2008年02月18日
手の思想、手仕事
ジャック・デリダ(Jacques Derrida,1930年7月15日 - 2004年10月8日)は、文字とか声とか耳とか、暗闇でメモを取るとか、盲目の絵描きのこととか、手についてとか、およそ学問的知識の項目に値しないような周縁的な話題に思考を深く巡らせつつ、学問的知識の「中心」を撃つような仕事をし続けた面もある変わった哲学者だった。
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- 出版社/メーカー: Zeitgeist Films
- 発売日: 2004/01/20
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2004年、滞米中に彼の訃報に接し、エイミー・コフマンとキルビー・ディック両監督によるドキュメンタリー映画『デリダ』のDVDを購入して、何度も観た。その中で一番印象的だったのは、コフマンとの自宅でのくつろいだ会話のなかで、デリダが眼と手について語る場面だった。デリダは、眼はその人の幼い頃の俤をいつまでも残すが、手はどんどん変化するという内容のことを語った。その真意は不明だったが、非常に印象的だった。それは例えば、眼と手を見れば、その人のだいたいが分かるとか、眼はその人の変わらぬ本性を示し、手はその人の仕事、人生を示すと敷衍されるような一種の教訓には留まらない思想を示唆しているような気がしたが、そのときはそれ以上は考えなかった。
ところで、「手仕事」という言葉がある。
先日、清水金之助氏(1922- )による活字地金彫刻の実演見学会に参加した私家活版印刷所『海岸印刷』の橋目侑季さんの報告を紹介した。
そこで引用した橋目さんの清水金之助氏の手仕事に対する深い感動を綴った文章のなかに「人間の手の可能性」という言葉があって、ずっとひっかかっていた。再度部分的に引用する。
人間の手の可能性。
「活字」というと(「活字になる」という表現があるように)
「手書き」の対極の響きがあるが、その活字もまたかつては源から
人間の手仕事により生み出されていたということ。その重み。
活字地金彫刻は、普通は文字を書く手が、途方もない遠回りをして文字を刻む仕事である。そのような手仕事は実は人間が文字を獲得するに至った途方もない時間を密かに追体験する仕事なのかもしれないと思った。だからこそ、他の手仕事以上に一種の神聖さを帯びるのではないか。いわゆる芸術家たちの仕事の根源は、時間と手間をかけて一つの「文字」を刻むという仕事にどこかで通底しているような気もしてきた。思いがけず、そもそも「文字」とは何か、という問いが「人間の手の可能性」という観点から、かつてない姿で浮上してきた。
ハンコ(判子)の由来/ハンコの逸脱
活版印刷 | |
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酒井博史氏作ガラス印鑑「塊」
ハンコ(判子)って、ハンコウ(版行)が転じた言葉だとは知らなかった。
先日、札幌での活版印刷ワークショップの企画(第1回活版印刷ワークショップは3月9日(日)です)に対して応援メッセージをいただいた朗文堂/アダナ・プレス倶楽部の大石薫さんが「コラム009」において、「活版(カッパン)」という言葉に対する違和感から説き起こして、わが国における言葉の簡略化に伴う概念の貧困化と物事の本質を見失う傾向に警鐘を鳴らしているのが目にとまった。そのなかで大石さんは
わが国の近代印刷においては、もっとも基準となる「印刷版」という概念が希薄です。
と述べ、「オフ」に縮まっちゃった「オフセット平版印刷」や「ハン」とか「ハンコ」に縮まっちゃった「印刷に用いる版材」という意味の「印刷版」とならんで、「カッパン(活版)」に縮まっちゃった「活字版印刷」という用語に注意を促している。それらの簡略化の流れはこうである。
そして結論として、
技術用語としては煩瑣をいとわず「活字版印刷」と表記し、それと併用して、人口に膾炙した「カッパン」をカタ仮名表記で用いさせていただきます。
と宣言なさっている。
さらに、「活版・カッパン」という簡略語によって曖昧にされがちな重要な活字版印刷術(Typography)と凸版印刷術(Letterpress)の間の区別についても触れていらっしゃる。
- 活字版印刷術(Typography):金属鋳造活字を主要な印刷版とする
- 凸版印刷術(Letterpress):金属鋳造活字はもちろん、各種凸版類を印刷版とする
つまり、各種印刷においては、何が「印刷版」であるかによる区別というのが最も重要なポイントだということだと思う。だからそこを省略してしまうと、区別が曖昧になり、自分が何をしているのかも分からなくなりかねない。そういう危惧を大石さんは表明している。なるほど、それは印刷における「印刷版」の例に限らずどんな仕事にも通用する、その仕事の本質(モデル)をしっかりと認識するという非常に大切な見方だと思った。
ここで、ハンコそのもののことがにわかに気になり出した。欧米ではサインで済ますところをわれわれは捺印する習慣を当たり前だと思っている。捺印という行為は社会制度の一端にも組み入れられている。サインは手書きである。捺印は考えてみれば、立派な印刷である。凸版印刷術(Letterpress)の雛形みたいなものである。
ところで、ハンコにも色々ある。3月9日(日)に「第1回 活版印刷ワークショップ------活字よ、こんにちは。」を主催する日章堂印房の三代目である篆刻師・酒井博史さんは、版材として、木や象牙だけでなく、最近はガラスにも注目している。
酒井さんはガラスを印刷版としたハンコの製作にも意欲を持っているわけだ。それはハンコという社会的道具をその既成の意味ないしはモデルから逸脱させて、活版印刷の魂にもつながるような、ハンコが本来もっているある得体の知れぬ力に触れる新たな冒険(真摯なる遊び)であるような気がしている。私としては、いずれガラス印鑑作りも「活版印刷ワークショップ」の一環として取り入れてもらいたいと思っている。楽しそうだし。冒頭の写真は、酒井さん製作のガラス印鑑試作品第二弾「塊」の字である。美しい。

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かの小飼弾さんもお越しいただいてます(驚)。