬や港街の光景が朧げに浮かんだ。それを手に本の陰から頭部だけが見える店主に声をかけた。店主の豊川俊英さんは私が北大通店の川島さんの熱心な勧めでこちらを訪ねたことを告げるととても喜んでくれた。色々と話しているうちに、豊川さんからは札幌大学時代の山口昌男さんとの付き合いや書肆吉成の吉成秀夫さんの活躍ぶりなどが話題に上り、思いがけない方向に話が展開して驚いた。マドレデウスのアンソロジーのCDは昨日仕入れたばかりでたまたま棚に飾ってみたくなったのだという。か細い心の糸が奇跡的に繋がったようですね、とどちらからともなく喜び合った。
冴え冴えとした月夜に栄町のでこぼこに凍った道をペンギンのような頼りない足取りで歩いている時だった。突然十年前にふらりと立ち寄ったジャズ喫茶を思い出した。覚束ない記憶を頼りに探した。平和公園に面した小路の暗闇の中に「This Is」のスタンド看板の灯が見えた時には、ちょっと大げさに言えば、濃霧の中で方向を見失いやっと灯台の灯が見えた時の船乗りの気持ちになった。丸窓が印象的な舷側のようなファサードと照明の中に浮かぶ「JAZZ ジス・イズ hot house」の看板をしばらく眺めて、「営業中」の札のかかった古木の門を潜って、木の扉をゆっくりと押し開けた。店も店主の小林東さんも十年前と同じように温かく迎えてくれた。小林さんが目の前で丁寧に淹れてくれるオリジナルブレンドのコーヒーの深い香りと味は譬えようもなく素晴らしい。鼻腔と舌はその香りと味を覚えていた。生前の大野一雄と非常に親しかった小林さんからは、この十年間の大野一雄にまつわる様々な思い出を聞かせていただいた。思いがけず話題がジョナス・メカスにまで及んで私も興奮してしまった。なんと小林さんは大野一雄の99歳、100歳の誕生日のお祝いにジョナス・メカスと同席していたのだった。池内功和さんが撮った大野一雄の「last dance」の原版を見せていただき、アルゼンチンのコレクターが奇跡のような粋な計らいで送ってくれたというラ・アルヘンチーナの1929年の音源まで聴かせていただいた。幼い頃から芝居や見世物小屋をのぞくのが好きだった小林さんは、六年前に九州の八千代座に倣って二階に「百歳座」という念願の小劇場も作った。土方巽や細江英公にまつわるお話も大変興味深かったが、なによりも地元の高校生の演劇活動を目を細めて語る小林さんの表情が印象的だった。This Isには国内外から演劇や舞踏やジャズや詩や写真のプロや、そういうことに興味のある人がひっきりなしに訪ねてきては、色んな土産品を置いて行くようだ。店内では大野一雄の写真やポスターをはじめ世界中から運ばれてきた各種の看板や小物が所狭しとひしめき合い愉快そうに囁き合っていた。小林さんは1969年、二十五歳の時に一生に一度はジャズで飯を食いたいとThis Isを始めたと言う。そんな人生の一頁が今でもずっと続いているんですよ、と言って笑った。永遠の一頁ですね、と私は思わず応えた。
参照
2012年02月03日
δ(d) / λ(l)の差異
昨日まで、英語のOdysseusはギリシャ系の語彙で、Ulyssesはラテン系の語彙だと私は思い込んでいた。英語のUlyssesはラテン語のUlissesの直系である。しかし、ラテン語のUlissesの素性はラテン系ではなくあくまでギリシャ系なのだということに気づかなかったのである。今夕、ストラスブール在住の言語学者小島剛一さんからの指摘によって目から鱗が落ちた。ラテン語のUlyssesはギリシャ語名Οδυσσεύςの方言形Ολυσσεύςから来たものだったのである。つまり、ギリシャ語名における「δ」と「λ」の一文字の差異が、ラテン語名ではOdysseusとUlissesの差異にまで広がり、その一見した差異の大きさの故に、よく調べる前に、Odysseusはギリシャ系の語彙、Ulissesはラテン系の語彙だと思い込んでしまっていたのである。しかし、Ulissesも暦としたギリシャ系の語彙なのだった。したがって、英語のUlyssesだけでなく、フランス語のUlysse、イタリア語のUlisse、スペイン語のUlisesなどもラテン系の語彙ではなく、ギリシャ系の語彙であるというわけだった。
