メチキチレ族の南への逃走Metyktire's escape to the South

メチキチレ族の歌の録音(http://www.survival-international.org/lib/audio/mp3/uncontacted_brazil.mp3)を何十回も聴いて、もちろん、意味など皆目見当もつかないながら、何か尋常ならざるメッセージの籠められた人間の言葉であることは強く深く感じて、誰なら、この歌のメッセージを解読できるだろうかと考えていた。今のところ私の調べでは一番詳しいと思われるメチキチレ族の出現に関する記事:

にあるように、カヤポ語、メベンゴクレ(Mebengokre)を話すカヤポ族にも理解できないという古語(much purer version)を話すメチキチレ族の歌は、どこかアイヌ語を連想させると同時に、ある種の詩人が発する言葉を連想させる。

西欧文明との交通を選択した母集団のカヤポ族。それを拒み、半世紀以上前に西欧文明との交通を途絶する道を選んでカヤポ族から別れてアマゾンのジャングル、熱帯雨林の奥深くに姿を消すことでメチキチレ族となった人々。しかし容赦ない西欧文明の牙は今や彼らの生存を脅かしつつあることだけは確かである。昨日紹介した『野生の樹木園』の著者マーリオ・リゴーニ・ステルンは「森を育てることが文明の証」であり、「森を破壊することは野蛮への退行に他ならない」と強く警告していた(12頁)。

人類はヨーロッパという病の上にアメリカという病、そしてその上に共産主義という病を重ねてきたという説がある。そしてその三重の「北型の病」が地球上で最も激しく猛威をふるう、言わば「南北戦争」が現在も進行中であるのが「南米」である、と。メチキチレ族はその三重の病、「北型の単純」に抵抗する「南型の複雑」を選んだ人々に違いない。それはそもそもヨーロッパが抑圧した「アジア的停滞」ともどこかで通底し、しかし、「停滞」とみえる「複雑さ」にこそ、「未来」はあるとすればあるのではないか、そんな迷想に一昨日から耽っていた。文明の精神分析が必要なんだろうな。でもすでに誰かやってそうだな。