この話題の発端は、そもそもアンゲロプロス監督の映画の邦題『ユリシーズの瞳』の「ユリシーズ」に対する違和感だった。なぜ「オデュッセウス」ではなく「ユリシーズ」が使われているのか。実は今朝、仕事で一緒になったイングランドのリンカーン出身のGさんと話していて、アンゲロプロス監督の映画の英題Ulysses' Gazeについて、Odysseusではなく、Ulyssesが使われている理由を聞いてみたら、よく分からないと言いながらも、「ジョイスの『ユリシーズ』(Ulysses, 1922)の影響があるんじゃないかな」と言った。そう言えば、日本で『ユリシーズの瞳』が公開された頃は、ジョイスの『ユリシーズ』の新訳が話題になった頃だったかな、と思い出しつつあったのだが、どんな影響なのかというところまでは話は及ばなかった。そして帰宅後、小島剛一さんからのメールを読んでモヤモヤとした霧が晴れたというわけだった。しかもそのメールの最後はなんと次のような一節で結ばれていた。
開国後の日本人が系譜の末端の英語からではなく、本家本元のギリシャ語から「オデュッセウス」「オデュッセイア」と転写したのは見識でした。「アングロ・サクソンの下位文化」に成り下がらないで済んだのです。先人の心意気を無にしてはいけません。「ジョイスの『ユリシーズ』」は、ジェイムズ・ジョイスがオデュッセイアのパロディとして著わした作品を指す固有名詞としてだけ使いましょう。
小島剛一、2012年2月3日
なるほど、アンゲロプロス監督の映画の邦題『ユリシーズの瞳』に対する私の違和感は、「アングロ・サクソンの下位文化」に成り下がっているところにこそあったのだ。ジョイスのUlyssesの邦題が『ユリシーズ』であるのとは訳が違う。
CUSCUS
> 開国後の日本人が系譜の末端の英語からではなく、本家本元のギリシャ語から「オデュッセウス」「オデュッセイア」と転写したのは見識でした。
ほんとにそうですね。アリストテレスが英語でアリストートルだと高校の英語で知ったとき、「おまえ(英語)のほうがなまってるじゃん」とちょっと優越感を感じたのを思い出しました。まあ日本語では余分な母音がついてしまうので、冷静に考えたらどっちもどっちなんですが。
2012年02月02日
オデュッセウスかユリシーズか
ギリシャ語「Το Βλέμμα του Οδυσσέα」
日本語「ユリシーズの瞳」
英語「Ulysses' Gaze」
ドイツ語「Der Blick des Odysseus」
フランス語「Le regard d'Ulysse」
イタリア語「Lo Sguardo di Ulisse」
スペイン語「La mirada de Ulises」
アンゲロプロス監督の映画『Το Βλέμμα του Οδυσσέα』(1995)の邦題はなぜ『ユリシーズの瞳』なのだろう? ずっとひっかかっていた。なぜギリシャ語の原題に由来する「オデュッセウス」ではなく、ラテン語に由来し、英語の発音に倣った「ユリシーズ」なのか、なぜ日本人にとってもギリシャ神話で馴染みのある「オデュッセウス」ではないのか。まるで ギリシャ語のὈδυσσεύςがラテン語から英語、英語から日本語へと、物語の中の英雄のように、長い苦難の旅を強いられているかのように思えてきた。
#5 BLESSING、蔦、鈴薔薇、火災報知器、山雀
散歩 |
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九州小倉在住の花師(Froral Decorator)、中野正三さん(公式サイト「shozo nakano HANANOKOE」)から、空飛ぶ展覧会の「花ノ聲ヲ聴ク」シリーズの五作目「#5 BLESSING」が届いた。嬉しい。シャコ貝と薔薇の取り合わせの妙が想像力を刺激する。ディスプレイ上で見るのとはやはりひと味違う気がする。
***
ツタ(蔦, Japanese creeper or Japanese ivy, Parthenocissus tricuspidata)
アイスキャンドル(ice candle)
カラス(烏, Crow, Corvus)の足跡。嘴太か嘴細かは不明。
排気口(exhaust opening)
電力量計(electricity meter)の跡
スズバラ(鈴薔薇, Dog rose, Rosa glauca)、通称ロサ・グラウカ
ごみステーション(garbage station)
電力量計(electricity meter)の跡
コンクリート壁(concrete wall)
火災報知器(fire alarm)
ヤマガラ(山雀, Varied tit, Parus varius)






















































谷口さん、コメントありがとうございます。羨ましい環境です。流石にお見通しですね。